条件付け

王生らてぃ

本文

ゆい~。なんか飲み物買って来てよ」



 昼休み、お弁当のサンドイッチを机の上に出したとき、隣の席の三枝さえぐささんがわたしに言った。

 彼女は金色に染めた髪の毛をくるくると指でもてあそびながら、靴を脱いで、椅子の上にあぐらをかいて、スマホをいじっている。



「はやく。今すぐ」

「あの……」



 わたしがサンドイッチを手に握っているのを見ると、三枝さんは目をすがめた。



「あたしの言うこと、聞けないの?」

「そんなこと……」

「結はあたしの言うこと、聞かなくちゃだめだよ」

「う、うん。わかってる」



 カシャッ。



 心臓がすくみあがる。

 三枝さんの持っているスマホのカメラが、わたしに向けられている。黒くて、きゅるきゅると音を建ててピントを合わせるカメラ。それがじっと私を見ている。



「わかった? 紅茶。あったかいやつね。無糖のやつ」

「え。いつものミルクティーじゃなくて?」

「っせーな。黙って言われた通りにしてよ」



 わたしが立ち上がるのを、三枝さんはにやにやしながら眺めていた。その視線は、机の上のサンドイッチに注がれている。

 ……わたしのお昼も、ついでに買ってこないといけないな。



「あ、」



 だけど財布の中を見ると、ちょうど紅茶を買う分しか残っていなかったので、わたしはあきらめて自販機で三枝さんの分の飲み物だけ買って戻った。



「おかえりー。早かったじゃん」



 三枝さんはサンドイッチをもぐもぐ頬張りながら、わたしの買ってきた紅茶を受け取ってごくごく飲んだ。



「ぷはー。おいしい」

「あの……、」



 わたしは、きれいになった自分の机の上を見ながら、駄目元で言ってみた。



「さ、サンドイッチ……」



 カシャッ。



「っ……!」

「おー、いい顔じゃん」



 いい顔なもんか。

 顔の筋肉が、いびつに強張っているのが自分でもわかる。三枝さんはスマホの画面を見ながら、満足げに微笑んだ。



「ありがとね、んーおいしい。このサンドイッチどこの?」

「それは、その……手作りで……」

「へー! すごいじゃん」



 ……ああ、お腹がすいた。

 午後の授業は全く集中できなくて、早く終わって、早く終わって、と念じながら過ごした。








 そうして放課後。



「結。どこ行くの?」



 鞄に荷物をしまって立ち上がると、授業中はずっと寝ていた三枝さんがじろっと、こちらを睨みつけながら言った。



「どこって……帰るんだよ。もうホームルームは終わったんだよ、三枝さんは寝てたから気付かなかったかもしれないけど……」

「帰り、つきあってよ。ちょっと行きたいところあってさ」

「いや、今日は……お金ないし……」



 カシャッ。



「ひ……」



 また、シャッター音。

 わたしが動けずにいる間に三枝さんは立ち上がった。教科書なんてほとんど入れてないくせに、すごく重くて、じゃらじゃらと音がする鞄をぶら下げて、わたしのそばに立った。



「口ごたえするの?」

「…………、」

「結はね、あたしのいうことは何でも聞かないといけないよ。分かってるでしょ? それとも、また『スタジオ』に行こうか?」

「い、いや……!」

「よし! じゃあ決まりね、行こ! 駅前の、この間できたばっかのお店でさ、前から気になってたんだよね〜」



 うきうきと歩き出す三枝さんの後ろを、わたしは動悸を抑えながら黙ってついていく。

 だけど、さっきの言葉がまだ、渦巻いている。

『スタジオ』。

 シャッター音と一緒に、理由ではない恐怖と痛みが連想され、ずっと後からおぞましい記憶がよみがえってくる。

 たくさんの人。

 いろんな道具。

 カメラ。

 わたしは両手を抑えつけられて、動けない。必死に抵抗しても、どうしようもなくて……



「うっ、」



 思い出すだけで吐き気がしてきた。

 立ちくらみのように左右の平衡が崩れて、わたしはその場でつまずいて転んでしまった。



 その時、たまたますぐ近くにいた三枝さんの髪の毛に、右手が引っかかった。

 ぐん、と髪の毛が引っ張られて、彼女の体が後ろに倒れる。



「ぎゃあああああああああああ!」



 その時、教室の窓ガラスが割れるんじゃないかと思うほどの大きな声が響いた。

 くらっとしたわたしの目の前で、膝をついて頭を抱えて、体を丸めている三枝さんの姿があった。



「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………」



 ぶるぶる震えながら、狂ったように同じ言葉をなんども繰り返している。



「三枝さん、」

「ひぃやぁぁ! やめて! はなして! もう髪の毛引っ張らないで、痛い、痛い……!」

「三枝さん! しっかりして……」

「…………、結?」

「大丈夫?」



 三枝さんは、鞄を投げ捨てて、わたしに思いっきりぶつかるように飛びかかってきた。

 痛いほど身体をきつく抱きしめられ、頭を胸にうずめて、震えている。



「よしよし……怖かったね、よしよし……もう大丈夫だよ〜……こわくないよ〜……」



 三枝さんは声を殺して泣いている。

 わたしは彼女の頭を、不安がらせないように優しく撫でてやった。



「こわくないよ〜……京子は、いい子だよ〜……」

「結ぃぃ……」

「よしよし……京子、よしよし……」



 ぎゅっときつく、胴に巻きついた腕がしめられる。

 今日、お昼を食べていなくてよかった。たぶんサンドイッチ食べてたら、胃の中に入っていたそれがぜんぶ出てきてしまうかも知れなかった。

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