第3話 先輩のところでバイトを始めてみた件
こうして、先輩の事務所……家に押しかける口実を手にした私。
料理を作ってあげられるのも、朝と夜にちょっとした話を出来るのも、嬉しい。
時給はこじつけだって気づいてなかったみたいけど。
そんなちょっと朴訥なところも好きだったりする。
ある日は講義が終わるなり押しかけて、料理以外にも世話を焼いてみたり。
またある日は、先輩が特に好きな料理を作ってあげたり。
もちろん、バイトの方も疎かにしなかったけど、そこまで難しい事じゃない。
でも、先輩は本当に忙しいんだなというのがよくわかる。
確かに誰かがスケジュール管理をしてあげないとという多忙さだ。
「もうちょっと断った方が良かったんじゃないですか?」
あまりの過密スケジュールにそう言った事もあったけど。
「俺を見込んで依頼してくれてるわけだし。あんまり断るのもなあ……」
などと、お人好しな先輩らしい回答が返ってきたのだった。
優柔不断とも取れる言葉。
でも、期日までにきっちり依頼をこなしてるから仕事が舞い込むのかもしれない。
そんな、人によっては押しかけ女房ととられそうな日々を繰り返したある日。
「佳代がバイト始めてもう一ヶ月か。お疲れ様」
気がついたら入り浸るようになって、どんどん色々な世話を焼いている私。
今では先輩の家のどこに何があるか大体把握してしまっているくらい。
月末締めのバイト代も既にもらっている。
その額、約8万円。
「作業時間に対して、明らかに多いんですけど」
「料理してくれた時間とか諸々込み。そこ、つけてないだろ?」
そう言われては黙るしかなかった。
個人的には、そっちはバイトとは別枠で計算して欲しかったけど。
それも私の我儘かもしれない。
「お役に立ててます?ちょっと色々強引でしたけど」
作業と言っても先輩の事を少し手伝っている程度だ。
役に立てている実感がなくて少しだけ不安。
「ああ、助かってる。それで、ちょっとお礼を兼ねて。週末の土曜、都内で、えーと、遊ばないか?」
明らかに落ち着かない様子で絞り出した声は、その、つまり。
「デ、デートですか?」
ただでさえ強引に押しかけてしまっているから、私からは中々切り出せなかった。
でも、先輩からアプローチしてくれたということは……。
「ああ。デート、のつもり」
「ぜひぜひ!……ごめんなさい」
つい、大声を出してしまった。
「そんなに喜んでくれると思わなかった。じゃあ、土曜はよろしく」
「楽しみ、です」
ちょっと強引なアプローチだったけど、ミスってなかったんだ。
その日は帰ってからも高揚感がなかなか途切れなかった。
服を合わせて、こっちがいいかな、先輩はこっちが好みかなとか考えたり。
鏡を見るとなんだかだらしない笑みを浮かべていて、
(まずい、まずい。私)
何やら色々想像してしまって、それから数日間は少し寝不足気味だった。
(いざとなったら、私から告白しよう)
もちろん、意識してくれてるんだとは思うけど。
先輩はなかなか切り出してくれないかもだし。
ああ、でも。デートで失望されて距離置かれたりとかもあるのかなあ。
そんな人じゃないとわかっていても不安になってしまう。
本当に心はままならない。
デート当日の朝。
「うーん。なんか忘れてないよね?」
家を出る前、何度も何度も色々な事をチェックしてしまっていた。
お化粧がちゃんと出来てるかとか、服がずれてないかとか。
服に細かいほこりがないかとか含めて、色々考え始めるとキリがない。
「よし!もう行こう!」
あ、でも。そもそも、何故だか勝負の日みたいに思ってしまっているけど。
デートの回数をもうちょっと回数を重ねてからかもしれない。
でも、先輩とは昔からの仲だし……あー、どうすればいいんだろ。
(雰囲気次第では様子見しよう)
そうだ。今日のデートが成功すれば、また機会だってあるんだ。
何も私から無理をする必要はない。
つい焦っちゃっていたけど、誰かに先輩を盗られるわけじゃない。
うん。落ち着いて行こう。
もう高校生じゃないんだから、少しは落ち着いて。
自分に言い聞かせつつ、先輩の家まで徒歩10分の道のりを歩いたのだった。
家の前まで来て気がついた。
これ、合鍵使うべきところ?それとも、チャイム鳴らして待つところ?
