チャプター1 ひょんなこと(酒)② 篠木秋登場!

  低級な映画ばかり見る理由は、行動力を伴う必要がないからだ。

 

 かつてわたしはよい映画ばかり見ていた。しらふで、思考を巡らせながら、時代背景やオマージュ、演出意図、役者の機微、それらに気を払って鑑賞し、作品選び自体も、好きな作家が影響を受けた作家や作品、又は同時代のもの、そういった文脈を、鑑賞決定における第一事項としていた。


 しかし飲酒、酩酊が常態化すると、内容を汲めなかったり、翌日殆ど何も覚えていなかったり、原典に当たるのが億劫になったりで、名作の初見をそのように浪費してしまうのは酷く勿体なく感じるようになった。漸次、食指は伸びなくなる。わたしは年頃の娘らしく、初体験にはドラマチックなロマンスを求めるタイプだった。


 そこで低級映画である。配信はおろか光ディスク化すらされていない、ネット上でも当作品に対する言及が殆ど見つからないような旧時代の遺物。内容は取るに足らない、というより、内容は存在せず、ジャンル的或いは時代的雰囲気が漂っているだけのような、小用で席を外すとき一時停止は不要と思わせる映画たち。これらは酩酊時に最適だった。むしろ、酒がないと九十分をやり過ごせないとも言える。


  生物ならば絶滅危惧Ⅱ類程度に相当するこれらの作品を見ることはまた、スノビズムを満たす手段にもなる。何の才覚も持たずそのことを重々承知のクセ一部の自己優位性だけは何としても保持したいと考える浅ましい人間は、目に見えて珍奇なものの消費に傾倒しがち、それはある程度の心的充足を得るためのマスターベーションで、怠惰だ。わたしはセックスを知らぬ。知っているのはマスターベーションと緩やかなスーサイドだけ。酩酊という靄の中、更に薄殻の内側巣食う女、それが、わたし。


 とはいえ時に、時には、純粋な面白さを持つ作品に出会うこともある。下がりきったハードル、相対的面白さかもしれないが、人が介在する事象で絶対的なものなんてあるだろうか? あらゆることは相対的で、わたしのこの感動だけは絶対だ。無邪気な喜びを感じる。人と話したくなる。誰かに勧めたくなる。明日からの生き方が少しだけ変わる。創作を摂取する醍醐味のような作品は、大量の石の中から、極稀に見つかる。


 まあ、今日見た七十年代のアメリカのテレビ映画、「必殺!殺し屋刑事/裏切り者はだれだ!」は、そこまでの作品ではないが、それなり上等だった。当時にありがちな、叙述トリック的邦題の作品で、殺し屋刑事が法で裁けぬ悪党を私刑にする痛快作品と見せかけて、善玉警官が殺し屋刑事を密偵して暴く警察内警察モノだった。ニューシネマ感のある佳作で、ラストが好印象だった。


  このレベルの作品に巡り合うのは百本中一本くらいなので、わたしは大いにテンションが上っており、性懲りもなく酔っ払っていた。無性に人と話したいと思った。普段は、ごく僅かな親しい人間以外との会話は苦痛でしないが、今はこの感動を共有したいと思った。


 しかし二十三時である。ほに花は寝ているだろう。家族は問題外で、他に友人のあてもないし、これまでの社会生活で副次的に得た連絡先(大半がほに花の友人たちだ)へ、無作為に電話を掛けるほど正体を失ってもいない。それに、あれは翌日の後悔が酷い。


 やりきれなく、物悲しく、同時に腹が立ち、酒だけが進んでいく。煙草も飲む。口にたっぷり煙を溜めて、少量の空気とともに吸い込む、ウマい。アルコールで弛緩した血管と脳が引き締まる。これはワークアウトに違いない、わたしは健康的活動に充足を得たがそれもすぐに霧散し、ヤニ臭さをソーダ割りで洗い流した。孤独感が募った。用のため自室を出た。便座の冷たさが酩酊から正体を引き戻した。わたしは嘆息し呟く。「死にたいなぁ」死にたくはない。適切な言葉が見つからないだけだ。立ち上がると再び酔いが訪れた。


 戻った部屋は煙草臭かった。換気を取っていないから当たり前だ。「うー、ナタリちゃんタバコくさい」と、以前にほに花から不評を食らったことを思い出す。今朝のこともあり、悪臭女のレーベルを恐れたわたしは、とそこまで気にしたわけでもないが、換気のため窓際へ行き、カーテンを半分めくり、窓を押し開けた。

