最終話 禁煙

「あ」


 清潔な天井。

 

「おー、やっと起きたか」


 乱雑に髪を束ねた女医さんがいる。

 視界の半分が包帯で覆われて見えない。身体を少しでも動かすと激痛。


「……死に損なったか」


 おもむろに女医さんが、


「こら」


「痛ぇぇえ!!」


 傷口を突いてきた。


「医者の前でよくもそんな事が言えたね」


 口調は穏やかだが、ヒクついている笑顔に怒りが見える。


「ぅぅう、すんません」


 溜飲りゅういんは下がったようで、彼女はため息を吐く。


「腹部、顔面、左手に裂傷れっしょう。右手は拳の皮がめくれ上がってる。これが君の状態だ」

 

 淡々と説明。

 よくもまぁ、ここまでボロボロになったもんだと自分でも思う。


「あの……他に被害者は?」


「君ほど重傷な人は居ないよ。その腹の傷、運が良かったね。あと数センチずれてたら死んでたよ」


 そう、なれば良かったのに。


「犯人は?」


「今は留置所にいるらしいよ。そうだ、何か刑事さんがこれ渡してってさ」


 ベッドの横にあるテーブルに紙が置かれる。

 連絡しろってことか。


「面倒くさぁ……」


 連絡事項は終了。

 女医さんも担当の看護師に任せ、診察の方に戻るそうだ。


「……なぁ」


「何すか」


 病室を立ち去る間際に、こちらに振り向き。


「君が手放そうとした命ってのはね。このクソみたいな世界で唯一平等なモノだ」


「……」


「簡単に放り投げるな」


 随分と、きつい言葉だ。


「ヒーロー気分も程々にね」


 颯爽さっそうと立ち去る後ろ姿に、


「ハァ」


 ため息くらいしか、できなかった。





 入院は二週間程らしい。

 最近は某ウイルスもワクチンの接種によってか沈静化。病院の面会も徐々に再開してきた。


「先輩!」


「おう、堂馬。大丈夫か?」


 一日目、鈴村と先生。

 ギャンギャン泣く鈴村を先生となだめるのに苦労した。


「約束、忘れないでくださいね」


「まぁ、無茶はしないようにな」


 二人の背中を見送る時、何故か無性に寂しくなった。


 二日目、病室の窓の外。

 河原になっているそこには、路上ミュージシャンが今日も叫ぶような歌を披露していのが聞こえた。


 コーヒーを飲みながら、歌詞を反芻はんすうして居たらすっかり夜になっていた。


 「「ドーマさん大丈夫ですか?!」」


 三日目、大学の後輩二人が来てくれた。

 何でもこいつら二人とも年上彼女を落としたそうで、


「自分の彼女、この病院のお医者さんなんすよ」


「お前、やるなぁ」


 関心だぜ、僕の後輩のくせに。


「先輩、お願いがあるんすけど……」


「何だ、金なら貸さねえぞ」


 持ってないからな。


「いや、あのお。彼女に謝るの着いてきて欲しいっす」


 身体が無事なら、ぶっ飛ばしてた。


「「自分で行け!!」」


 もう一人の後輩と息が合う。

 ヒマだったので、一応話を聞いてやる事にした。


 何でも同棲してたのに、廃棄物処理のバイトで追った心の傷が原因で彼女と居るのが怖くなってしまったんだそう。


「お前も大変だなぁ」


 そう言うとボロボロ泣き出すもんだから、落ち着くまで話を聞いてやった。みんな、何かを背負ってる。


 それでも、生きてる。

 何で? 分からなかった。


 日々が、過ぎていく。

 孤独でいると、必然的に自分と向き合う時間が増える。


 考えたくなくて、思い出したくなくて。

 眠れるだけ、眠った。


 眠れない時は、傷口の周りを掻いて気を紛らわせた。


「痛え」


 身体じゃない。

 心が、痛い。


 空っぽで、その穴を埋めたくて。

 でもここに煙草は無い。


 彼女の匂いを、思い出す事が出来ない。


 七日目。


「あ」


「おっ」


 行きつけの喫茶店のマスター。


「どうしたんすか?」


「人間ドックってやつさ」


 他愛の無い話をして、解散。

 また珈琲、飲みに行きたいな。