最近、合鍵使うのに慣れてしまっていたけど、それはデートぽくない気がする。
悩んだ結果。
ピーンポーン。チャイムを鳴らすことにした。
だって、デートなのに合鍵開けて押しかけるとかなんか違うし。
(私、変な格好してないよね?)
家で何度も確認したはずなのに、色々気にしてしまう。
「どちらさまですか?」
「……佳代です」
「ああ。今、開けるな」
ガチャリと開いた扉から出てきたのはいつもより2倍カッコいい先輩だった。
足がシュッと細く見える感じとか。
髪の毛がちょっとワイルドな感じに跳ねてるのもいい。
「八太郎さん、すっごく似合ってます!」
また大きい声出しちゃった。
「ありがとうな。佳代も似合ってるぞ。……健康的でアクティブな感じ?」
「褒め言葉が下手ですね」
「悪い」
「冗談です。本当はとっても嬉しいです!」
「その声聞いて安心したよ」
「すいません。つい大きな声出してしまって」
「良いって、良いって。準備出来てるようだし、行くか」
「はい。今日は楽しみです」
11月初旬の空は少しだけ肌寒いけど、晴れてよかった。
手、握ってみてもいいかな。
八太郎さんの隣を歩きながら、ついつい横を確認してしまう。
でも、いきなりで引かれたら……もう、ままよ!
「あ……」
一瞬、私を見たと思ったら手を握り直してくれた。
やった!
「手、暖かいです」
先輩の体温が伝わってきて、なんだかとても安心する。
遠い昔に同じ事をしてもらった事があるような。
「佳代の手も意外と暖かいな」
「意外とってどういう意味ですか?」
「いやいや。深い意味はないって」
いいなあ。私、今幸せだ。
先輩もご機嫌といった感じで、幸先良いスタートだ。
「今日はどこに連れて行ってくれるんですか?」
バスで筑橋駅まで移動した後、電車で都内へ。
筑橋のやや田舎方面で育った私達だけど、都内に行く事もよくある。
物心ついた頃には筑橋特急が開通してたから都内まで電車で40分。
最低限の娯楽はあるけど、何か楽しみたければ都内が定番だ。
「
「渋谷ですか。ウィンドウショッピングとか?」
「あとは、カラオケとかボーリングとか」
「いいですね。行きましょう!」
渋谷はゴミゴミしてはいるけど買い物出来る場所は数多いし、
娯楽施設も数多い。施設決め打ちよりも気軽に楽しめるかも。
「お代は基本的に俺が出すからな」
また格好つけちゃって。
「いいですって。バイト代も入ったから割り勘しましょうよ」
「俺も社会人だし遠慮するなって」
ここは譲りたくないらしい。
先輩はどうもこういう時に格好をつけたがるきらいがある。
でも、それなら。
「ご馳走になります。でも、
最近、Twitterで話題になっていたデートの時に割り勘か男性が払うか問題。
こう言って旦那さんを捕まえたという方のツイートにあった台詞だ。
どうだろう。ちらと反応をうかがう。
「わかった。
よし。心の中でガッツポーズ。
こう言ってくれるという事は先輩的にもOKらしい。
「やけに機嫌よくなってないか?」
言われて途端に恥ずかしくなってしまう。
一瞬、ごまかそうかと思ったけど。
「えーと。だって……次のデート、って」
続きはどうにも言葉にしづらい。
「ああ、まあ。そういう意図だったけど」
先輩もやけに照れ臭そうだ。
「なら。これ以上は聞かないでください」
「了解」
まだ東京にたどり着いてすら居ないのに幸せいっぱい。
私、今日のデートは大丈夫だろうか?
