ありがとうのおばあさん 🍸
上月くるを
ありがとうのおばあさん 🍸
ある晩秋の週末の夜。🍁
武蔵野の、とあるまちのホテルの最上階のレストラン。🍴
――ほらほら、また、あのおばあさんが見えたわよ。👀
若いスタッフたちが、小声でささやき合っています。
うわさの主は、窓際の席に座っている小柄な老婦人。
薔薇色のベレーに同色のストールとロングスカート。
シックな装いをしたお洒落なおばあさんは、ブランデーグラスを手の平でゆっくりまわしながら、さもおかしそうに目を細めてみたり、お茶目に首をすくめてみたり、ぷうっと噴き出しそうになった口もとを、慌ててハンカチでおさえてみたり……。🍷
*
翌日の昼下がり。🌞
郊外の小さな平屋。
昨夜のおばあさんがリビングの書棚の前に置いたお気に入りの揺り椅子に腰かけ、煎れ立ての珈琲をすすりながら、背表紙を見せている本に何事か話しかけています。
📚
――わたしにとって、あなたたちは、たいせつな子どもたち。
1冊1冊に、書かれなかったもうひとつの物語があるの。
あなたたちが誕生するまでに生まれたドラマのかずかず。
それを知っているのは……ふふふ、編集したわたしだけ。
ことに、そこに並んでいる赤い表紙の子。
あなたにはほんとうに苦労させられたわ。
いっそ投げ出してしまおうかとも思った。
けれど、いまではわたしの誇りの1冊よ。
📚
おばあさんはひとりでふたりの娘たちを育てながら、本を書いたり、編集をしたりして生きて来ました。ですから、生まれた本たちはおばあさんの末っ子なのです。👶
*
夜になりました。🌟
おばあさんはベッドに入ると、胸のうえで手を組み、心を込めて神に感謝します。
そして、人生で出会って来た人たち、ひとりひとりのお顏を思い浮かべるのです。
とうさん、かあさん、この世にわたしを送り出してくださってありがとう。👨👩
お友だちのゆりちゃん、ともちゃん、さっちゃん、仲良くしてくれてありがとう。
未熟なわたしをずっと支えつづけてくださった仕事の仲間たちや地域のみなさん、ボランティアやサークルのお友だち……みなさん、本当にありがとうございます。
そして、慈しみ愛してやまない、わたしの大切な家族!
むすめたちとそれぞれのパートナー、人&動物の孫たち。
犬のクロと猫のミチコ、たくさんの思い出をありがとう。
それから、ご縁が薄かった夫にも感謝したいわ。<(_ _)>
*
ひととおりの感謝を済ませたおばあさんは、今度は自分自身の身体に感謝します。
――右足の小指さん、薬指さん、中指さん、人さし指さん、親指さん。
今日も一日、重いわたしの身体を支えてくださってありがとう。👣
左足の小指さん、薬指さん、中指さん、人さし指さん、親指さん。
今日も一日、わたしを無事に歩かせてくださってありがとう。👟
そして、右手の……。左手の……。👏
こうして、口、鼻、頬、目、眉、耳、額、頭、髪……すべてのパーツにていねいにお礼を申し述べたおばあさんは、やわらかな笑みを浮かべながら眠りにつくのです。
*
青い月光が、やさしくおばあさんのベッドを照らしています。🌙
目をつむったおばあさんは、いまにもクスクス笑い出しそう。🎦
となりの家の屋根から、地域猫のチロルが月あかりの庭を見下ろしています。
おばあさん宅の小庭の紫陽花の木の根元には、クロとミチコが眠っています。
キンコロリ~~~ン。
星が飛びました。🌠
明日もきっといい天気。🌺🐥
おやすみなさい、おばあさん。
楽しいゆめをごらんなさいね。
ありがとうのおばあさん 🍸 上月くるを @kurutan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます