思い出が消えてゆくということ

鷹樹烏介

思い出が消えるということ

両親が相次いで死んで、私は天涯孤独の身となった。

最後に母が過ごしていた家は、いわゆるゴミ屋敷一歩手前の惨状となっていて、父の葬儀後、四十九日の遺骨を置く場所さえない有様だった。

私が一度きれいに整理し、「これ以上散らかすなよ」と言って置いたのだが、実家を訪れる毎に物は増え、再びゴミ屋敷になりかけていた。

もともとキレイ好きだった母だが、年齢的に家事が限界だったところに、連れ合いが亡くなって限界を突破してしまったのだろう。

私の家の近所に介護老人ホームがあったので、パンフレットなどを取り寄せ、何度か実家を出て移り住むことを勧める話し合いをもった。

だが、老人の常で「住み慣れた場所を離れたくない」という思いが強く、少しづつ慣れてもらう意味で、私の家に泊まってもらい、近所を散歩するなどをしていた。

急激な母の衰えが気になっていたからだ。

父が亡くなってから、なんだか急に花が萎むように元気がなくなり、体重も落ちて、まるで幽鬼のような表情になってしまっていた。

約一年かけての説得で、ようやく母も介護老人ホームへの転居に興味を示してくれるようになり、

「転居記念に、行きたかった大阪旅行に行こう。また、だんじりが見たいって言っていただろ?」

「いいわよ。あんた忙しいんだから」

……そんな、会話をしていた頃、急に母の体調が悪くなり、約半年の闘病後亡くなってしまった。

生まれ故郷の堺を死ぬ前に一度訪れたいという希望は叶えることは出来なかった。


葬儀を終え、転居したら着手しなければならないと思っていた、残置物の整理をした。気の重くなる作業だ。

母のベッドサイドには、大阪の観光ガイドが置いてあり、たくさん付箋がついていて胸がつぶれた。

爪弾いていたウクレレ。

健康為に……と、やっていたフラダンスの衣装や道具。

私が中学生の時、賞をとった絵が、未だに飾ってあった。

傷のついた柱。スローイングナイフを投げて刺して、ものすごく怒られたっけ。

二十代後半まで、実家で暮らしていたので、そこかしこに、思い出の痕跡があった。

友人らに配っていた私の著作の残りがあった。

近所の書店数カ所で五冊程度を予約注文し、足が悪いのに杖を突いて回収して廻っていたらしい。母は、私の作品の最初の、そして一番のファンでいてくれた。

彼女が丹精込めていた庭木は、近所から枯葉が落ちると苦情が出て、伐採することになった。

今までは、母がマメに掃除していたから、苦情が出なかったのだ。

毎年、香っていた立派なキンモクセイも、春を告げてくれていた寒紅梅も、居間の目隠しに茂っていたキョウチクトウも全て伐採され、残った切株には根を枯らすための薬液が注入された。

作業を見届けながら

「ごめんな。ゆるしてくれ」

と、手を合わせていると、涙がこぼれそうになり、思わず空を仰ぐ。

造園業者さんが去り、ガランとなった庭を見ていると母の死が改めて意識され、こうして思い出は消えてゆくのだと思った。

今度は家の中の残置物の撤去だ。

買い取り業者や、廃棄業者さんと打合せを行い、現地下見に同行し、持ち帰るものと廃棄するものを仕分けする。

父や母が思い入れがあって集めたものだろうが、全てを保存しておくことなど出来ない。

私はアルバム類と形見として残しておく物だけを私の家に運ぶことにして、全ての廃棄を決めた。

アルバムには、私が生まれる前のまだ若い父と母の写真が残っていて、いずれ死ぬとは思っていないようなはじけるような笑みで写っていた。


「作業が終わりました」

と、廃棄業者さんから連絡があり、撤去後の映像が送られてきた。

残っているのは、柱と壁と床だけで、まさに空虚そのものだった。

多感な中学生から高校生まで。

まるで風来坊のように家に寄りつかなかった大学四年間。

社会人になって、貯金をして一人暮らしが出来るように独立するまでの数年。

私は、ここで暮らした。

以前は、その残滓を感じることが出来たのだが、今はない。

壁に残った家具の痕跡が、まるで墓標のようだ。

「こんなに、空気はかわるのか」

驚きがあった。

人がいて、物があって、変わらぬ庭木がある。

それが「思い出」という形だった。

今度は、土地建物が売却される。

リノベして内装が変わっても、取り壊されて新しい家屋が建っても、もうここは私が帰る場所ではない。

今は克明に覚えていても、いずれ記憶は風化して消える。

思い出は儚いものなのだ。


――実家の供養に代えて――



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