結果から言えば全然大丈夫じゃなかった。
カラオケに行ってもボウリングをしても何しても楽しい。
手を繋いで人混みを歩いてるだけで楽しい。
何しても楽しいか、私。
その後もショッピングセンターを冷やかしながら渋谷駅周辺を満喫。
ただ、アクセサリー売り場にあったペアリング。
それを外から見て少し足を止めてしまった。
(いいなあ。私も先輩と恋人になれたら……)
店内で和気あいあいと指輪を選んでいるカップルみたいになれるんだろうか。
それにはまず今日のデートを無事に終わらせないと。
でも、少しだけ見て行きたいな。
「ひょっとして、なんかアクセ買いたいのか?」
言われて、ぼーっとしてた事に気がつく。
デートの最中にいけない、いけない。
「いえ。ちょっと見て行きたいなーとは思ってましたけど」
「遠慮するな。一緒に見よう」
手を繋いだまま店内へ進む私たち、カップルぽい?
周囲が生暖かい視線を送ってくるし。
「外してたらすっごい恥ずかしいんだけど……いや、いいや」
「だからその癖やめてください」
ここは本当に先輩の悪いところだ。
「悪い……ペアリングとか興味あったりするのか?」
「え」
一瞬、頭が真っ白になる。
「凄い勢いでペアリングのコーナー凝視してたから」
そんなに凝視してたんだろうか。
顔から火が出そうに恥ずかしい。
「実はちょっと」
「買うか?ペアリング」
「いいんですか?安いのでも数千円しますけど」
「それこそ安いもんだって」
「じゃあ……お願いします」
言ってから気づいてしまった。
あれ?私達はまだ恋人ではないのでは?
さらっとペアリング買うことになってしまったけど。
とはいえ、今更言い出せる雰囲気でもない。
我慢して一番安くてシンプルなのを買うことに。
デザインがどうとか考える頭が残っていなくて、適当に選んじゃった。
店員さんはカップルだと思ったらしくて(それはそうだ)。
「最近、お付き合いされたばかりですか?」
なんて聞いて来たけど、どう答えたものかと思っていると。
「実は今日、告白されまして」
え?先輩、何言ってるの?
でも、ペアリング買いに来る男女は普通恋人だろう。
恥ずかしいのを我慢して、
「はい。実は」
先輩の嘘かほんとかわからない一言に乗ったのだった。
「お買い上げ、ありがとうございましたー」
笑顔で見送られた私達だけど、疲労困憊。
楽しかったけど、最後のが恥ずかし過ぎた。
「……」
「……」
夕方の渋谷センター街を歩く私達。
人混みで歩きづらいのがどうでもいいくらい緊張している。
先輩を見るとどうにも表情が硬い。
私もお互いの指に嵌められた指輪を思わず見つめてしまう。
ここまで来たら嫌でも気づく。
先輩は私のことが好きなんだ。
逆に、先輩にも私の気持ちは伝わってるだろう。
恋人でもない男友達とペアリングする女性なんて居ないし。
でも、たぶんペアリングを買ったのは勢い。
ここからどう仕切り直せばいいんだろう。
「筑橋駅についたら伝えたいことがあるんだけど。いいか?」
先輩は少しだけ挙動不審だ。
私もきっとそうだから人の事は言えないのだけど。
「は、はい……」
この雰囲気で「伝えたいこと」。きっと告白だろう。
苦節何年だろう。ようやくその日が来たのかと思うけど。
「私、何か勘違いしてないよね?」そんな不安がこみ上げてくる。
ただ、予想以上に気が張って居たらしい。
電車の中で、ウトウトして、気がつくと、
「もう終点着いたぞ」
「え……あ、あの。すいません」
寄りかかっていた事に気がついて慌てて距離を取る。
「別に距離を取らんでも」
なんだかやけに優しい目だ。
歳上目線というかお兄ちゃん目線というか。
「もう気持ちバレバレですよね」
「これで勘違いだったら、呪うぞ」
「ですよね……」
それほどまでに私の挙動はわかりやすかったと思う。
日が落ちかかっている駅から地上に出て、少し歩いた所にある広場。
筑橋センターの一角で、私たちは向き合っていた。
「佳代の事好きだ。付き合って欲しい」
思いっきり直球で来られた。
ムード作りとか考えて欲しいとか思うのは身勝手だろうか。
「はい。既に気持ちバレバレでしょうけど、好きです」
微妙に不貞腐れてしまっていた。
そういえば、時折、こんな風にして拗ねた事があったっけ。
三つ子の魂百までとは言うけど、子どもの頃から変わってないなあ。
「そんなに拗ねるなよ。嬉しいのはほんとだからさ」
「ずるいです」
「何が?」
「一方的に余裕そうなところがです!」
先輩はひょっとして過去に付き合った事がある人が?
