第12話 Kool
「カツ丼って、やっぱり出ないんすか」
「あのなぁ……」
グレーの壁に囲まれた狭い部屋。
ここは県警
「君、一応取り調べを受けてる自覚はあるのか?」
呆れ、頭を掻く。
「でもこれ任意同行じゃないですか。しかもあの放火事件について協力してくれっていうんだからついて行きますよ」
目の前に居る、まだどこか幼い青年。
「でもすいません。お腹空いちゃって」
下手くそな笑み。
マスクを外したその頬には、まだ新しい火傷があった。
「あー、もう一度確認で聞くぞ。そしたら何かおごってやる」
「マジですか?! ありがとうございます!」
クマだらけの不健康そうな顔。
表情や仕草だけが、置いて行かれたように子供っぽい。
「じゃあ、まず。君の名前と年齢は?」
「
職業柄、よく目にする子供達。
彼の目は、それによく似ていた。
「職業は?」
「大学生です。A大に
隠してるのか。
まとう雰囲気は、軽い感じの何処にでもいる青年。
「○月×日午後十時頃、何してた?」
「バイトしてましたね」
「バイト先は?」
「あ~、あんま言えたような所じゃないんですけど……まぁ、いいか。もう辞めたし」
そう言って、何かチラシを見せてくる。
「ここですね。その時間は運転してたので同乗者の人に聞いて貰えば分かるかと」
「△月○日午後七時頃は?」
「行きつけのカフェ行ってました。何かいつもより早く店閉まっちゃって、ガッカリしたんでよく覚えてます」
「じゃあ、△月×日……」
「あの刑事さん」
「ん、どした?」
「もしかして、僕。犯人として疑われてます?」
「……今更、気付いたのか?」
「ハァ……あと八件全てアリバイあるじゃないですか」
「まぁ、仕事だからな。そこは我慢してくれ」
捜査線上に浮上したこの青年。いまいち緊張感のない会話が続く。彼の持ち物は、財布と煙草とライターのみ。煙草の銘柄は
「……その傷、どうしたんだ?」
頬の火傷について、尋ねる。
「あ、これっすか? ライターオイル換える時、ドジやっちまって」
事件性も、無しか。
「あ、そうだ忘れてた」
書類に埋もれた写真を取り出す。
「この女性に見覚えはないか?」
取り出した一人の女性の写真。
青年は少し驚いた表情を見せた後、その表情が変わった。
眠たそうな目は、眉間に寄せられたシワで
「
「ほう、知ってるのか」
予定変更。
取り調べを続けよう。
「関係は? サークルで一緒だったとか」
「……一応、彼女と付き合っていました」
動機、
「彼女は三ヶ月以上前、自殺した。状況証拠から考えて動機は妊s」
「刑事さん」
はっきりと、冷たい声。
「その先は、言わないでくれませんか?」
見開かれた瞳は、
「僕は、知ってるので」
憎しみに
「……そうだったな。すまない」
一応の礼儀で
A大学女子寮で起きた自殺。
同校学生が、自室において首をつった。
遺書の
「物証は無い、アリバイも証明可能……でもな、君には動機があるんだよな」
「……」
「今回の連続放火事件。一見、被害者や建物に繋がりは感じられない」
「ハァー」
「でもな、ライターオイルを使用した放火。
「チッ」
「今の君の持ち物でも、一応は可能だ」
「そうっすね」
「適当だな……燃えてんのは、人の命だ! てめえ、分かってんのか?!」
ふてくされたような青年の態度に、神経が
「煙草と一緒ですね。吸うごとに人の命が燃えている」
ため息をつくように、吐き出す言葉。
諦めと皮肉が混じっている。
「分かってる。分かってますよ、刑事さん」
「あぁ、だろうな。てめぇが犯人としか考えられねぇ」
連続放火事件を起こす、動機。
「被害者、そして放火された建物はある顧客リストと一致してる」
「おい」
「それ以上、言うな」
「穂積鈴花の指名客リストだ」
噛んだ下唇から血が流れる。
青年は、
「何て顔しやがる」
泣いていた。
歯を食いしばり、頭を抱え。
「
もう会えぬ、恋人の名を呼ぶ。
「彼女の事について聞きたい」
人の心があるのかと問われそうな対応。しかし、目の前にまで来た真実を逃がす程、甘ったれではいられない。
「……彼女は、頑張り屋な子でした」
聞きたい事ではない。
だがギリギリの精神状態の
「コロナで、バイトもなくて」
全国的に学生の経済的困窮が報道されたのは記憶に新しい。
「実家もあんまり裕福じゃなかったから、僕もほとんどあげるつもりで貯金からお金貸してたりしたんですよね」
家族世帯への保障。
高齢者優先のワクチン接種。
置き去りにされた、子供達。
「義理堅い子だったから、無茶しちゃったんでしょうね」
「トラブルとか、聞いてたりしないか?」
「全然、デリヘルの事も。客に強姦され、妊娠した事も」
腹の中に、ドス黒いものが溜まって行くのを感じる。
「彼女が死ぬまで、何も知りませんでした」
自虐的、引きつっている頬は笑ってるように見える。
「何も、気づけませんでした」
いや、
「でもね、刑事さん」
警察官として、自分自身の確かな正義を貫いて来たつもりだ。でも、目の前の青年に、正義など如何ほどの価値があろうか。
「彼女に、鈴花に誓って。僕はやってない」
自分には、分からなかった。
「彼女が悲しむ事はやってません」
*
取り調べを終え、
「ハァ……」
社会に置き去りされた、若者達。
「クソッ」
誰もが見ているようで、見ていなかった。
社会の端に、忘れ去られた。
『彼女の事を、見て見ぬフリをした』
あの青年はそう思っているのだろうか。
そうやって自分を責め続けているのだろうか。
「畜生……」
庁舎を出て、近くの自販機へと向かう。
「おう」
喫煙所のベンチに、先輩。
「……失礼します」
缶コーヒーを買い、隣に座る。
先輩の持つ、緑色の煙草の箱がくしゃくしゃになっている。
「取り調べはどうだった?」
吐き出された煙と同じくらい、今の自分の視界は不透明。
「限りなく黒に近い、グレーってとこでしょうか」
動機はある。アリバイも、本格的に崩す事もできる。
でも、
「自分は、
苦しみ、もがいたその先で。
思い人を失った青年は、
笑えなくなっていた。
余りに下手なその笑みは、狂い患った心の
「
全くもってその通り。
言い返せもしない。
「
「え」
「いやな、俗説だがこの煙草の由来らしいぜ」
一つの恋を貫き通すどころか、不器用にも失ってなお大切にし続ける馬鹿野郎もいる。忘れきれずに、乗り越えられずに。
寂しくて、もう一度会いたくて、無様にも泣きながら思い人の名前を呼ぶ愚か者。
くしゃくしゃにされた箱から、残っていた一本が顔を出す。
「あ、やべ。いる?」
「ハハ、じゃあ」
コーヒーを一気に飲み干し、
「すいません」
少し曲がってしまった煙草を受け取り、咥え。
「ほい」
ライター渡される。
初めて吸う煙草。
誰にも声は聞こえない。
誰も助けてはくれない、冷たい世界。
ウイルスが暴いた人の
正義も倫理もクソもない。
眩しい程の光と熱で、
どうか、火を点してくれ。
そう願った奴は、きっと一人じゃない。
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