01 暗闇と、猫

 気付けば、暗い場所にいた。


 光は無く、どこが地面なのかわからなくなるほどに深い黒。


 俺は、座っているのか、それとも立っているのか。その判断もつかないくらいだ。


 少なくとも足裏は地面についていない。


 いや…………違うな。




 身体が、無い。


 足がないから、立っていない。


 下半身がないから、座ってもいない。


 上半身すらないから、寝転んでもいない。




 ただ視界だけが機能する空間に、俺はいた。




 俺はその状況を、不思議なものだとは思わなかった。それより、自分が何故ここに来たのかだけが不可解だった。


 記憶がないのだ。




 ごっそりと削られたように、頭…………はないけれど、思考の中に渦巻く記憶の大部分がトんでいる。


 自分の名前、年齢、身長はどのくらいだったか、どんな仕事に就いていたのか。


 そんな情報が、デリートされたように空白と化している。




 それなのに、言葉は分かる。


 日本語と、英語を少々。それらは一般教養程度には身についているようだ。


 一体何なんだ、まったく。暗いところ、結構苦手なんだけどな。




 頭を掻こうとして、腕が無い事に気づき、その直後に頭すらないことを思い出した。


「はぁ…………」


 なんだかやるせない気持ちになり、ため息を_____あれ、ため息が出た?




「喋れるのか…………」




 口は無いのに、声は出る。変なシステムだな。


 声が出ると分かってからは、俺は暇つぶしに言葉遊びを始めた。




「赤パジャマ青パジャマ黄パジャマ、生麦生米生卵、すもももももももものうち!」




 早口言葉だったり、発声練習だったり。


 暗くて何もないけれど、よく声が反響する空間で遊ぶのは結構楽しい。


 自分でもアホらしいと思うけれど、暇を持て余すよりはマシだろうと思い、言葉遊びを続ける。




 ____そんな時だった。




「あめんぼあかいなあいうえお!」




『____うきもにこえびもおよいでる』




 俺の言葉に、誰かの声が続いた。




「うわっ、誰だ?!」




 誰かの姿は見えない。依然として真っ暗な空間が果てしなく続く中、降り注ぐように声がやってきた。




 それは女性の声…………だと思う。高い声色だけど、ボーイッシュな一面も見られるせいでそこのラインは曖昧だ。




『いやぁ、思ったより楽しそうだね~』




「…………ど、どなた様で?」


『私かい? 私は、そうだな…………君の救世主、とでも名乗っておこうかな』


「救世主…………? 俺は、どっかであなたに救われたのか?」




 妙なことを述べるその「救世主」とやらにそう尋ねると、彼女は朗らかに小さく笑った。




『フフ、救ったんじゃないよ。救うのはこれからの話さ』


「は、はぁ…………」




 多分、この人は詳細を今すぐ答える気がない。それだけはなんとなくわかった。




『君が知りたいのは私のことじゃなくて、自分のことじゃないのかい?』




「あぁ…………そうだった。え、えっと、説明しずらいんだが、記憶とかが全部ごっそり削られてて、色々不明なことが多いんだよ。ここってなんなんだ? 俺は何か秘密裏な実験にでも参加させられてるのか?」




『実験? ハハっ、それはSF映画の見過ぎだねぇ。でもそうか、もう映画やらの周辺記憶の修正は整っているのか____』




「周辺? なんの話だ?」


『まぁまぁ。順を追って説明するさ。___その前にまず、話しやすい身なりを整えなければね』




 身なりって、こんな暗がりで服装なんぞ整えてもさ。


 なんて思った直後。




「うおッ?!」




 絶え間ない黒の合間から、光が現れた。


 目を塞ぎたくなるほどに強烈な光は数秒かけて俺の視界ほどの高さまで降りてくると、やがて形を変え、人の形に…………ならなかった。




「猫?」


『ふふん、君らは猫だーい好きだろう?』


「人によるだろ…………まぁ俺は好きだったけどさ」




 確か、実家で猫を飼っていたんだったな。もう十五年ほど生きているおばあちゃん猫だけど、俺の昔からの愛猫だ。




「…………あ」


『どうしたのかにゃ? なにか思い出しちゃった?』




 猫になった救世主さんは、ニマニマしているのが猫の姿でもわかるほど卑しい声を出して、こちらを見つめていた。




「…………それに姿を変えたのは、俺の記憶を思い出させるためか?」


『アハハ! まぁーねぇー‼ ちょっとしたチュートリアルだよ、記憶を取り戻す感覚を、今のうちに味わってほしくてね』




 胡散臭いなぁこいつ……。


 って、待て。記憶を取り戻す? ってことは……。




「やっぱりこれって、記憶障害か何かなのか?」


 そう問えば、救世主さんは猫目をウィンクして肯定してみせた。




『イエェェース! 君の記憶の主体部分は、衝撃で一気に吹っ飛んじゃったみたいだね~。ナハハ』


「わ、笑えねぇ…………」




 吹っ飛ぶって、俺が思っていたよりやばい事態じゃないか?