 すると――


「っ!」


 向かい合わせの隣の家の窓から、一人の男子が顔を出していた。男子は腕を組み、サッシにもたれ掛かっている。


  篠木秋はすぐこちらに気づき、視線をよこした。一瞬、二人の目が合う。わぁどうしようどうしよう、わたしは五秒間固まってしまった。不意の出来事への対応力の無さにはほとほと呆れる。このときは様々な思考が巡っていた。このまま窓を閉じてしまおうか、それはあまりに感じが悪いしというか慌てふためき敗走したように見えないか、いや何と戦ってるんだわたしは、というか多分視線泳ぎまくってるけどキョドってると思われないかきっと思われている、でも明るさの差でよくこっちの顔見えないかもていうか今顔大丈夫かイヤいつもダメダメか、というか別にここここんなの慌てるよよような出来事でもないし隣の家の人とたまたま窓開けるタイミングが重なっただけだし、あーもう一気に酔いが冷めた最悪。わたしはカーテンを閉め一旦部屋に引っ込んだ。


 ウイスキーをグラスに生で注ぎ、一思いにいった。また注いで二思い目もいった。三回目は口元で思いとどまり、グラスを持ったまま翻って再度、窓前までやって来、カーテンを引いた。篠木秋の驚いた顔が一瞬目に入ったが構わない、グラスを窓台に置き、窓を限界まで押し開けた。夜風を唇で感じた。不思議そうにこちらを見る篠木秋に、わたしは平然と言った。


「こょんばんわ」


 いきなり噛んだ。

 もう羞恥で耐えられない。これじゃあまるで、男の子との予期せぬ邂逅にドギマギする生娘みたいだ。苦しいが、わたしには酒があった。平静のため、少量飲んだ。

 篠木秋は変わらぬ格好、落ち着いている様子で、挨拶の意は通じたのか、返答をよこした。


「ああ、よう」


「……」

「……」


 きつい、きつすぎる。くそ、男子となど一体何を話せばいいのだ。そもそもほに花以外と会話することすら久々だ。というかよく考えれば、わたしの目的は窓を開けて換気を取ることなのだから、会話する必要などないのではないか? と思ったがもう遅い、二人には妙な間が出来てしまった。取るに足らぬ世間話を短く交わし、じゃあおやすみ、とでも言い残し、部屋に戻るくらいのことをしなければ体裁が整わない。何よりそれくらいの余裕があることを示したい。自己肯定感は低くせ、妙な自尊心だけは持つ女、それがわたしだ。


 なにか当たり障りのない一言を考えていると、平然としながらも間に耐えかねたのか、篠木秋から助け舟が出た。


「部屋、暑くってよ。そっちも?」

「あ……、うん、そんなとこ。換気で」


 彼はわたしの手元を一瞥して、


「んでついでに夜涼みか。優雅だな」


 と、ここで気づいたが、しまった。彼からすればわたしは、窓が開いて目が合ったかと思えば、急に部屋へ引き上げ、今度はグラスを持って再登場した女だ。これではまるで、会話する気満々みたいではあるまいか。もう、何もかもが後手後手で、都度行動を悔いてしまう。後悔は優秀な酒の割材である。自然、飲んでしまう。


「あ? それ酒?」


 茶の飲み方ではないと察せられたのだろう、篠木秋は虚を付かれたように言った。


 なんと答えようか迷った。肯定すると腰を据えて会話しに来た女感が増すだろうが、そろそろは一度は冷めた酔いも再熱を始めており、取り繕うのも面倒になって来、元来今晩は人と話したい気分だったこともあったし、酩酊時のみなぎる万能感も作用、篠木くんが前髪をちょんまげみたいにゴムで縛っているのが気になって来、「それいかにも男子高校生の家の姿っぽいね」と指摘したくはあるが、しかしそれを抑えるだけの理性はまだ残っており、篠木くんのキレイな顔をじっと見ながら、わたしは酔っ払っている。


「うん。安いスコッチ。ウイスキーしか飲まないの。身体にいいから」呷る。

「酒、好きなの?」

「ないとイライラする」呷る。

「アル中じゃねえか」

「本当に依存症の人と比べると大したことないのよね」呷る。カラになった。

「飲みすぎじゃねえ?」

「ちょっと待っててね」

 わたしは再度部屋に引っ込み、薄いソーダ割りを作った。冷静だった。それを持って窓から顔を出した。

「安酒は氷と強炭酸に限るわ」呷る。

「めちゃめちゃ飲むじゃねえか」

「篠木くんは飲まないの?」煽る。

「一人じゃ飲まねえよ」

「二人じゃないの」煽る。

「あ? 今のハナシ? 家に酒あっかな……。ちょいと待ってろ」

 と、今度は彼が引っ込んだ。


 あれ? なにこの流れ?


