6-3.夜明けの出発
翌朝、ぼくとランネは南の
まだ日は昇りきっておらず、薄暗く肌寒い。侵入を妨げるような簡単な木のバリケードを見眺めながら歩き続ける。既にケイディさんが荷物を載せた4頭の
そして、ひとり意外な人物もこちらへ手を振っていた。
「シーナさん?」
「おはよう、アリーちゃん。今日はよろしくね」
にっこりとおしとやかに微笑んだ彼女。明朝に照る青い髪は静かな噴水の水面のよう。
牧場で家畜の世話をしているシーナさんもまさか一緒に行くとは考えにくい。きっと優しい彼女のことだから、お見送りか馬獣を連れる手伝いをしたのだろう。
「やったー! シーナがいれば心強いよぉ!」
しかしぼくの予想は外れた。そう言って飛び上がるように喜ぶランネに、ぼくは心の中で驚くばかりだ。ランネにひしっと抱き着かれたシーナさんは彼女の頭をなでながら獣の耳と尻尾をぱたぱた揺らした。
「あのケイディ君からお願いされるなんて珍しかったわ。よっぽどランネちゃんとアリーちゃんを大切に考えているみたいで私も嬉しいわ」
「おまっ、バカ言ってんじゃねぇよ! そういう話じゃねーよ!」
「うふふ、照れちゃってかわいい」
「あ、あの、ぼ、牧場のお仕事は」
「大丈夫。むしろ行ってあげなさいってヨハンナさんも応援してくれたわ」
小鳥のさえずりのように笑う彼女の服装は鎧の一片も
「というか、なんでイッチさんたちがいるの? すごい荷物だけど」
それを聞いてようやくぼくも気づいた。櫓の陰で見ていたのは、ミンさんの料理店で会った3人のおじさんたち。確かちょっぴり太っている黒髪の人が発酵屋のイッチさん、帽子と着こなしがおしゃれな茶髪の人が道具屋のニキさん、そして長身瘦躯に眼鏡をかけた短髪の人が建築屋のワイトさん、だった気がする。
ギクッとバレるなり、まるで最初からいたように何食わぬ顔でこちらへ来た。革と金属の鎧にパンパンの
「モンテーニュさんとミン店主から話を聞いたんだよ。狩猟班もいるとはいえ若いやつだけで向かうなんざ、大人として放っておくわけにもいかねぇしな」
そうワイトさんが言ったときに、ニキさんがぼくを見るなり驚愕の声を上げた。
「っておいおいおい! アリーちゃんもまさか行くのか!? おまえらそんな危ないところにアリーちゃんも連れていかせるのかよ! 正気の沙汰じゃねーぞ!」
「こいつの意志で決めたんだよ」とケイディさん。腕を組んでいる様は心なしか呆れているようにも見える。
「心配して来た甲斐があったぜ! やっぱり俺たちもいくぞ!」
おう! とイッチさんの一声に声を張るふたり。大人の人が3人もいるなら心強いけど、緊張するな。あまり人が多いと人目を気にしてしまう自分の悪い癖が出てきている。
そんな気持ちを読んだかのように、シーナさんが今にも魔物に立ち向かわんばかりのエネルギーに溢れた熱い3人に向け口を開く。
「気持ちは嬉しいけど、少人数の方がリスクは低いわ。馬獣もこれ以上増やすわけにはいかないの」
「シーナちゃん……けどよ」
「それに、アリーちゃんも人が多いと気が散っちゃって周りに集中できなくなるだろうから。私もついているから大丈夫よ」
妙な説得力でもあるのか、3人は顔を見合わせてあっさり引き取る。とても素直で優しい人たちなのか、シーナさんがとてつもない実力者なのか。
「そ、そっか。ならいろいろ準備させてくれ! まずはアリーちゃんの装備だ」
それぞれ背嚢を地面に降ろし、取り出したのはさまざまな道具や防具……を目にした途端、ぼくの方へと迫ってきた。えっ、という間にいろいろ装着される。その手際の良さを前に戸惑いと唖然をするばかり。
「これなら万全か……いや、もっと装備を厳重に」
「やりすぎだバカ」
