愛情とは足枷にもなりうる

生々しいほどの憎愛が綴られた物語である。一組のカップルが破綻するまでの様子を描いているが、続編があるなら見届けたいと思わされた。ところで、この作品の題名には『バイオリン』とあるが、どこかで登場したのだろうか。もし、隠喩であるのならもう一度読み返したいし、今後に登場する予定なら期待したい要素でもある。

この作品ではキリスト教信者(クリスチャン)の人物が登場するが、形式に囚われて内容が伴ってない信仰は古くから戒めの対象だったりする。少しだけ引用してみよう。

「私はあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく熱くもないが、私はむしろあなたが冷たいかそれとも熱くあることを望む。だがあなたは熱くもなく冷たくもなく、生ぬるいから、私はあなたを口から吐き出す……」(ヨハネの黙示録第3章15.16節)

この作品の登場人物はまさに”生ぬるい”信仰の持ち主である。愛情と執着を区別することは難しいが、それでも自分の思うがままの女性になるように強要するなら後者なのだろう。精神的に未熟な者に宗教の力を与えるとその理解の浅はかさから手がつけられなくなることはしばしばあるが、この作品はその典型だろう。破綻は目に見えている。

対して女性である主人公は”冷たい”人間であると言えよう。宗教や信仰よりも手に取って見れる物を欲している。神はむしろ彼女のような”冷たい”人間を救うのではないだろうか。信仰に薄く冷たい者のために神は手を差し伸べることを厭わないものだ。もしかしたら、使徒パウロのように彼女が神の愛に気がつく日が訪れるのかもしれない。そんなことを考えさせられた。