エピローグ

「――さて、瘴気の根源は一体なんだったのかしら?」

 倒れ伏した哀れな青年の息を確認してから、ラヴィリエは彼の胸元から床に落ちたものに向き直る。床に落ちたそれは、酷くさび付いた金属のように見えた。

「ええと……これ、櫛かしら?」

「……、おじょうさま、ふれませんよう」

「あら? どうしたのヤズロー。舌を噛んだ?」

 すっと手を翳して止めてきた従者が、もう片方の手で口を覆ってもごもごと呟いている。彼らしからぬ無作法に目をぱちくりさせていると、上からごとがた音がして二人も降りてきた。正確には、骸骨兵に支えられたグラナートが床に降り立ち、背負われた紫花が運ばれてきた。

「乗り心地悪いヨ、こレ」

「失礼なことを仰らないで下さる? 息吹一つで腰が抜ける程疲れているのなら黙っていなさいな」

 紫花は本当に疲労困憊らしく、骨の背中の上でぐったりとして咳き込んでいる。グラナートは逆に普段青白い頬が僅かに紅潮しており、何かを誤魔化すように軽く咳払いをしてから、様子のおかしいラヴィリエの従者に気づいた。

「あら、彼はどうなさったの。何処か怪我を?」

「……しょうしょう、おまちください」

「あっ、解ったわ。舌が七色蜥蜴になってしまったのね?」

 いまいち明瞭にならない彼の言葉に、ラヴィリエは漸く原因に気が付いた。その言葉を聞いた他二人の方が驚いてしまう。

「厄介な呪いの類じゃないカ。ゲホ、そんな面倒なノ、こいつら使えたのかイ?」

 三体目の骸骨兵が確保したミシェル、部屋の隅で気絶しているルイ、そしてラヴィリエの足元で糸に巻かれて倒れ伏しているマルク。あくまで彼らは瘴気に巻き取られた被害者であるのは間違いないはずなのだが。

「いいえ、私の家に仕えていた魔女の呪いなのよ、ヤズローが自主的にかけてもらっていたの。口が悪すぎると自動的に発動してしまうのですって」

「なんでわざわざそんな拷問受けてるのサ」

「いましめです。……、失礼致しました。完治しました」

 手を外すと喋り方が普通に戻った。どうやら先刻まで、口の中で蜥蜴が暴れていたらしい。

「言葉遣いの矯正だとしても重すぎませんの? 貴方の口の利き方は確かに、たまに主に向かってのものとは思えませんけど」

「うふふ、実は昔は結構あったのよね。いつだったかしら、あれは私が――」

「お嬢様。昔話より、危険物の確保を優先してください」

「あらいけない」

 喋ろうとしたのを諫められて、ラヴィリエはあっさり前言を翻した。改めて床に落ちたそれを改めると、錆びついた櫛であるのは間違いなかった。

「うワ、呪殺師の触媒じゃないのかイ」

「可能性は高いですわね……しかし、何故そんなものが此処に?」

「長年放置されていたのは間違いなさそうです。偶然子爵令息が拾ってしまったものでしょう」

「色々と鬱屈としていたみたいだし、触媒に同調してしまったのね。離して落ち着けば良いのだけれど」

 主の娘の言葉に頷き、ヤズローは銀糸でくるくると櫛を巻き取り確保した。とりあえずは危険は去ったと思っていいだろう。

「専門家に渡して処理しておきます。とりあえず、彼らを救護室まで運びましょう。グラナート様、手数を貸して頂けると助かります」

「構わなくてよ、わたくしに任せなさい。もう二体も出せば足りるでしょう」

「エ、アタシもこのまま骸骨に運ばれル? 晒しモンじゃないかイ?」

「失敬な! 大人しくしていなさい!」



 ×××



 塔から出て来たところで丁度、神殿から応援を呼んできたウィルトンと、行方不明になっていた子息達を探していた教師達と合流した。

 教師達は、貴族の子息達を心身ともに傷つけてしまったという、学院の失態になりそうな事態に身を竦め、その隙を逃さずヤズローから提示された、祓魔の家として役目を果たせとシアン・ドゥ・シャッス家へ依頼をしたことにすれば良い、という言説に飛びついてきた。実際、このような事件が起きた時こそ祓魔の出番なのだ、普段どれだけ軽んじられてきても。しっかり報酬は家に支払われることになったので、ラヴィリエは満足げだった。

