来たるべきもの (改稿版)

雨宮吾子

来たるべきもの

 高いところで唸る南風をその翼に孕んだ鳥たちが、強風に慄きながらも空の中を巧みに泳いでいく。一つの陣形を作ったかと思えば離散し、また何か意味があるかのような模様を形作るその様は、人の営みの遥か上空で行われているから気に留める者はないが、立派な営みの一つといえた。そこに何の意味があるのか、またどうしてそのようなことをしなければならないのか。人が営みの全てを理性の下に行うのではないのと同じように、鳥の群れは果てしなく続く空間と時間の中で、ただ今を生きているのだ。

 台風を前にした黄昏時に近い時間、森の中から鳥の群れをじっと見上げる一双の瞳があった。梟である。その大きな黒い瞳はどこか知性を感じさせもするが、また同時に恐ろしくもある。例えば、人が己以上の知性を前にしたときがそうであるように。恐ろしさは、梟が言語の通じない相手であるだけになおさら強まる。今、上空を見上げるこの梟が何を考えているか、分かるはずもない。ふと、何かの拍子にカラスが鳴いた。三羽ばかりのカラスが連れ立って行動しているのだが、鳴き声のポリフォニーが意図せず生まれた瞬間、梟は飛び立った。

 風はやはり強い。そのためか、あるいはそれに関係なく低いところを、飛び立つときと同じように静かに飛翔していく。木々の間を飛び抜けて森を出ると、川にぶつかった。梟は下流に向かって飛び続け、やがて堤防のある地区にまで来た。梟は堤防の斜面に腰かけていたある人間をちらりと見た。飽和点ともいえる時代によく見受けられる、多くを背負いすぎているような人相だった。梟はちらりとその人物を見たけれども、次の瞬間には何か大きな使命を受けているかのように、脇目も振らずに飛び続けた。そうして海の向こうへ、この邦ではないどこかへ、梟は飛び去ったのだった。




「梟か……?」

 誰に言うでもなく、自分は呟いた。東の方へ飛び去った見慣れない鳥は、何を目指して飛んで行ったのだろう。自分は疑問を覚えずにはいられなかったけれども、次の瞬間には小さな出来事に気を取られることの無意味を感じて、すぐさま意識の外へ追いやってしまった。

 堤防の斜面に腰かけて何事かを考えていたのが、突然の梟の出現によって遮られた。後から再び思考に没頭しようと思っても、考えていた何事かはもう四散してしまっていて、自分は思わず天を仰いだ。天に問いかけたところで天は何も答えない。そもそも、自分には信仰はまるでなかった。だから、天を仰ぎ問いを投げかけたところで、何かが返ってくるものとは全く期待していなかった。

 冷静に考えれば、重大な事柄を考えているのであったなら、一羽の闖入者が現れたところでそれを忘れるはずもない。自分はいつもいつも深刻な顔をしていると言われるが、実のところは軽佻浮薄な一人の若者に過ぎない。明日の哲学の成就よりも昨日の放蕩の名残を惜しみ、昨日の成功を後生大事にして明日の失敗を恐れる。だからさっきまで何でもないようなことを、深刻そうな顔をして考えていたのだろう。くだらないことだ。

 しかし、自分はどうしてこんなところにいるのだろう。この場所が分からないということはないが、普段なら寄り付かないようなところへ来てしまった理由を、自分はやはり忘れてしまっている。どうしてだろう、と考えるうちに思考は別の筋へと流れていく。川の流れをじいっと見つめていると、そこには一種の哲学があるように思われてきた。水は低きに流れる、これは自明のことだ。しかし、同じ空間に流れる水は同じようでいて、先の瞬間と後の瞬間とでは別の物質がその空間を占めている。そうであればこそ水は流れていると言えるのだが、そんな当たり前のことを、自分は今この瞬間までまるで理解していなかった。そのことを理解した瞬間、自分は恍惚とした。……

 以前、ある金持ちの友人がいた。蓄音機というものを、どのような経緯かは知らないが手に入れたという。招かれてそこで聞いたものは、西洋の、大仰な音楽から比較的小ぢんまりとした音楽であったのだが、自分は初めてその、音楽というものと向き合ったように思えた。蓄音機という物体から発せられる音楽を体験するということ自体については、実はそれ程の感動を覚えなかった。それよりも自分は、音楽という概念を初めて知ったように思えたのだ。帰り道、友人たちと別れていく。一人減り、一人去り、一人別れていく毎に、自分の心は静かな炎に熱せられていくのだった。この感動は何だ、この驚きは何だ、と冷静でいられない自分がいた。音という、世界にありふれたものを大事そうにかき集めて、少しばかり指先の器用な人間たちがあぶく銭を稼いでいるだけじゃないか、何が音楽だ。自分は今までそう考えていた部分があったのだが、しかしこれは違う、この感動は何だ、と相変わらず冷静でいられずに自分はすれ違った人々に花を配って回りたくなるような気分になった。

 ……ああ、随分と遠くまで来たものだ。結局、あのときの感動は二度とは得られなかった。その後も音楽の鑑賞会――実質は成金の蓄音機自慢に過ぎないのだが――の誘いはあったが、しかし自分は決して応じなかった。一つには思い出の中の感動が壊れてしまうのではないかという恐れがあったためで、また、あの感動の分析をするまでは二度と行けないぞと己の中に籠城してしまったためであった。そうするうちに成金の友人一家は没落してしまい、蓄音機もどこかへ消え失せ、その頃親しかった友人たちとも次第に疎遠になっていった。自分は貧しいながらも命を永らえているが、彼らは一体どこで何をしているのだろうか。この地平のどこかで各々が自分なりの居場所を見つけ、自分なりの幸福を求め続けているだろうか。

 自分なりの場所を見つけ得ず、また自分なりの幸福を求めることもできずにいる自分は、過去の回想をしながら何とかここに生きている。そうだ、あの音楽と出会ったときと同じように、あの水の流れに見出した現実を、自分は生きていけるだろうか。いや、瓶の中に掬った現実は色褪せ、腐敗し、いずれ害悪となる。今ここにある現実を掬い上げたところでどうにもならない。水源を見出し、瓶の中に掬い、そこにある現実が腐り果てる前に次の水源を探し出さなければならないのだ。それが自分には出来るだろうか? 自分はそれをしなければならないのだろうか?

 自分は答えを見い出せずにいる。導いてくれるような者もない。自分は、どこにも辿り着けずにいる。

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来たるべきもの (改稿版) 雨宮吾子 @Ako-Amamiya

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