追憶 3

 ここまでくれば、大丈夫だろう。壁に寄りかかり、私は呼吸を整える。

 雨が降っていた。

 負傷した左腕をだらりと伸ばし、空を見上げる。雨粒が鼻先に当たり、頬を伝う。

 覚悟はしていたものの、予想以上に困難な仕事だったと、私は息を吐いた。

 路地裏の奥、私が来た方に目をやる。追手の姿はない。うまく、まいたようだ。

 パッケージの回収には成功したが、まさか依頼元の組織が、私を早々に始末する予定で、現場に刺客を送り込んでいたとは予想外だった。

 耳の後ろに手を添える。殴られたところが腫れている。油断していたわけではないが、不意打ちな上に数的不利な状況下では、戦闘もままならなかった。

 結局、こうして逃げる羽目になったのだが、元より、組織の殲滅などは眼中にない。

 この聖剣を、彼らの手に渡しさえしなければいいのだ。

 路地裏の道は、通りからの灯りも、空からの月明かりも届かず、夜の闇にのまれていた。視界が悪い。しかし、それは私にとって都合がよかった。追手から身を隠すのに、最適な環境だったからだ。

 パッケージをコートの内側に忍ばせるようにして抱え、私は細い道を歩き始める。

 雨脚が強くなっていく。私の頭上にだけ集中的に雨が降っているかのようだ。そのうち、降り注ぐこの雨粒が銃弾となり、私を貫くのではないかという気持ちになった。

 顔を上げると、通りから差し込む道の途中に、人影があった。

 私は足を止める。

 その何者かは、こちらに近づいてきた。

 現れた方角からして、組織の追手である可能性は低い。

 しかし、ここで会うことが厄介な相手であることに変わりはない。

 その装いから、彼女が騎士なのだとわかった。誰かが騒ぎを聞きつけて通報したのか。

 私は顔を伏せ、その場から走り去ろうとする。

 待って、と声を掛けられる。

「どこに行くつもりなの」

「家に帰るんだ。雨が降っているから」

「その怪我は何?」

「少し、ぶつけただけだ」と、私は腕を隠そうとする。

「じゃあ、その返り血みたいなものは?」

「返り血?ああ……」

 気がつかなかった。先ほどの戦闘で浴びたものだろうか。暗くてよく見えないが、コートが彼らの血で汚れていたらしい。

 確認しようと自分の胸元に視線を落としたあとで、墓穴を掘ってしまったことに気づく。いや、正確には掘らされたのか。心理戦に負けたのだ。

 私のコートは汚れていなかった。

 というより、彼女の言う通り血で汚れていたとしても、雨で濡れているわけだし、この暗がりでは、それが返り血であるかどうかもわかるわけがない。

 つまり、鎌をかけられたのか。

 そのような軽口程度の罠にかかるとも思わなかったが、肉体の疲労と頭部へのダメージで判断力が低下しているのかもしれない。彼女と話を続けるのは、まずい気がしてきた。

 視線を上げると、彼女は得意げな顔で私を見ていた。

「何が目的なんだ……?」

「それはこっちのセリフよ」彼女は肩をすくめる。「人が死んでるって通報があったから様子を見に来たら、怪しい男と出くわしただけだもん」

「仲間はどこにいるんだ」

「仲間?騎士のみんなのこと?それなら、現場に向かわせたわ」と、彼女は通りを指す。

「なら、君はなぜ一人でここに?」

「なんか、この路地裏から、只ならぬ者が潜んでいるような気配がしたからね。魔物みたいな、悪霊みたいな。私、わかるのよ、そういうの」

「冗談はよしてくれ」

 隙をつけば、彼女の横を通り抜けられないだろうかと、私は考えた。いつでも走り出せるようにと足元に意識を集中させる。

 しかし、私の思惑は見抜かれてしまったらしく、彼女はわざと道を塞ぐように体を傾け、壁に手をついた。

「通してくれ」頭痛をこらえながら、私は言う。

「いいわよ、別に。なんなら肩、貸してあげようか?歩くのも辛いんでしょう」小馬鹿にするような彼女の目が、私を見ている。

「……君には関係ないだろう。これは私の問題だ。関わらないでほしい」

 手を差し伸べようとしてくれている人間に対して、強く言い過ぎたかなと思うが、彼女はまったく気に留めていないようで、「なんでそんな大人ぶってるの。辛くない?」と、平然と言い返してきた。

「……どうして、僕を助けるようなことをするんだ」

「さあ」彼女は首を傾げて、笑う。親しい友人に向けるような馴れ馴れしい笑みだった。

「でも、情けは人の為ならず、っていうでしょ。あなたを助けるのも、要は私のためよ。あなたに恩を売っておけば、そのうち返してくれるんじゃないかって期待してるってこと」

 仮にも、街の秩序を守るべき騎士がそんなことを口にしていいのかと、私は思う。

 不思議な人物だ。いつまでもここにいるわけにはいかないのに、彼女の顔をまじまじと見てしまう。

「君には、僕がそんなにかわいそうな人間に見えるか」思い切り突き放すつもりで、私は言ってみる。

「ええ、とってもかわいそう」彼女はそう言って、くすくすと笑う。「でもさ」

「でも?」

「強く生きてるって感じがするね。いいじゃん」

 その時ばかりは、私は身体の痛みも、聖剣のことも忘れ、ただ彼女の言葉に聞き入っていた。

 息を軽く吐く。

 自然と笑みがこぼれた。笑顔に慣れていなかったので、自分が笑っていたことには違和感があった。

 しばらくして、雨が止んだ。月は見えない曇天だが、清々しい夜だなと私は思った。

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聖剣と信仰と銃弾と人殺し 東泉真下 @ndam_

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