 神官による調査の結果、三人の子息は心神喪失状態であり、特にルイ辺境伯子息は全身の打撲と数か所の骨折が見つかった為、その治療の為にも神殿へ搬送。瘴気の影響は今後どう出るか解らないので、長期間の治療を必要とするが、三人とも命に別状は無いという結論であった。



 ×××



 玄関ホールのテーブルに設えられた皿の上、たっぷりのクリームが挟まり幾層にも重ねられたパイに、ラヴィリエは青瞳の中の金星をきらきらと輝かせ、歓声を上げた。

「これがあのパン屋の限定販売菓子、ミルフェイユ……! なんて素敵なのかしら、見ただけで美味しさが口の中に溢れてくるわ!」

「はしゃぐのではありませんの、はしたない。……それにしても、どう頂けば宜しいのかしら」

 従者に用意してもらったナイフとフォークを手に取るものの、途方に暮れた声でグラナートは囁く。パイ生地は固く、迂闊に力を籠めると割れてぽろぽろと崩れ、クリームは皿の上にはみ出してしまう。少しずつ切り取ろうとしても形が崩れてしまうし、どうにか一欠け口に入れても今度は口元や膝が汚れてしまう。

「く……っ、修練が必要ですわ、これは。美味なのは間違いありませんけども……!」

「いヤ、これでいいだロ」

 対する紫花は、フォーク等を使うことをすぐさま諦め、指先で丸ごとパイを抓み、もう片方の手で皿を持って丸ごと齧りついた。当然溢れたクリームとパイ生地が口元を汚すが、気にした風も無く指先で拭う。無作法な筈なのに、彼女によく似合った仕草になってしまうのがずるいところだ。視線だけで咎めてくるグラナートを躱して、ぺろりと指を舐めながら笑う。

「ン、美味いネ。結構お高いんだろこレ」

「ふふふ、二巡り分のお小遣いをつぎ込んで三つ手に入れたのよ! お値段に相応しいお味だわ!」

 ラヴィリエはというと、本来凄く食べにくい筈の菓子をあっという間にナイフで切り分けてしまい、優雅に見えるのに且つ素早く口に運び続け、皿を空にしてしまった。一体どのような手管なのか、満足げに軽く口元をナプキンで拭いながら、しかし残念そうに眉を下げた。

「ああ、もう全部食べてしまったわ! もう二個、いいえ三個は買っておくべきだったわね……! またお小遣いを貯める日々を続けるしかないのかしら! 寄付を頂けるととても嬉しいのだけれど!」

「アタシは一個で充分だヨ、ごちそうさマ」

「ええ、有難く頂きましたわ。わたくしの分は代金を払うと言ったのですから、素直に受け取りなさいな、もう」

「魅力的なお話だけど、この二つは私からのご奉仕なのよ! 受け取って欲しいわ、二人にも迷惑をかけてしまったのだし」

 するりと零れた詫びに、紫花とグラナートは互いの顔を見合わせ、表情を変えぬラヴィリエの顔を見やり。

「何の詫びだヨ、さっぱり心当たりが無いんだけド?」

「ええ、全くもってその通りですわね。わたくしが貴女の手管に諾々と従ったことがございまして?」

「うふふふふ、ふふふふふふふふ」

 言い切った二人に、堪えきれないようにラヴィリエは両頬を抑えて笑った。本当に、嬉しそうに。呆れたように溜息を吐くグラナートがそういえば、と話題を変えて茶を一口含んだ。

「……結局ヴァロワ侯爵令息以下二名は、退学という形になったそうですわね」

「オ、そりゃいい知らせだネ。あの鬱陶しい奴らにもう悩まされる心配無いわけダ」

「あらまぁ、そうなの」

 全員、怪我の治療や瘴気抜きは完了したものの、ミシェルは今までの高慢な態度が嘘のように暗闇に怯えるようになってしまった。ルイもすべての不幸の元凶は学院にあるのだと、戻ることを拒否。結果、それぞれの親が退学を決めたらしい。

