第11話 うるま

「あっ」


 まさか、階段を踏み外すとは。


 疲れていたのも、あるんだろう。

 変に手をつき、着地してしまった。


「骨折してますね」


 そのまま入院。


 淡々とした女医さんの声。

 小麦色の肌が素敵なクールビューティー。忙しいのか、長い髪を乱雑に束ねている。


「センセ、お食事でもどうっすか?!」


 嫌なこと続きな現状が好転しないかとハッチャけると、


「フッ、冗談」


 鼻で笑われちまったよ……

 お近づきは無理そうだ。

 

「ハァ~」


 病院の、どこか世間とは隔絶されたような独特の空気。消毒液の匂いに、息が詰まりそうになる。


ヒマだ」


 一人暮らし。

 特別親しい友人・恋人もいない。


 入院は三日と少ないが、面会人もいなければケツに根が生えそうなもの。某ウイルスで面会謝絶。他の入院患者の表情も何だか暗い。


「……チッ」


 読んでいた本。

 字を追えなくなり、閉じる。


 昔はもっと本を読めていた。

 いつからか字を、追えなくなった。


「つまらない人間になっちまったな……」


 心に、薄いもやが掛かって。

 陰鬱いんうつな訳ではない。


 何も、感じられない。


空虚くうきょだなー」


 フラフラと病院の廊下を歩く。

 点滴スタンドを引きずるように歩く老人とすれ違う。


 窓の外は快晴。

 確か、この病院は屋上に出れたはず。


「……階段。どこだっけ」


 通りがかった清掃員に頭を下げる。


「……っす」


「どうも」


 いつも来てる清掃員の人たちとは制服が違う。


「あぁ……」 

 

 廃棄物の処理業者の方々か。

 最近、廃棄物の内容について従業員に知らせてなかったことが問題になっていたっけ。


 業者の人の背後、階段。

 のぼる。


『今回で十件目になる、連続放火事件ですが……』


 何処かの病室から聞こえるテレビの音声。ワイドショーで垂れ流されるのはこの街を騒がせる放火魔の話。


「燃えているのは、人の命」


 死人も出てるからだろうか。

 大学の友人が、そう呟いていた気がする。


 階段を上りきった先に、ドア。

 錆び付いて中々、開かない。



 少し乱暴にこじ開けると、雲一つ無い青空。



 風にたなびく真っ白なシーツ。

 ヒラつく白い布の隙間から、


「おっ」


 長い髪を乱雑に束ねた女性。


「また口説きに来たのかい? しつこい男は嫌われるぞ」


 女医さんかぁ。


「いや、ホントすんません」


 恥っずかしいんだから、もう。

 ガシガシと掻く後頭部がハゲてしまいそう。


 彼女の手には煙草。

 一服中か、邪魔しちゃ悪いな。


 きびすを返して、


「おいおい。別に追い返したいんじゃないさ」


 その一言に立ち止まる。


「え、いいんですか?」


 手を振り、招いてくる。

 手すりに寄り掛かる彼女。少し離れて隣に、座り込む。


「近こうれい」


「……」


「煙草の煙は嫌いかい?」


「いいえ、そんな事はないですよ」


 何処か独特の匂いのする煙。

 天気と反比例するように荒む心に、落ち着きが戻る。


「君のお誘い。あれ全くそんな気、無かったでしょ?」


「ば、バレてたんですね」


 冷や汗が出てきた。

 帰りてえ。


「ハハ。年上を甘く見すぎだよ、少年」


 はじけた笑みに、こころが少し軽くなる。


「失礼しました」


「ホント、失礼」


 声のトーンが低くなって怖いんじゃぁ。


「フフ、辛気臭いなぁ。君は」


「あ、遊ばれてるぅ……」


 かなりお姉さんを敵に回してしまったらしい。力なく空を見上げる。


「悩み多き君に、この言葉を贈ろう」


 座り込んだボクを、彼女は上から見下ろしてくる。


「なんくるないさー」


「……沖縄の人だったんですね」


 彼女の気が抜けそうな言葉と煙草の匂い。抱えていた薄もやが、少し晴れたような気がした。


「その煙草、変わってますね」


「私の故郷のやつ。何、吸いたいの?」


 悪戯っぽく微笑む彼女に、少しでも近づきたくて。


「一本、いいですか」


「医者としては止めたいが……」


 二本の煙草を取り出し、一本を咥え。

 もう一本を、ボクの半開きの口に押し込む。


とーさぁ、火を点してくれ」


 折れてない方に手に渡されたライター。

 近づけられた顔。


 多分ボクは、一生忘れる事ができない。



 










 

 

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