 なにが「あめんぼあかいな」だ、「おさきまっくら」の方が的確だろう。




 いや、実家の猫の記憶は戻った。俺の両親がどんな人だったかは…………まだモヤのかかったように思い出せないが。


 他の記憶も、もしかすると。




『まぁまぁ、そんなに心配しないでよ。君の記憶は戻るさ、次の人生でね』




 そ、そうか。


 ならまぁ安心_____は、今何と?




「次ってなんだよ?! 俺は戻れないのか?!」


『戻る? どこにだい?』




「んぐ………わ、わからないけど、俺がここに来る前にいた場所にだよ! 実家があることだけはわかる、それってつまり、親とかもいるってことだろ?! 俺が何歳かは知らんが、もし結婚相手とかがいるなら、さっさと戻してくれよ!」




 唐突に沸き上がった焦燥感に駆られ、声を荒げた。


 地球にある、日本と言う国の、そこそこ発達した地域。そこに少し古ぼけた造りの実家がある。




 親がいて、もしかすると別の場所にはすでに俺の家は陣取られて、そこに俺の彼女とかがいる可能性がある。だとしたら、記憶がないのはまずい。あとこんな変な夢、なのかはわからないが、さっさと覚めてもらった方がいい。




 その考えに至って、一刻も早く記憶を取り戻したいというもどかしい気持ちに胸が締め付けられた。




 しかし。




『安心しなよ』




 猫のこいつは冷たい声色で俺を宥めた。




『君の人生にはまだ配偶者なんて一人もいないさ、ご両親も見切りをつけて退職して、健やかに安定した余生を送っているよ』




「そ、そっか」




 おらんのかい。


 いや、心配する要素が減ったし、いいことだが。




 …………へぇ。


 彼女いないんだ。ふぅん。まぁいいんだけどね。俺は別にそこまで色恋沙汰に富んだ人生を送りたいわけじゃないし。うん。




 ____………ってことは俺、まだ童貞…………うん、本題に入ろうか!




「はぁ………で、俺はいつになったら戻れるんですかい、救世主さまよ」


『え? もう戻れないけど?』


「え?」




 ハナシがチガウ。




「はぁッ?! も、戻れないってどういうこと?! 俺こんな暗いとこに閉じ込められたままなの?! 俺の人生ここで終わるの?! 身体もないのに?! まだ童貞なのに?!」




 いやだ、せめて童貞は捨てたい。なんかこう、ありとあらゆるプライドが…………‼




『落ち着きなされ、君はちょっと痛い目に遭って、ぺしゃんこに潰れて人生を終えただけだよ。だからここにいるの』


「は…………ちょっとまって、もう一回言って」


 すでに頭の中はぐちゃぐちゃだ。


 ぺしゃんこがなんだって? 


 なんだか今残酷な事実が片耳に滑り込んできたなと思いながら、それを咀嚼しきれずに言葉の反復を求めたが、それが残酷だった気がするという感覚を思い出し、慌てて止めようと声を出した。




「待って、やっぱり_____」




 でも、止めるには遅かった。




『君はね。____死んだんだ。日を跨またぐ過酷な残業続きの末、勤務帰りにフラフラの足取りで道路のど真ん中へと躍り出て、運悪くそこを走行していた車に撥ねられ、ほぼ即死で命を失った』


