熱帯夜

六重窓

第1話

 アスファルトが仄かに温かい、よくあるうんざりするような夏の夜だった。冷房の効いた会社から一歩外に出ると、むわりと熱風が全身に纏わりつく。

 終電はとうに無くなっている。俺はタクシーを拾おうと、駅へとぼとぼと向かった。誰のために明滅しているのか分からない信号機を片目に交差点を曲がる。すると立ち並ぶ無機質なビル群に小さな隙間がある。どうやら公園のようなのだが、今まで気付きもしなかった。

 公園のパンダの遊具の上には人影がある。真夜中の公園にいる人間など、碌でもない事情を抱えているに違いないと、俺は自分のことを棚に上げて考える。

「これは山羊だよ」

 年若い少女の声に少しだけ警戒心を解きながら、俺は引き寄せられるように公園に入っていった。公園は然程の広さはなく、馬乗りにされているパンダとブランコがある程度だった。俺は近くのベンチに腰を下ろす。

「帰らなくて良いのか?」

「君は?」

「……帰る途中だ」

「じゃあ僕も、帰る途中だ」

 少女はごろりと背中をパンダに預けた。

「危ないぞ」

「綺麗な空だよ」

 ひらひらと彼女の左手が空を指す。いくら深夜とはいえ都会の夜は明るい。指差す先には、夏の大三角が申し訳程度に瞬いている。

 俺は黙って夜空を見上げた。感傷的な気分にはなれなかったが、オフィスの蛍光灯を見上げるよりはずっと穏やかな気持ちだった。

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熱帯夜 六重窓 @muemado0

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