異世界でほくそ笑む
浅瀬
一、
山坂が深夜のバイトから帰ると、誰もいないはずの部屋に誰かが座り込んでいた。
カーテンも窓も開かれ、風でなびくカーテンごしに、差し込む街灯の明かりに照らされた姿は、少女だ。
「だれ」
びっくりして足をすべらせ、玄関にしりもちをつく。
少女が動いた。立ち上がり、こちらへ近づいてこようとする。
「ま、待て待て、来るなっ」
思いの外大人しく、少女は引き下がった。
体を起こしながら、山坂は暗い中に目を凝らして、家具を確かめる。
間違いない。たしかに自分の部屋である。
「……たすけてほしいの」
少女がつぶやいた。え、と山坂は声をうわずらせる。
「助けてって……言った?」
うなずいた少女は肩をふるわせ、フローリングに膝をつくと土下座するように額を床につけた。
「たすけて……このままでは兄が死んでしまいます……」
「ま、待って。ちょっと落ち着かせて、状況が掴めないよ。あの、時間をくれない? いま落ち着くから。……」
深呼吸するから、と確認をとってから山坂は深く息を吸って吐く。
少女もそれに気づいてか、落ち着きを取り戻して体を起こし、鼻をすすった。
「無理を言ってごめんなさい……」
山坂は首を振ってまだふーっと深呼吸を繰り返している。
やがて、ちらりと少女を見て言った。
「……あの、落ち着いたらお茶でも飲む? 僕が飲みたいだけなんだけど」
電気をつけても少女は何も言わなかった。
明るくなった中で見ると、少女は過酷な旅でもしてきたようなぼろぼろの格好をしていた。
向かい合って茶をしばきながら少女が言うには、ここではない別の世界で兄と冒険をしていたと言う。
ところが魔物が出て、少女は魔物に突進され、崖から落ちてしまった。
兄だけが魔物と対峙しているのが心配だと言う。
「私がいないとなんにもできないような兄なんです……」
再び涙をこぼし始めた少女におたおたして、山坂は安請け合いをした。
「た、助けられるなら助けたいですけどっ。でも具体的にどうしたらいいのか……」
何しろ異世界のことである。
少女がうかがうように上目遣いで山坂を見た。
「ひとつだけ……聞いたことがあるんです。こっちの世界のものであちらの世界では命をあがなえると」
「へ? そうなんですか? それって何ですか」
「数字なんです」
「数字?」
「大きい数字なら大きいだけ、あちらではそれで命をあがなうんです。その、危険な旅なので命はいくつあっても足りなくて、私たち、割と何度も死んでいるんですが、数字さえあれば生き返られるんです」
「数字……」
「はい、数字です」
少し考えて、山坂は部屋にあるあらゆる数字を見せてみた。
レシートに体重計、電卓。
しかしそのどれもに少女は首を振る。
「他に数字……これくらいかなぁ」
ベッド下の引き出しから、山坂は通帳を取り出した。
こつこつと子供の時から貯めていたものだ。
「でも……別にそんなに大きくは」
「すばらしいです! 十分命をあがなえる大きさの数字ですっ」
横から覗いた少女がはずんだ声をあげる。
「そ、そう? それならよかった。でもどうやってあっちの世界に届けるの?」
「大丈夫です、手順があるので」
少女が通帳の残高が記された部分を指でなぞった。
指をよけると、数字が消えてしまっている。
「わ、消えてる。すごいね」
顔を見合わせて、山坂と少女は笑い合う。
それから、「ありがとうございました。お陰で兄を助けられそうです」と頭を下げて、少女はベランダからふわりと飛び降りた。
びっくりして手すりをつかんで下をのぞく山坂は、ぽかんとした。
忽然と消えてしまっている。
年末、数字の消えてしまった通帳を手に、少女の消えたベランダの向こうを山坂はいつまでも見ていた。
ところ変わって異世界で、少女はちろりと舌を出す。
「……ごめんね、騙して」
異世界の銀行で、山坂の通帳から盗み取った残額の数字分、換金をしてもらう。
異世界であちらの世界の通帳の数字は、そのまま換金できるのだ。
これが最近異世界で流行っている、新手の詐欺の手口なのだった。
少女は手渡された札を数え、指ではじいた。
にんまりと、天使のような顔でほくそ笑む。
おわり
異世界でほくそ笑む 浅瀬 @umiwominiiku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます