第53話


 今年新しく購入したチェスターコートは腰元がキュッと締まっていて、体のラインが綺麗に出るため最近の寧々子のお気に入りだ。


 小花柄のワンピースの上にチェスターコートを羽織って、ましろとデートをした帰り道。

 ばったりと友達と鉢合わせて、そっと笑みを零れさせる。


 「ルルちゃん」

 「あ!寧々子お姉ちゃんだ」


 子供特有のスキンシップが激しいルルは、嬉しそうにこちらに抱き着いてきた。


 彼女が小学生であることはましろも知っているが、傍から見れば大人にしか見えないため、内心複雑そうな表情を浮かべている。


 意外とましろは独占欲が強くて嫉妬深いのだ。


 「寧々子お姉ちゃん、おしゃれしてて可愛いね。デート?」

 「そうだよ、ルルちゃんはどこ行ってたの?」

 「いまから魔女さんの所に行くの! 」


 ニコニコと嬉しそうに手を振りながら「またね」と言い残してルルが走って去っていく。


 「魔女さんって…」

 「……前、軽く話した人です。過去の記憶を水晶玉で見ることが出来る方で…発情期の間に起こったすれ違いも、その魔女さんに見てもらったんですよ」

 「そっか…すごいね、人の記憶を見られるなんて…」


 再び手を繋ぎ直して、ゆっくりと自宅に向かって歩き出す。

 チャンキーヒールしか履けない寧々子に対して、ましろはピンヒールを器用に履きこなしてしまっている。


 颯爽と歩く様が綺麗で、秘かに憧れているのだ。



 帰宅後、当然のように寧々子はましろと共に湯船に浸かっていた。

 背後からギュッと抱きしめられながら、心地よさに目を細める。


 「……その魔女さんが見られる記憶ってさ…いつまで遡ることが出来るの?」

 「どうなんですかね…?けど、前話した時に制限があるようには言っていなかった気が…」

 「あのさ…」


 どこか緊張したような声色に、心配でましろの方へ向き直る。

 想像通り、彼女の顔色は僅かに悪くなっているように見えた。


 「その人に会うことって出来る…?」

 「え…」

 「…父親の本妻…今の私の母親の過去を、見たいの」


 突然のお願いに戸惑ってしまう。

 幼い彼女に酷い扱いをした女性の過去。

 それを見て、またましろが苦しい思いをするのではないかと心配になってしまったのだ。


 「……どうして私にあんな扱いしてたのか…気になって…」

 「明日、尋ねてみますか?」


 力強く頷くましろを見て、「やっぱりいい」と言って欲しかった自分がいたことに気づいた。

 散々傷ついて、ボロボロにされたましろが、更に深い傷を負ってしまうことを恐れてしまうのだ。

 



 

 菓子折りを持って、バラ園に囲まれた一軒家のインターホンを押す。

 出迎えてくれた彼女は、寧々子とましろの姿に僅かに驚いたような表情を浮かべていた。


 アンティーク調の家具が並んだ室内に招き入れられて、お決まりとなったローズヒップティーを出してもらう。


 机を挟んだ反対側のソファに腰掛けた魔女は、以前のように水晶玉を取り出していた。

 言わずとも、目的がそれであることを彼女も察していたようだ。


 「それで…今日は誰の記憶を見れば…」

 「この人」


 鞄から、ましろが一枚写真を取り出す。

 とても容姿の整った綺麗な女性で、歳は40歳手前くらいに見えるが、実際はもう少し歳を重ねているらしい。


 優雅に微笑む女性はとても優しそうで、まさか吸血鬼の子供に虐待じみた行動を取るような人間には見えない。


 「…いつ頃にしますか?」

 「11年前の…5月?あれ3月だったかな…」

 「……私は、ありのままの事実をお見せするだけですが宜しいですか?」

 「……はい」


 水晶玉に手をかざせば、透明から徐々に白濁色に染まっていく。

 そうして浮かび上がった映像には、若かりし頃の写真の女性が映し出されていた。


 どこか緊張した顔色で、別の女性と話している。


 『私、ましろちゃんのお母さんになれるのかしら』

 『大丈夫だよ、ずっと子供欲しかったんでしょう?』

 『ええ……最初は戸惑ったけど、あの人と半分血は繋がっているんだもの。きっと可愛がって、素敵な家族に……』


 そうやって憧れを語る女性の顔は、キラキラと希望に満ちている。

 

 『……私が子供を産める体だったら、あの人も他の女性に夢中になったりしなかったのかしら』

 『でも、不倫相手って吸血鬼なんでしょう?』

 『吸血鬼は生きるために血が必要だから……お金持ちに飼われている人も多いらしいの。血液パックは16歳までしかもらえないでしょう?お店で買うには高すぎるし…パートナーがいなくてお金もない吸血鬼は……そうやって生きるしかなかったの』


