第12話 弟君の誘い

 拗れた関係を修復するのは難しかった。二週間が過ぎ、三週間入るが、雪都様はあれ以来、私の前に姿を現さなかった。手紙も途絶え、連絡手段がなくなった。

 落ち込む私を侍女や女学校の方々が励ましてくださるが、それが余計に切なかった。


「橙子様。少し、宜しいですか?」


 そんなある日。いつものように帰宅時、校内から外に出て、門前から少し離れた街中。トボトボ歩いていた私に声がかかった。振り向くと、横に、藤次郎さんが見えた。後ろの路地には高良家の馬車がある。


「…藤次郎さん?」


 何故、ここにいらっしゃるのか…。不思議に思い、首を傾げて見せると、彼は頭を下げてから、深刻な表情を浮かべた。


「申し訳ありませんが、今から屋敷にいらしてください。御当主から大事なお話があります」


「苓様が?私に?」


 ホテルでの話だろうか?


「ええ、雪都様との今後の婚姻に関しての話です。あの時、話せなかった話をもう一度したいとの事です」


 話せなかった?途中、雪都様が入り、話が中断された。うやむやになった事だが、私はこれ以上二人で話をして、雪都様との仲がもつれるような事はしたくなかった。


「あ…その、雪都様は…」


 屋敷に行けば、彼もいるはず。尋ねてみると、藤次郎さんは微かに首を振った。


「橙子さん、雪都様は外出されています。会う事に抵抗があるかと存じますが、一度はっきりと話をしたいとの事です」


 今まで屋敷に行かなかったのも、それが理由でもある。苓様との仲も拗れたくなかった。彼は何度か手紙で謝罪をしてきた。でも、それはこの婚姻にヒビが入る事を恐れているからだ。ただ仲良くなりたいと、あの少年のように照れていた彼の手紙には、何故かそう思わせる節があった。


「…わかりました。連れて行ってください」


 これ以上、逃げていても始まらない。雪都様との婚姻はもちろん望まない。でも、写真の夢や実際に会った彼との仲をこれからも大切にしていきたいと思った。


「ではこちらに、馬車がありますのでお送りします」


 私の答えにどこかほっとした藤次郎さんは、私を停めている馬車に案内した。後ろからつき歩くと、馬車を開けた彼が手を出してそれを取って、中に入る。


「橙子さん。お久しぶりだね」


 そして、馬車には、苓様が乗っていた。


「え?苓様!?あなたが…えっ?どうして…っ?」


 苓様は優しい表情を浮かべて、


「まずはここに座ろうか?立ったままでは危ないからね」


 にっこりと笑顔を向けて言った。


「…っ!はい、失礼します」


 そのまま彼は苦笑し、座るように促して、ハッと我に返った私は慌てて席に座った。


「あの…?何故、馬車に?」


 藤次郎さんは屋敷にと言っていたので乗っているとは思わなかった。


「あ〜…その、迷惑だとは思ったのだけれど、橙子さんにどうしても早く会いたくなって。その、屋敷で話せばいいと思ったんだけど、こうして強引な手段を取って、君がどう思うか…気になってね」


「あ、ああ、そうですか。あの、ではこのまま馬車の中で話しますか?」


 そう話すと、不意ににこりと笑って、


「いや、少し寄るところがあります」


 意味深な微笑みを見せた。私は言われるまま頷き、彼の話が気になった。




***





馬車が着いた先は、華族の流行りのある高級な女物の服屋だ。異国からの洋服店として、最近流行なドレスやワンピース、スカートはもちろんフリルのついたブラウス。


「え?こ、ここに入るのですか?」


 女学校での制服以外、武家の出である我が家は和服が多く、洋服には慣れていない。驚く私を尻目に、彼は頷き、迷う事なく入って行く。


「いらっしゃいませ」


 店には外国の女性従業員がいて、客である私達に頭を下げて出迎えた。


「高良家当主様ではございませんか!今日はお母様の洋服を見に…?あら?そちらの女性は…」


 着物姿の私を見て、一瞬驚き、すぐに何かを理解したような表情をした。


「店主。今日はこちらの女性のために、何着か作って欲しい」


 苓様が迷わずそう告げると、女性従業員は眼を光らせ微笑んだ。


「かしこまりました!では、お嬢様。寸法を計らせていただきますので、こちらにお越しください」


 スッと彼女は戸惑う私の前に来て、試着室に行くように促す。


「え?で、ですが私…洋服はあまり分からなくて…!」


「ご安心ください、お嬢様!私達はお客様に安心していただくため、一から丁寧にご説明させていただきます。何が、どうわからないのか言ってくださればお答えいたします」


 にこにこと愛想の良い笑みを崩さず、まだ戸惑う私を試着室に連れて行く。あれよあれよと話しているうちに、ぱぱっと服を脱がされ、身体をすまなく測られた。恥ずかしいなどと思う間もなく終わり、従業員は満足そうに私の寸法を見て素早く服を着させた。その時間は半刻と、苓様は控室となるソファの席に座られている。


「まず、こちらを試してください。流行の薄水色のシルク素材のワンピースでございます」


「あ、えっと…あ!」


 ささっと持ってきたワンピースの袖を通し、すっぽり被る。すると、裾がふわりと広がり、姿見の前に、いつもと雰囲気の違う自分の姿があった。


「こちらは胸元にいくつかの薔薇の花をモチーフにした刺繍が施されております。下にいくにつれふわりと広がる形でして、試着していただいて感じていただけたかと存じますが、体型が変えるように見せております」


 店の従業員の説明は丁寧で簡潔。私にも感じた、裾が広がる具合。困惑しながらも、思っていた以上に素敵だ。


「お嬢様は手足がすらりとしており見栄えがよろしいので、こちらがとてもお似合いでございます」


 そう従業員は私を褒めながら、もう五着か着せられた。


「もういいですよ!そんな、充分です!」


 六着目で、私は根を上げた。これ以上は無理だ。へとへとになりながら従業員に首と手を使い拒絶すると、


「かしこまりました。では一度、控え室に向かいましょう」


「えっ?このまま行くのですかっ!?で、ですが控室には苓様…!それに私の着ていた服はどこに!?」


「ご安心ください。他のお洋服と一緒にお渡しいたしますので。それと、その洋服はそのままご試着してください」


「え?で、ですが、まだ慣れなくて…苓様がいらっしゃるのに、そんなこと…」


 見せるには抵抗がある。恥ずかしい気持ちが優ってつい愚痴のようにこぼすと、従業員の方はより笑顔を見せて、


「抵抗があるとは思いますが、自信を持ってください。本当にお似合いですから、婚約者様も喜ばれると思います」


 にこやかに告げた言葉にギョッとする。


「婚約者?い、いえっ!彼の方は私の婚約者ではありませんよ!」


 苓様を前にそのような事を言えば不快どころではない。間違っている従業員に激しく首を振り否定すると、


「えっ?ですが、さきほど高良様からそう伺っておりますが…?」


 彼女は困惑したように言葉を返した。どういうことだろうと首を傾げる。


(この人が、日本語を間違えているのかしら。苓様を婚約者だなんて)


 日本語を流暢に話してはいるが、意味を理解していないのかもしれない。


「いいえ、違います。私は彼の兄である雪都様と婚約しています」


 はっきりと正しく答えると、従業員の彼女は困惑した表情をしたがすぐに頭を下げる。


「申し訳ありませんでした。私の勘違いでした。では、高良様がお待ちですので、参りましょう」


 私は緊張した面持ちで、彼女とともに苓様が待つ控え室に向かった。



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この結婚話には裏がある 綺璃 @rose00

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