 時間の流れが、遅い。

 自分だけ、取り残されたみたいな……


「元気?」


「あ、どもです」


 九日目。

 前の職場でお世話になった元デリヘル嬢のお姉さん。今はBar店主をやっているのだとか、治ったらお邪魔に行こう。


「ニュース見たよ。凄いじゃん」


「このザマですけどね」


 とれた顔の包帯。

 下にはナイフで裂かれたみにくい傷痕。


「いいじゃん。顔の傷は男の子の勲章くんしょうでしょ」


 あぁ、笑えるようになったのか。

 花が咲いたような錯覚。


 お姉さんの笑顔が嬉しい気持ちと自分と違い、前に進む彼女の姿に少し寂しさを感じる。


「じゃあね」


「はい、店行くの楽しみにしときますね」

  

 会うことはあるのだろうか。

 会いたいな、最後に一回くらいは。


 また、月日が過ぎる。


 髭をしばらくれていない。

 もう、できることなら目を覚ましたくない。


 死にたい訳じゃない。

 生きて、居られないのだ。

 

 



「退院ですね」


 担当していた看護師の淡々とした声。


「お世話なりました」


 退院した足で、済んでいたアパートに向かう。

 

「あ」


 刑事さんに電話をするのを忘れていた。渡されたメモを開く。


「……」


 アパートへ向かう途中、コンビニで煙草を買う。何も考えず、MEVIUSを選ぶ。ライターは彼女が使っていたモノ。


 未だ過去に囚われている自分に嫌気。

 客観的に気持ち悪い。


 でも、彼女を忘れられない。


 前に、進めない。

 何が、正解なのか分からない。


「……」


 アパートに着く。

 ドアを開けると、散らかった部屋。


 積まれた本と、乱雑に干された服。

 もう随分使ってない、通学用カバン。


「……」


 荷物を詰め込む。

 財布、服。あとは何がいるだろうか。


 身支度を済ませ、駐輪場に向かう。

 原付に乗り、ヘルメットを着け。


「よし」


 エンジンを始動させ、発進。

 適当な舗装を施された道路に車体が跳ねる。


「っく」


 腹の傷に衝撃が響く。

 でも、止る訳にはいかない。


「うぅ」


 僕自身が、前に進む為に。


 微かに残った記憶を頼りに、目的地へ向かう。途中でガソリンを補給し、山をいくつか越えた先。彼女、穂積鈴花の故郷に着いた。


「久しぶり」


 そう話しかけたのは、彼女が眠る墓。


 ここは墓地。

 石の冷たさだけが確かなこの場所。


「差し入れ」


 墓の前に、煙草を供える。

 うち一本に火を付け、線香代わりとする。


「スーッ」


 自分も吸う。

 吐き出した煙、不透明な息、酸欠の視界。


「よォ」


 振り返ると、


「刑事さん」


「お前が捕まえてくれた犯人な、連続放火事件のうち三件を認めたぞ」


「そう、ですか……」


「まぁ、これでお前の容疑は晴れたって訳だ」


「……」


「墓参りか? 殊勝しゅしょうだな」


「お別れってやつです……」


 吸い終えた煙草の火を消し、今は亡き思い人に願う。


 どうか僕の心に、


「火を、点してくれ」


 つぶやく。


 墓から振り向き、かばんに手を入れる。


「なぁ、例の件だが……」


 話しかけてきた刑事の口を手で塞ぎ、その喉を掻き切った。


「っぶ、え?」


 状況を理解出来てない刑事。

 僕の右手には、包丁。


 脇腹にも複数回、包丁を突き刺す。


「いやね、刑事さん」


 地面に倒れ、怯えた表情でこちらを見る刑事を見下ろす。


「おかしいと思ったんですよ」


 ブクブクと血の泡を口から吹き出す。喉をやったから、声を上げられはしないだろう。


「どうやって、彼女の指名客リストにたどり着いたのかってこと」


 当時の従業員でも無い限り、放火事件の現場と関連付けることは難しい。僕自身も、従業員となることでしか知り得なかった情報。そもそも全く別ものに見える自殺と放火事件をどう関連付けたのか。