 少しして彼は戻ってくるのだが、それまでの間、かつてないほどの高揚感がわたしを包んでいた。スコセッシの映画でディカプリオが饒舌にモノローグを始めたときに比類する、といえば、その凄みが伝わるか。


「一本だけあったわ」

 戻った彼の手には350ミリ缶のニセビールが握られていた。親のものだろう。


 わたしはテンションを抑えきれず、

「結構ね。じゃあ、乾杯しましょう。……隣人に!」

「声でけえな……」と言いつつ缶を掲げる篠木くん。そのままの流れで口に運ばれ、次には目尻に皺が寄った。

「ぐおえ……、不味マジぃなおい!」

「それ、低糖質のカラダにいいやつだからでしょ」

「いやよくはねえだろ」

「お父さんの?」

「多分そう」

「中年男性にとってのスムージーね、きっと」

「……折川、めっちゃ喋るな?」

「っ!」この男、言ってはいけないことを……。「酔ってるからね。酒が抜けたらいつもの陰気な折川よ。だから、せめてもの憐れみを持ってもてなしてちょうだいよ!」

 篠木はなだめるように、

「キレんなよ! 単純に俺たち、全然話したことなかったろ? だから折川ってこんな喋るんだって思っただけだよ。他意はねえ……、って、やめろその目! ガン飛ばすな! 普段教室じゃ静かなのにとか思ってねえから!」

「思ってんじゃないの。事実だからいいけどね。ま、地味で根暗な、流行り言葉で言うところの陰キャJKも酔えば反動で饒舌ってなわけよ」

「……地味ではねえだろ、ホェニックス折川」


 どうやら昼は近くにいたらしい。自分から大声を出したとはいえ、ほに花以外から呼ばれると無性に恥ずかしい。


「学食じゃあ急に叫びだすし、教室ではやべえ体勢で爆睡してるし、ある意味目立ってるぜ、ホェニックス折川」と薄ら笑いで言う篠木。

「ねえその呼び方やめてよ!」

「呼んで結構って、でけえ声で言ってたじゃねえか」

「あれはね、内輪の会話を大声ですることで周囲に対して、『自分、今面白いこと言いましたよ!』アピールをするとともに、『自分はこんなに大勢人がいる中で突然大声出せちゃうイカれた奴なんですよホラ、変人ですよ変人がここにいますよ!』っていう凡庸たる自分がイヤでイヤで仕方ない人間がそんな自分に抗うために取る精いっぱいの行動なの。だから外の人間に反応取られちゃうと困るし恥ずかしくて死にそうになるわけ。というわけで……、勘弁してよ……うぅ……」


 自分の痛い行動を解説させられるこの罰の因はなんだ。行動自体か。まだ十五歳なんだから許してよ。うぅ……。


「お、おい……、泣くなよ……、いやそれに結構面白かったぞ? ホェニックス折川。あえてフェニックスじゃないところとか……。あと、そんなに自己分析出来てるところとかすげえと思うし……、あとめちゃ酒飲めるのとかすげえと思うし……」

「フォロー下手なの!? 逆に全部グサグサ来るんだけど! わたしがイキリクソ陰キャみたいじゃない!」

「そんなこと言ってねえだろ! せっかく気遣ってやってんのにキレんなよ! めんどくせえな!」


「あんのおー深夜なんで静かにしてもらえますー?」

 と、近隣住民の声がどこからか飛んできた。


「……」

「……」


 つい白熱してしまった。篠木秋がこんなに無遠慮なタイプだとは思わなんだ。キレイでかわいい顔してるのに、と見た目からの偏見は良くない。


 彼は少しバツの悪そうに、

「まあ……なんだ、俺も久々に酒飲んで少し酔っ払ったみてえ。許せよ」

「いや……別にわたしも本気で怒ったわけではなくて……」

「泣かしちゃった方だよ」

「別に、泣いてないし」

「めっちゃ鼻スンスンしてんじゃねえか」

「友達が飼ってる犬のマネだもん。いつもスンスンしてるからスンちゃんって名前なの。ちなみに今週末には去勢される予定」

「内輪モノマネ披露されるキツさな? あと、同じオスとしてスンとやらには哀悼の意を表する」

 と言って、缶ニセビールを掲げ、飲む。

「ふう。最後まで不味マズかったわ」


 そして二人を沈黙が包み、何となく、宴もたけなわといった雰囲気になった。だがどこか名残惜しいような、もっと話していたいような、もっと飲みたいような、まあここで切り上げになってもわたしはまだ飲み続けるのでそれはいいとしても、不完全燃焼感が拭えず、篠木秋がどう思っているのかはわからないが、互いに二の句を継げずにいた。


 少し経って、沈黙を破ったのはまたしても彼だった。


「……まぁ、折川と話せてなんだかんだ楽しかったわ。酒も切れたし、身体も冷えてきたし、そろそろ引っ込むかな。せっかく隣同士なんだし、なんの縁かクラスも同じだしよ、また、たまにこうやって――」


「酒」

 と、反射的に声が出てしまった。


「あ?」

「っ。お酒、わたしの部屋にまだ全然あるんだけど?」


 酔いに任せて、なんとかひねり出した。


「あ……。お、おう。そうか、あんま飲みすぎないよう――」

「わたしの部屋で続き……、しない?」


『おれに必要なのはきっかけだ』


 肝心なのはきっかけに対して行動することだ。 

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ビジネス幼なじみ! 革命ゼニャ @zenya_kakumei

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