自分がどんな姿になっているのかわからないけど、素肌が見えている部分は一切なく、全身が重たいことはよくわかった。熱も籠っちゃっているし、一歩動こうにも難しくて、この状況を前にあせあせするばかりだった。雪だるまみたい、というランネの一言でなんとなく自分の容姿は察せたけど。
ケイディさんとシーナさんの言葉で、納得しつつも渋々しながらぼくの身についていた装備を外していく。徐々に涼しくなっていくのが気持ちよかった。
「おまえらだけでも心配だってのに、まだ村の外に出たことのないアリーちゃんも連れていくなんてますます心配でしょうがない」
「そうだそうだ」
「無事に帰ってくるまで何も喉に通らねぇよ」
「いつからみんなアリーのお父さんになったんだろ」
そうランネも苦笑。村の人たちとは昔から親しいのだろう、うるせぇな、と煩わしくても無下にできないようなため息をケイディさんはつく。イッチさんたちからもらった何かを馬獣に提げたポーチへと入れては、こちらへと顔を向けた。
「女のひとりやふたり、俺が守ってやるよ。だから心配すんな」
途端、なぜか静まり返る空気。
「無自覚ですぐこういうこというんだよなこいつ」
「嫌味な奴」
「フラグって知ってる?」
「おめぇらなんだよさっきから!」
そのとき、妙な威圧感を背後から感じた。元の姿に戻ったぼくはいつもより素早く振り返ることができた気がする。
しかしそんな感覚もすぐに吹き飛んでしまうくらい、ぼくの全身は再び鉛のように重く、そして硬くなった。
「お、来たか。おせーぞ」
で、でかい……。
まるで要塞。その一言が脳裏に浮かぶ。
よく見れば鋼鉄の重装備を装った巨漢だ。背丈2メートルは下らない。胴回りも大きく、足取りも重たそうだから肥満体型だとわかる。しかしその顔は双角がついた甲冑兼キャニスターマスクの鎧兜で一切わからない。
ケイディさんも背丈が大きいけど、それよりももっと大きい。近づくほどその存在感が凄まじいことが分かり、ただただ圧倒されるばかり。
「なんだ、おまえも同行するのか」
「それならだいぶ心配も減るな」
だけどニキさんとワイトさんも納得の表情。背中に大斧担いでるし、片腕に大きな鉄の筒もついて……まさかあれ大砲? 絶対ただ者じゃない。
「リリン・オーク。俺の兄貴だ」
しかもケイディさんのお兄様。驚きの声すらも目の前の圧に呑みこまれてしまう。
しかし相手は一切声を発さない。立ち止まったかと思いきやこれといった動きもしない。ただ得体のしれない人でしかなく、ぼくも返す言葉が見つからず黙ってしまった。
カタ、と少しだけ首が動いた、顔の向きがこちらへと向いていることがわかり、どうしてだかじんわりと目に涙が込みあがってしまった。
「ひん……っ」
その場の空気に負け、反射的にランネの背中に回って隠れてしまった。初対面なのに失礼なことをしたし、とても情けないと自覚していても、体が我慢できなかった。
「あらあら、怖がっちゃったわね」とシーナさんは微笑を向ける。
「はじめてだとちょっと怖いよね。私も最初はそうだったな」
「ったく、そんな反応してやるなよ」と頭をかく。「図体でかいだけで繊細なんだよこいつ。自己紹介すらできねぇシャイだしな。兄貴もいい加減俺以外と会話できるようになれよ。せめて動け」
ガン、とケイディさんは横腹の鎧を叩くと、その人はコクコクと二回頷いた。左右一往復首を動かすと、ガシャンと足を運んだ。一歩一歩がドスンと地面を振動させる。
「ん? おいどこ行くんだ」
ケイディさんの声に答えることなく、櫓のそばへ寄ってはしゃがむ。イッチさんたちも首をかしげ、顔を見合わせるばかり。
しかし間もなく立ち上がってゆっくりとした動作でぼくとランネの前に立つ。やっぱり大きい。このまま倒れてきたら間違いなくぺしゃんこになるとまた目が潤んでしまったとき。