「____」




 息が詰まる思いだった。


 喉という器官は今持ち得ていないので、詰まるも何もないのだが、それでも、心臓があったなら破れてしまう勢いで激しく鳴っていたのだろう。


 死んだ。


 そうか。死んだのか。



 ここは、じゃあ____地獄か。



 思ったよりも落ち着いた雰囲気だ。何にもない、苦痛もないけど、誰もいない。


 はぁ…………マジか。




「俺はここから、ずっと一人なのか? それとも、あんたが番人的な存在で、俺を見張っていたりするのか?」



 地獄の一般的なイメージを呼び起こし、ありがちな質問をなげかける。地獄とか天国とか、こういう変にくだらないことは覚えているんだな。


 すると、猫は少し困った様子で答えた。


『私が番人的な存在ってのは、あながち間違ってはないのかな。でも、君がここにずっといるというのと、私が君を見張るっていうのは不正解』


「と、言いますと…………?」


『さっきも言ったけど、君には次の人生があるの』


「次…………来世ってことか?」


『そう。君が次に生まれ落ちる世界は、君の存在した「地球」とは違う場所だよ』



「へぇ、やっぱり異世界ってあるんだな」


 俺のくだらない記憶の羅列にも、異世界の文献やら娯楽メディアやらの情報は残っている。


 紙媒体だったらライトノベルが。映像媒体だったらアニメが挙がる。異世界に、俺がどんな感情を持ち合わせていたのかはわからんが…………ともあれ、夢のある話だ。


『そうだね、君たちの間では異世界という表現が正しいかな。


 実際は世界の延長線上、何億年もの昔に、いつか地球と呼ばれる惑星の運命が分裂して、パラレルワールドが生まれて宇宙に散らばったものなんだけど、そこら辺の詳細は面倒くさいから省いておくよ』


「そうか」


 SF系の類の話はちょっと聞きたかったが、まぁいいか。




「んで、俺はこれからどうなるんだ? 異世界に送られて、そこでセカンドライフを送ればいいのか?」


『いや、まぁそれでもいいんだけどさ…………君は結構貴重なケースだから、色々お願いしちゃいたいことがあるんだよね』


「ほう、お願い」


 すると、猫は下手に出たように近づき、俺の視界の目の前まで来た。


 そしてそこから始まったのは、なんだか人の知っていい領域じゃないような、そんな話だった。



『だいたいの人間は、事故で死亡した際、死んだことを受け入れられずに精神の大部分を破壊された状態でこの場所にやってくる。



 生命の精神体が、次の生命に還元されるこの地では、ダメージを受けている精神体は不完全な状態で次のへと飛び立つ。



 でも、ダメージを受けていて普段よりメモリが大幅にカットされている精神体は、次の生命に還元される時に残しておくエネルギーを選ぶんだ。



 大体の場合は、莫大な容量を伴う「記憶」をこの場所に捨てていって、クリーンな状態で生まれるんだけど…………君は元々、主体を担う記憶が欠損しているためか、死んだことに対するショックが少なく、記憶の容量も少ないせいで次の生命に、今の精神体のまま移行できてしまうんだよ』



 長ったらしい猫の説明をまとめると、こうなる。


 俺は交通事故で即死、その時に記憶障害が起きた。


 普通の人間は、事故で無くなった時にその現実に耐え切れずに精神にダメージを負うのだとか。


 そのダメージを受けた精神は、来世に行く時、記憶まで一緒に持って行くための容量が足りない。


 だから赤子はみんななんにも知らない純粋な状態で生まれる、みたいなことらしい。


 しかし俺は、来世に行くために必要なメモリ容量を維持しているし、記憶も欠損しているから、来世にこの状態のまま行けちゃうのだ。自分がどこの生まれかも、何歳ごろだったかも知らないってのは感覚的に少し不便だがな。


『で』


 猫はまだ続ける。


『君の記憶は、さっき私の姿をみた時のように関連付いたものから復元できるようだ。


 だから、君は来世で前世の人生に関連付いたものに触れることで、どんどん記憶が蘇っていくんだよ』




 実家の猫を思い出す事が出来た。




 毛柄も同じで、仕草も似ている。そんな姿が、実家のペットに似通っているというだけで記憶が復元した。


 そんなうまい話があるなら、認知症やら諸々の記憶欠損にも役立つことだろうけど。


 …………まさか、こいつが、とかじゃないよな?


