閑話:呪殺師の後始末

 口の中に僅かに広がる甘さに、ほんの僅かヤズローは眉間の皺を緩めた。

 使い魔というよりも、自分の血肉を無理やり分けた分身のようなものである銀蜘蛛が、何か甘いものを食べたらしい。口の中に手持ちの蜂蜜飴を放り込みたくなるが、我慢する。まだ仕事中だ。

 学院から離れ、町の入り口近くに据えられている寄合所へ向かう。住民の憩いの場というだけでなく、学院の生徒に用があるが入れない者達が留まる場所でもあるのだ。中に入ると、広間の隅で備え付けの白湯を飲んでいた赤毛の娘が気づいて手を挙げる。

「ヤズローさん! こっちです」

「ナーデル」

 近づくと、お仕着せを着た娘が軽く頭を下げ、机に乗せていた沢山の荷物を指して見せる。

「もう、あたしがこっちに行くってなったら、奥方様もお師匠様もいっぱい持たせるんですから。奥方様からはお茶とお嬢様のお着替え、お師匠様からはえーっと、呪文書と瓶詰ナッツとジャム、手編みのショール、それから」

「解った、後で確認する。お屋敷には師匠が来ているんだな?」

「勿論です、そうじゃなかったらあたしだってお屋敷を離れませんよ。久々だからってお師匠様、張り切りまくってましたし」

 二人が師匠と呼ぶのは、嘗てシアン・ドゥ・シャッス家を仕切っていたやり手のメイド長であり、二人を薫陶した魔女である女性だ。寄る年波には勝てず流石にメイドは引退したが、何分人手の足りない男爵家を助ける為に、こういう時には顔を出してくれる。

「ところでお師匠様から伝言なんですけど、『戒めを忘れず精進なさい』って。もしかして久々に呪い発動しました?」

「……」

 図星なので口を噤んだ。当たり前だが呪いが発動した事実は当然かけた当人にも伝わる。ナーデル自身もそのあたりには明るいのでやれやれと肩をすくめた。

「だから呪いを甘く見ちゃ駄目ですって、お師匠様だから命に関わらず済んでるんですから。舌が二度と戻らなくなっても知りませんよ」

「それぐらい戒めをかけなければならない、自分が悪いのは理解している」

 自意識があるからこそ頭を下げて、子供の頃、つまり従者としての修行中、強制的にかけられていた呪いを再びかけて貰ったのだ。いつまで経っても油断すると汚い下町言葉が出てしまう己の戒めであるし、もう一つ解くわけにはいかない理由がある。

 主の娘、ラヴィリエが幼少の頃、自分の下町言葉を真似て、「へやにおおきなむしがでたのよ! ぶちころすのよ!」と喋った時の衝撃と慚愧の念は今でも忘れられない。主と主の妻と師匠に顔向け出来ないと本気で詫びた。もう二度とあのような過ちを犯さない為にも、この呪いを解くつもりはない。

「で、結局あたしが呼び出された理由は何なんです? 運んでほしいものがあるって聞いたんですが」

「ああ。保管はお前に任せた方が良いものだ」

 渡された白湯で一口喉を潤してから、懐に入れておいた包みを取り出す。銀糸で固めるように束ねておいたが、それでもわずかに黒い染みが隙間から漏れ出ていた。これ以上は専門家に任せた方が良い。こんな危険なものを一般の郵便員に任せるわけにはいかないし、何より。

「恐らく呪殺師の使う装具だ。確認してくれ」

「それは確かに厄介ですね、拝見します。――っ」

 磨きの粗いテーブルに置かれた瞬間糸はばらりと解け、中から現れた、嘗ては銀色だっただろう櫛を見た瞬間、ナーデルの緑瞳が見開かれる。未だ力を残した呪いの装具であることも勿論だが、何より、その櫛に刻まれているのは使用者の血筋を表す印。つまり持ち主がどこの家の呪殺師であったかを示す証だ。

「逆さまに描かれたリコリスの花は、お前の――」

 指摘をしなくとも、彼女自身も気づいたようなので、ヤズローも口を噤んだ。震えるナーデルの指がそっと、黒ずんだ紋を撫でる。彼女は呪殺師故、多少の呪いなど簡単に御せるので素手で触っても心配はない。

 ぽつ、と粗目の机上に、雫が落ちる。悍ましい呪いが籠った筈の櫛を震える両手で掬い、縋りつくように握りしめた。

「っ、おにい、ちゃん……、お兄ちゃん……!」

 嘗て、ヤズローの主が学生としてこの学院に籍を置いていた頃、友人となった呪殺師の家系の青年がいたという。彼は凄く温和で、物騒な稼業が似合わない男で、――その優しさゆえに学院で命を落としてしまったと、主から語られた事がある。主はその辺りをも汲み、彼の忘れ形見である妹を自分の家で預かったのだ。

 死に様は度し難く、遺体も帰ってこなかったという。その事実がまだ幼かったナーデルに傷を負わせたのは想像に難くない。そんな彼女に、やっと愛する兄の一部であろうものが届いたのだ。ヤズローは運命など信じないが、この偶然は繋げねばならないと感じたからこそ、妹弟子をわざわざシャラトまで呼び出したのだ。

 子供のように泣き続けるナーデルに溜息を吐き、ヤズローは懐から蜂蜜飴を一つ取り出し、彼女の前に置く。それぐらいしか、女の慰め方など解らなかったからだ。

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三人娘の学院生活  @amemaru237

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