第13話 HOPE

 警察署から出て、駅へ向かう。


「ドーマ先輩!」


 少し離れた所から、声。


「お、鈴村。先生まで」


「堂馬、お前。警察のお世話になったのか?」


 駅前。

 地方都市とはいえ、田舎感のぬぐえないこの街。


 待ち合わせに使われるのは、駅前の広場くらいしかない。


「任意で同行されただけっすよ。捜査協力ってやつです」


「酔っ払って喧嘩でもしたんでしょ」


 悪戯っぽく言ってくる鈴村。

 一時期から随分、精神状態も持ち直してきている。


「してないよー。つかお二人、今日はどうしたんすか、デートっすか?」


「違う。こいつ鈴村の物件探し、施設の方もそろそろ期限来るからな」


 今現在、鈴村はDV被害者達の保護を目的としたNPO法人が運営するシェルター施設にいる。真加部まかべ先生が手配する事によって各機関が迅速じんそくに動いてくれた結果、彼女がこうして笑えていることがこの上なく嬉しい。


「1Kだけど、おしゃれなとこだよ。荷物入れたら、先生と先輩来てよ」


「こら、男をそんな簡単に入れるんじゃないよ」


 先生、ごもっとも。


「えー、バイト先で教えて貰ったケーキ焼こうと思ったのに……」


 しょぼれくれる鈴村、先生と顔を見合わせる。


「そうだ。今度みんなで、ファミレスでお祝いしよう。鈴村の新生活を祝ってな」


 財布を確認。

 煙草買ってるせいで、少ねぇ。


「先生、ゴチになります」


「お前、格好悪いぞ。堂馬」


 苦笑。

 先生と鈴村は笑う。


 予定を確認し、


「じゃあ」


 解散する。

 駅へと向かう二人を見送りながら、吹きさらしの喫煙所へ向かう。


「あっ」


 最後の一本。

 貧乏性なので、大事に火をつけ。


「フーッ」


 吐き出す。

 酸欠のような視界。


 先生と鈴村の後ろ姿がぼやけて見える。


「ん?」


 紙袋をもった人物が見えた。

 別段、何か特徴がある訳ではない。


 ただ、変な胸騒ぎ。

 煙草の吸いすぎだろうか。



 耳をつんざく、悲鳴。



 鮮明さを取り戻した脳が最初に認識したのは、紙袋を持っていたはずの男の手に包丁がある光景。気づけば、駆け出していた。


 刃物男は通行人を切りつけながら走り回っている。駅の入り口に逃げる人々が殺到する。先生と鈴村が危ない。


 逃げ惑う人に押され、鈴村がける。かばうように先生が彼女に覆い被さる。


 腰だめに構えられた包丁が、


「うっ」


 僕の腹に刺さっていた。 


「先輩!」


 良かった、今度は間に合った。


 腹に刺さった包丁の柄を掴み、離さない。

 男は諦め、包丁を手放す。


「ぅぅう」


 ポケットから、バタフライナイフ。


「…………もう一本あんのかよ」


 下から振り上げられたナイフを避けきれず、顔を切られる。切られた顔と腹に刺さったままの包丁がめちゃくちゃ痛い。左の視界が真っ赤で上手く見えない。なのに…………


「へへっ、来いよ」


 ちょっと、嬉しかった。


「ううっ」


 男のナイフを持った手にしがみつき、近づいた男の右耳を。


「あああああ!!」


 噛み千切った。


「プッ」


 吐き出す。

 ペチャリと地面に落ちた耳が現代アートに見える。


 彼女鈴花の痛みには、まだ追いつけない。まだ足りない。


「マズい耳じゃのう!」


 うずくまった男の腹を蹴り、その顔を殴る。

 僕の腹から血が、止らない。


 でも、殴るのは止めない。

 ずっと殴っていた右手の皮はボロボロで、感覚が無くなってきた。


 嬉しい。

 彼女を失い、意味なく屍みたいに生きると思ってた。


 でも、最後にコイツ悪い人を道連れに死ねるなら、彼女は褒めてくれるかもしれない。


「おい、堂馬。やめろもう、いい」


 先生に止められ、男が動かなくなっていることに気付く。警察も駆けつけてくれたようだ。気が抜けたのか、糸が切れた人形のように、倒れる。


「先輩、やだ。やだよ! 先輩!」


 涙でドロドロになってしまった鈴村。


「な、泣くなよ。鈴村……化粧が…落ちる」


「死んじゃやだよ! 先輩!」


 まぁ、鈴村は化粧無くても可愛いからな。


「くそ、救急車はまだか! 血が、止まんねぇ」


 先生が必死に傷口を押さえてくれてる。

 まだ、痛くない。大丈夫。


「あぁ……先生。あそこまで、運んで……くれませんか?」


 喫煙所を指さす。


「お前」


「う、え?」


 二人の困惑した表情。


「頼むよ」


 下手くそに笑って、願う。


 二人に肩を貸して貰って、身体を引きずるように喫煙所に向かう。灰皿を背もたれに、地面に座る。


「先生、煙草……一本いいすか?」


「やめとけ、今は安静にしてろ。大丈夫、必ず助かるから」


 先生、ありがとう。

 でも、いいよ。大丈夫、僕はこれでいいから。


「一生の……お願いっす」


 あともう少しで消えるだろうけど。

少しずつ、痛みが自覚出来るようになってきた。


 終わりが、近い。


「チッ、ああもう」


 パニックになってるのか、震える手で一本くれた。


「ハハッ、うっ」


 なんともまぁ、皮肉な名前。

 希望HOPEだなんて。


 差し出してくれた一本を、そのまま口でくわえる。


「先輩……」


 鈴村、お祝いしてやれなくてごめん。


「すまん、鈴村」


 最後の力で、ポケットからライターを出す。


「……火を、点してくれ」


 二回火花を散らし、着火。


「スーッ、かはっ。ぅほっ」


 血が滴る。

 誰かが遠くで呼んでる。


 何て言ってるの?

 上手く、聞こえないよ。


「ハーッ、ハーッ」


 霞む思考を巡らせる。


「あぁ、えほっ」


 不幸はメビウスの輪のように循環し、止まらぬ。


「かはっ、ぅえ」


 救われない、救えない、呪われた人生。


「ぅあ……」


 ならば、せめてもの希望を。


「ハァ、ハァ。スーッ、えほっ」


 生きるべき、未来のある人へ託そう。


「ね、がう」


 願う。


 誰も取りこぼされない社会?

 公平で平等な社会?

 平和な世界?


 性的搾取?

 虐待?

 格差?

 

 いや、違う。


 本当は、少しの本とコーヒーさへ有れば何も要らなかった。でもそこに君の笑顔が無いのは、たまらなく寂しいよ。


「れ、い……か」


 もう一度、笑いかけてくれよ。


「れい、か」


 僕の名前を呼んでくれよ。


「れいか」


 一人に、しないで。


「鈴花」


 音が、消える。


 もう終わりなのかと理解するのは自分でも意外なほど早かった。微かに、身体が揺れるような感覚。


 そういえば煙草には吸い方があるそうで、煙を口にため込んでしまうのは、よくないのだとか。


 空気を吸って、煙を肺に入れなければ煙草を吸ったとは言えないらしい。吸い込み、むせたあの感覚。血反吐混じりで分かりにくいけど、多分僕は……






 その日、初めて煙草を吸った。

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