 ポツリと零れ落とした言葉を聞いて、ましろが身を乗り出して魔女の手を掴んだ。

 水晶から手が離れたため、当然映像もそこで途切れてしまう。


 法改正をされて、希望する吸血鬼には全員血液パックが配布されるようになったのは、つい最近の2年前の話。


 それ以前は16歳までで配給はストップしてしまうため、吸血鬼は生きるためのパートナー探しに必死だったそうだ。


 また、吸血される人間側のボランティアを募って希望する吸血鬼とマッチングをする制度も、ここ10年程前に始まったものらしい。


 「…どうされました?」

 「…もう、いいです」

 「……よろしいのですか?」

 「……もう分かったから……十分です」


 ましろの義理の母親も決して悪魔のような人間ではなかった。

 きっと酷く複雑な心境の中、必死に向き合おうとしていたのだ。


 「ごめんなさい、魔女さん…」

 「いえ…過去を見ることも、もちろん大切かもしれません…だけど、一番大切なのはこれからですから」


 レースの付いたハンカチを取り出して、魔女が水晶玉を磨き始める。


 「過去は変えられないけれど、未来はいくらでも変えられる。顔色を悪くさせてしまうほど辛い過去なんて、見る必要も思い出す必要もないでしょう」


 深々と頭を下げてから、持参した菓子折りを差し出す。

 出されたローズヒップティーを、ましろは半分ほどしか飲んでいなかった。


 ただ口に合わなかったのか、飲み物を飲む気分になれなかったのか。

 自宅までの道のりに、どんな言葉を掛ければ良いか迷ってしまう。


 「ごめんね、今日付き合わせちゃって」

 「いえ……どうして、その人の過去を見たいと思ったんですか?」

 「……どんな気持ちだったのかなって。旦那が他所で作った子供を引き取って、育てさせられて…。不思議だよね、あんなに恨んでた人なのに…今は少しだけ憐れんでるの」


 そう言うましろの目に、迷いの色は浮かんでいなかった。

 ようやくけじめを付けられたのか、真っすぐとした目をしている。


 「私に酷い言葉吐いてる時…今考えたら泣きそうな顔してた気がして……」


 きっとこの人の中で折り合いがつき始めているのだ。

 長年構築し続けた恨みを、忘れたがっている。

 少しずつ、忘れ始めているのだ。


 「もう…恨むのに疲れたから」

 「ましろさん…」

 「恨めば恨むほどあの人に囚われるような気がして……」

 「……ッ」

 「全部忘れて…寧々子と幸せな思い出を沢山作っていきたい。過去と向き合うことも大切かもしれないけど…私には寧々子がいるから…」


 もう他に何もいらないと、ましろが言葉を続ける。

 大切な人がいれば憎しみ何て必要ないと、そう思えているのだ。


 「……あんなに吸血鬼の自分が大嫌いだったのに…寧々子が受け入れてくれると、そんな自分も悪くないかなって思えるの」


 軽く背伸びをして、彼女の唇にキスをする。

 愛おしい想いを伝えるには、これが一番だろう。


 「私も…猫族の自分が嫌いでした。目立つ見た目も…猫耳も尻尾も…けど、ましろさんが可愛いって言ってくれるから、好きになれた」


 キュッと手を繋いで、優しく力を込める。


 「ぜんぶ…ぜんぶあなたのおかげです」


 体を引き寄せられて、夕暮れのオレンジ色の光が降り注ぐ街中で、互いの体を抱きしめ合っていた。


 沢山傷ついて、苦しんで。

 だからこそ、互いの気持ちが理解できる。

 傷を舐め合って、寄り添い合うことが出来るのだ。


 



 玄関に続く廊下の端っこに纏められた雑誌の束。

 明日は資源ごみなため、捨てるためにましろがまとめたものだろう。


 結びが甘かったのか、僅かに紐が緩んでいる。

 このままでは持っていくときにバラバラになってしまうため、結び直そうと軽くしゃがみこんだ。


 「あれ…」


 一番上に、あのお姫様の絵本を見つける。

 意地悪な継母に虐められて、ずっと苦しみ続けたお姫様の物語。


 幾つも涙の痕が残っていたこの絵本を捨ててもいいのだろうかと、戸惑ってしまっていた。


 「どうした?」

 「これって明日捨てるんですか?」

 「そうだけど」

 「絵本、捨てちゃって良いんですか…?」


 おろおろとする寧々子に対して、ましろがカラッとした笑みを返してくる。


 「それ、もう何年も読んでないから…前、軽く話したでしょ?小さい頃はお姫様に憧れていたって…」


 同じ高さまでしゃがんだ彼女は、そっと絵本の表紙を指で撫でていた。

 その表情は晴れやかで、未練何てどこにもない。


 「…けど、もういらないかなって。私には寧々子がいるから」


 心の底から幸せそうに微笑まれて、寧々子も釣られて笑みを零していた。


 「お姫様の次になりたい夢とかはあるんですか?」

 「そうだなあ…何だろう。寧々子は何が良いと思う?」

 「何でもなれますよ。2人一緒なら」


 顔を見合わせて、2人で笑い合う。


 寧々子たちはお姫様じゃないから、ピンチの時に救ってくれる王子様は現れない。


 正義のヒーローにも助けてもらえないけれど、そんなものは必要ないと今なら思えるのだ。


 不安な時、隣にはましろがいる。

 苦しい時も、辛い時も。


 誰よりも寧々子の想いを理解して、寄り添って支え合える彼女がいれば、もうそれだけで十分だ。


 吸血鬼と、猫族の女の子。


 決して物語の主役にはなれない2人かもしれないけれど、何が何でも幸せを掴み取るための強さは互いのおかげで手に入れられた。


 誰かに助けてもらわないと生きていけないほど、寧々子もましろも弱くない。


 幸せを待ち続けるお姫様だって、性に合わない。


 どちらかが転びかければ、もう片方が手を取れば良い。


 それを繰り返していけば、きっと2人に怖いものなんてない。


 自分がなりたいと望む者に。

 憧れ続けた、理想の自分に。


 1人なら怖いけど、2人一緒にいれば何にだってなれるのだ。


 (了)

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猫ノ山寧々子はネコになる ひのはら @meru-0731

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