 いや、今はそんなことを考えても仕方がない。疑うことで得られるものはない気がするし。


「じゃ、来世ではなんとかやりくりすれば完全な前世の記憶を取り戻せるって可能性もあるってことか」


『ザッツラーイトッ‼ セカンドライフ兼自分探しの旅、どんどんと夢が広がっていくでしょう?!』


「あぁはいはい、胡散臭い」


『ひどいにゃぁ。君の人生がより楽しくなるよう、ツアーガイドでもしてあげるつもりなのに』



 はぁ、なんだかややこしいことになった。


 二度目の人生があることはなんとも幸福なこったが、このうざい猫と一緒ってのは気に喰わん。


「ツアーガイドなんかいらん、俺はせっかくの転生を楽しく____うおっ?!」


 その時、俺の意識が大きく揺らいだ。


 視界がブレ、猫の姿が一瞬だけ何重にも重なって視えた。




『おやおや、もう還元の時間が近いみたいだね』


「………来世のお出迎え、的なやつか?」


『うん、もう残り時間が少ない。次話せるのは、二年後か………はたまたもうちょっと先か。だから、さっさと本題を話しちゃうね』


 猫は、人間らしく『コホン』と咳ばらいを一つ。そしてこれまたあざとくウィンクをした。



『____魔王、目指してみないッ?』



「………ほう」


 一瞬ツッコもうかと思ったが、魔王という単語が引っかかった。


 魔王、知っている。


 俺の中に残っているくだらん知識の中に、相対的にみれば周囲より大きなリソースを割いて鎮座している。




 とある物語の中では、全世界の支配を目論む悪の根源で。


 とあるゲームでは、平和な世界と荒くれた化け物たちの棲む魔界とやらと結合して、平和な世界を混沌に陥れようとする策士で。




 とある世界では、全てを超越した力を持つ、最強の生物で。




「_____‼」




 また一つ、記憶が蘇った。


 俺は小さいころから、魔王と言う存在にやけに憧れていた。


 ゲームとかの設定資料集を古本屋で買って、それをみてまず開くのが、ボスのページ。


 ワクワクしながら、魔王城のグラフィックアートだとか、魔王の使う武器案のラフだったりとか。そんなものを見て興奮してたもんだ。




 魔王、誰よりも強く、最後の最期で自らの弱点を晒さなければ、選ばれし勇者でも叩き潰してしまえるような存在。




 俺はそんな魔王に、勇者よりも多くの可能性を見出していたな。


 あぁ、懐かしい。




「____はぁ、俺にこんな事を思い出させて、どうするつもりだ?」


『フフフ、やっぱわかっちゃった? プレゼントだよ。君が私の要求に応えてくれるように、念押しだよ‼』




 やはり、魔王の記憶はこいつが蘇らせたのか。


 この猫は………神か何かなのか? 魔王の事を思い出そうとしたところにイメージを送り込まれた感じだったから、思考を相手に送る力でも持っているのだろうか。




『ねぇねぇ、どう? 魔王! なりたくなってきたんじゃない?』




 なりたくない。といえば、嘘になる。


 なれるものならなってみたいし、憧れがあるのも事実だ。


 でもなぁ………なんだかこいつの思惑に載せられているみたいで癪に障る。




「………俺が魔王になることができたとして、お前になんのメリットが?」


『それはなってからのお・た・の・し・み! 乙女にもプライべートな事情があるのよん』




 言うつもりはないらしい。なにが乙女だ、猫じゃねぇか。


 ………はぁ、まぁいいか。なれなかったとしても、俺にデメリットがあるとは思えない。




「………わかった、目指すだけ目指してみるよ」


『やったァッ‼ いいねぇお兄さん‼ 分かってるねぇ‼』


「やめろそのギャルモノの飲み会みたいなノリ」


『え? 好きでしょ?』


「好きじゃねぇッ‼」




 ダメだ、こいつといると調子狂う。


 この際だし、こいつと約束なものを結んでおきたい。俺の来世になんら支障が及ばないように。




「おい猫」


『にゃん?』




「一応言っておくが、俺が魔王を目指すのは、あくまで………第三目標くらいの立ち位置にある。


 一つ目は順風満帆な異世界スローライフ的な人生、二つ目は前までの俺の記憶を取り戻すこと。


 その次に魔王だ。それは理解しておいてくれよ」




『フフ、今はそのくらいの位置でいいよ。まぁいつか、それがや・む・を・得・ず・第一目標になってしまうのは、覚悟しておいてね』




「………はぁ? 何言って………いや、答える気はないか」


『理解が早くて助かるねぇ』




 ………俺って口下手なのかもしれない。約束というより忠告になって、さらにちょっと脅しのようなカウンターを喰らった。


 いや、まぁいい。どうせ来世になったらこいつはしばらく話しかけてこないんだ。




 あと二年、ゆっくりゆっくり考えよう____あれ?




「なぁ、俺ってもしかして赤ん坊から____うわッ?!」




 意識が揺らぐ。


 さっきよりも強く、重く俺の視界を潰すようにブレさせる。


 もう意識が保てない気がする………ダメだ。まだ質問が何個か………‼




『もう時間だねぇ。寂しくなるけど、いい来世を送るんだぞ?』




 待って、ちょっと質問が‼


 あ、ダメだ、もう声が出ない。本格的に意識が潰れてきている。




 ___聴きたいことが、ある、のに………‼




 ___俺が、もし、赤・ん・坊・か・ら・スタートだったら………‼


 スタートなんだとしたら………‼








 二歳になったらまた会うってことじゃねぇかァァァァァァァァ‼






 ………




 ◇◇◇






 こうして、俺の来世はスタートした。




 俺が自由に動き回れるようになったのは、だいだい二歳の誕生日を迎えた頃。


 そしてそれとほぼ同時に、猫からの招待状が届いたのであった。

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次世代魔王候補は、自分探しをやめたくない かま茶 @KuroiKitsune

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