「ステンシル子爵令息は、進学費用も侯爵家に頼っていたようですから、これ以上の在籍が出来なかったようですわ。……身の丈に合わぬ位置にそも行くべきではない、という戒めなのでしょうけれど」

 機嫌よく茶を啜る紫花に対して、グラナートの歯切れは少し悪い。迷惑をかけられたのは事実、貴族ならば多少の無理を誇りで隠せ、と言いたいところなのだろうが、一番の犠牲者はマルクであろうという理解もあるからだ。

「そういえば、ステンシル子爵令息からお手紙を貰ったのだったわ」

「なんですって、いつの間に?」

「なんだイ、詫び状かナ?」

 ふと思い出したようにラヴィリエが荷物を探り、何の飾りも封筒すらもない、折り曲げられただけの羊皮紙を一枚取り出してテーブルに広げた。酷く弱弱しい筆跡ではあったが、懺悔と詫びと拒絶を兼ねたような文章が綴られていた。

 ――入学式の時、貴女の姿に憧れを持った。

 ――しかし自分には家格も度胸もなく、言葉に出来なかった。

 ――家族になれると聞かされて、喜び勇み、貴女を傷つけてしまって申し訳ない。

 ――しかし自分は最後まで、貴女の言葉を信じることは出来なかった、と結ばれていた。

「湿度の高い奴だネ、そりゃあ呪殺師の櫛にも中てられるサ」

「瘴気に中てられた貴女に其処を咎める資格は無くてよ。……それでも、青い血が流れているのならばもう少し胸を張りなさいなと言いたいけれど」

 うえっと舌を出して見せる紫花に釘を刺しつつ、グラナートも眉を顰める。このどうしようもなく自分勝手な鬱屈自体は、年若い者ならば誰でも持つものだろう。彼は偶然、それと同調する悪意の吹き溜まりに足を入れてしまっただけだ。ラヴィリエはくすりと笑って手紙を折り、仕舞い直して呟いた。

「謝罪なんて、いらないのに。だってあの方達を助けるのは私が勝手にやったことだもの。寧ろ気を使わせてしまったようで、申し訳ないわ」

 何処か静かに、僅かな寂しさが籠ったような声に、グラナートも紫花も一瞬言葉を詰まらせた。しかしその一瞬で、ラヴィリエはいつも通りのにんまりとした笑顔に戻り、床に届かない足先を軽く揺らして上機嫌な声で続けた。

「それに、祓魔としての正式な報酬は学院だけでなく、あの方達のお家からお母様と伯父様が回収してくれるそうだし、本当に気を遣う必要などないのよ! なるべく早めにお返事を書かないとね!」

「その事実は止めを刺しかねないから綴るのを止めておきなさいな!」

「ケッケッケ! そりゃあいいヤ、がっぽり搾り取ろうヨ!」

 情緒も糸瓜もないラヴィリエの宣言にグラナートが叫び、紫花が怪鳥のような笑い声を上げる。そして合いの手を入れるように、ラヴィリエの空になった皿の上で銀色の蜘蛛が足を振り上げていた。

「……前から思ってたけどサ、それ使い魔にしちゃ有能すぎないかイ? あの瘴気の中で平気で動いてたシ」

「それは勿論、私がこの世で最も信頼するヤズローの分身のようなものだもの! 今日は出かけているからこの子が私の護衛なのよ!」

「道理で、姿が見えないと思いましたわ。ご自宅へ報告でも?」

「いいえ、あの回収した櫛を専門家に渡すから町まで出ているのよ。外のお客様を学院に簡単には呼べないのが辛い所ね、私も久々に会いたかったのに!」

 どうやら知り合いらしいその専門家のことを思い出しているのか、ラヴィリエはちょっと唇を尖らせて指先で銀蜘蛛の背を撫でてやっている。蜘蛛は我関せずと言いたげに、皿にほんの僅か残ったクリームを静かに舐めていた。

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