「知ることができるのは従業員、そして客だ」


 指名した本人ならば、知っている。


「極めつけは、これだ」


 手にしたメモ。


『取引だ』


 その後には、何処かが示された座標。

 この墓場が指定されていた。

 

「彼女の指名客リストに住所が不確かだったものが一件あった」


 動けない刑事を見下ろし、


「お前が最後の客だな?」


 傷だらけの連続放火魔道家堂馬がそこにいた。


「この前の通り魔に罪をなすり付けるとはね」


「ぅぅ」


「本来なら、僕を逮捕すればよかった筈だった」


「ぅぅゥウ……」


「でも、お前しか知らないはずの乱暴の真実を僕は知っていた」


 まだデリヘルの運転手をしていた時、彼女の運転手を担当していた先輩から。そして彼女の同僚だったお姉さんにも聞いた。彼女の大学生という地位を利用し、脅し。プライベートで呼び出し、孕ませた。その事実……


「ヒューっ、ヒューッ」


「このまま僕が法廷に出れば、お前の罪も告白していただろうから」


「ヒューッ」


「僕を殺すつもりだったんだろ?」


 刑事は喉を必死に抑えているから、腰の拳銃に手が出せない。その銃を取り挙げ、バックに入れる。


「最初に撃てば良かったのにね」


 おそらく、自分が強姦の犯人であることに気付いているか確認したかったのだろう。直接の殺しは初めてだったんだろうな。


「僕は十二人殺したよ」


 墓に向き直る。


「僕は鈴花れいかはやってない。彼女なら、復讐はすっきりするからおすすめだって言うからね」


 二人で良く映画を見ていた。


「大切な人は戻ってこないかもしれないけど、復讐した方がすっきりするよね」


 情緒もへったくれも無い感想が、僕は大好きだった。


「あ」


 吸っていた煙草の灰が落ち、吸い終わってしまう。


「鈴花、僕は」


 悩み、狂い、炎と血の果てに見いだした答え。


「君みたいに苦しんでる人を助けようと思う」


 届くはずもない、声。


「ヒューッ……ヒューッ」


「手段はとうに間違えてるけど」


 血塗れの手に、何ができようか。

 果てしなく偽善。


「……ヒューッ」


「それでも……僕は生きるよ」


 虫の息の刑事に、鞄から出したライターオイルを掛ける。


「見て、鈴花」


 火をつける。

 燃え始めると、まだ意識がある刑事が悶え苦しむ。音をたて燃え、胎児のように身体が丸くなる。


「燃えてるのは、クズの命」


 多分、コイツも自分も変わらない。

 

「でも」


 心に、どうか。


「火を、点してくれ」


 願った先に、見いだした炎。

 この世界ごと焼き尽くすような、眩しい程の光。


 不幸はメビウスの帯のように循環し、止まらない。ならば断ち切るだけの力が欲しい。そう願い、悩み、そして狂った。


 たくさん燃やした。

 たくさん殺した。


 もう、後には引けない。

 心にともったのは、憎しみの炎。


 でも、ふと戻った日常で見た大切な人達の笑顔。大切な人達の隣には、笑い合えるが居た。狂い、もう笑う事が出来ない僕は彼らと一緒に居られない。


 煙草はそのまま、彼女の墓に供え物として置く。


「さよなら」


 立ち去る背中を、見送る人は誰もいない。決しては無いのだろう。


 人を殺して、人を救う。

 限りなく黒に近い。


 されど胸抱く感情は、あの日失った貴方の為に。


 抱く感情は雪のように白く。


 故に酷く歪なその様は、灰色こそが相応しい。

 白にも黒にも成りきれない。


 願うは他人の幸福を。

 その為ならばと、罪を背負った愚か者。その有りざまは、まるで聖者のようで。


 灰にまみれた男は、その日をさかいに煙草を止めた。





 



 


 










 

  













 

 

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その日、初めて煙草を吸った。 野菜育ての兄 @Yasaino21sann

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