やけに余裕そうだったのも、それで説明がつく気がする。
「これは別に気にしてるわけじゃないんですが……」
「予防線張る時点で気にしてるだろ」
「それはともかく。八太郎さん、これまでお付き合いしてた人居ます?」
「別に居ないけど」
「嘘つかなくてもいいんですよ」
何を言ってるんだろう。私は。
せっかく付き合える事になったのに、こんなことを気にして。
「単に今日の佳代はわかりやすかったからだよ」
「多少は自覚ありますけど。そんなに?」
「小学生か中学生くらいに思えたな」
「う……」
「緊張してたのも意識しまくってたのも見てとれたし、ここはこっちが大人にならないとな、と考えたわけだ」
「やっぱり、ずるいです」
一方的に気持ちがバレてなんだか宥められている。
嬉しくて少しだけ気に食わない。
「逆に俺も聞きたいことがあったんだけど」
「はい?」
「中学に上がったくらいから距離取るようになった気がするんだけど」
中学。明確に距離を取ったわけじゃないけど。
その時期に先輩からそう見えたのなら。
「先輩の事、好きなんだって気づいてしまったので」
「……つまり、そんなに昔から?」
「大学を地元にしたのも、八太郎さんが居るからですし」
一方的にデート誘ったらウザがられるかなあなんて。
そんな事を気にしながら、距離を縮めては反応を待ち。
誘ってくれないようなら、時間を置いてまた誘って。
今考えればどうしようもない事をしていた6年間。
「その割には、時々一緒に遊びに行くくらいだった気がするけど」
「だって距離取られたら怖いじゃないですか」
「単に気がないのかと思ってたけど、拗らせてたんだな」
「拗らせてたとか言わないでください!」
私の事ながら拗らせていたと思うけど。
「まあいいか。これからは恋人としてもよろしくな」
「私、これまでよりも滅茶苦茶押しかけますよ?」
今だってそうだ。
先輩と同じ屋根の下で過ごしたいと思ってしまっている。
「当然。俺も来て欲しいぞ」
「でも、公私混同すると、バイトに支障が出そうですし」
今の先輩と私の関係はバイトと雇い主でもあるのだ。
そこはちゃんと線を引かないと。
特に、付き合い始めで気持ちが暴走しそうだからなおさら。
「そこは暴走したらストップかけるからさ」
そして、やっぱり心を読んだような回答。
「大人ぶられてるのが嫌です」
ああ、私って本当にどうしようもない。
「これでも2歳上だし。昔は兄みたいなものだったし」
「むう……」
何か、何か先輩に反撃出来る材料はないだろうか。
そう思った矢先。「兄」そのキーワードで閃いた。
「じゃあ、よろしくお願いしますね。
声色を変えて、極力可愛らしく言ってみる。
小学校低学年の頃は、「八太郎にーちゃん」だった。
だから、「お兄ちゃん」と言っていた時期はないのだけど。
妹萌えの人はこう言われると良いらしい。
「……」
「動揺してます?」
「多少は」
よし。
「これからは基本的にお兄ちゃん呼びで行きますから」
「止めろ。それこそ仕事に差し支えるから」
「止めません!だいたい、お兄ちゃんぶりたいならいいでしょう?」
「それとこれとは別でだな。大体、昔は八太郎にーちゃんだったろ」
「……それはおいといて。嫌ですか?嬉しいですか?」
「それは嬉しいけど」
「これはいい弱みを握りました」
いざという時の切り札を手に入れた。
そんな事を考えてしまう私自身が少しどうしようもないなと思うけど。
何はともあれ、恋人としての私たちはこれからだ!
夕日に向かってそう宣言した私だった。
その後も、何かあっては一方的に宥められるような。
ちょっと複雑な関係になるのだけど、それはまた別のお話。
☆☆☆☆あとがき☆☆☆☆
微妙に付かず離れずだった二人のお話でした。
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割の良いバイトに応募してみたら、お兄さんな先輩が雇い主だった件 久野真一 @kuno1234
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