スッと腰を落として大きな手甲をぼくの前に伸ばす。指先で器用に持っていたのは真っ白なセラスチウム。風に揺られる一輪の花を前に、ランネの背中にしがみついていたぼくは思わず彼の甲冑頭へと目を向ける。
「え……?」
「"あげる"って」
ランネのやさしい声で、ぼくはようやく動くことができた。その花を両手に取り、ようやくその意図が分かったときになんだかとても嬉しくなった。ぽかぽかと胸が温かくなったような、そんな気がして。
「あ、ありがとう、ございます……」
そう言ったとき。彼はすっと立ち上がったかと思うと、そのまま後ろへドシィンと背中から倒れた。一瞬何が起きたかわからなかったが、小さな地鳴りが足の裏から伝わったことだけは感じた。
唖然とするケイディさんと、あちゃあと言わんばかりのランネ。そしてクスクスと鈴のようにシーナさんはころころ笑った。
「……おい、兄貴?」
「もしかしなくてもこれはー……」
「アリーちゃんも隅に置けないわね」
「な、なんの話ですか?」
いや、まさか。もしかして、塔の国で犯した"あれ"をまた起こしてしまったの……? ううん、あの嫌な感覚がなかったからそんなことはない、はず。でももしかしたらと思い声をかけた。
「だ、だいじょうぶ、ですか……!?」
ムクッと上体だけ起き上がらせた彼に、ぼくはほっとした。よかった、血も吐いていなさそうだし、ちゃんと生きている。呆けているようにも見えるが、ケイディさんの伸ばした手を取るなり、重そうな体を起こした。
「あの、なんで三人とも無言で私にお金渡そうとするの」
その一方で、なぜか小銭袋をランネに渡すイッチさんたちもいたけど。
「いや、今のやり取りあまりにも……」
「善き」
「尊み」
「好き」
「早く帰れよおっさん」
語彙力がまるでない。悟りを開いたように両手を合わせる3人の感極まった様子も心配だけど、振り返ったケイディさんの呆れたような一蹴の声で、そこまでの問題はなさそうだと察した。
「まぁやる気になってくれたならなんでもいい。忘れもんないなら出発するぞ」
「アリーちゃんは乗馬はじめて?」
「え、あっ……はい」
「じゃあ私と一緒ね。こっちにいらっしゃい」
シーナさんにひょいと持ち上げられ、荷物が載っている馬獣の背に
朝日が照らす草原はぼくの目を奪った。地平線が果てしなさを覚え、そして受け止めきれない何かを全身で浴びたような。
「どう?」
「……こんなに違うんだなって」
こぼれたような一言にぼくはハッとした。そんなつもりじゃ、と訂正しようとしたとき、クスリとシーナさんは頭上で笑った。
「ふふ、そうでしょ。ちなみにランネちゃんは初めて乗ったとき高くて怖がっちゃってたのよ。落ちないように馬獣の背中にピッタリくっつい――」
「うわぁー! わーっ! シーナ何言ってるのバカぁ!」
すでに馬獣に乗っていたランネが両手をバタバタさせて大声を出していた。その必死な様子に思わずちょっと笑っちゃった。
「あっ! アリーが笑った! ケイディ今のみた!?」
「うるせぇなどこのかーちゃんだよおまえは」
「ねぇ! もっかい笑ってアリー! もーいっかい! もーいっかい!」
「え、ちょ……」
ちょっと笑ったくらいで大げさすぎるよ。顔が熱い。途端に恥ずかしくなってきてフードを被った。ふいとランネから顔を逸らす。
ガーンというランネの大袈裟な声が聞こえたけど気にしない。すると頭にふたつの大きくやわらかな感触と体温が、回ってくる両手と共に伝わった。
「ふふ、アリーちゃんもかわいい反応しちゃって。微笑ましいわ」
「ふぇっ、ちょ、あの……っ?」
「ちょっとシーナったら! アリーをひとり占めしないで!」
「妹が増えたみたいで嬉しいわ」と嫉妬するランネに構わずそう言ったシーナさんは、もう一度ぎゅっと抱きしめてきた。
「だからなんで私にお金渡すの!」とランネはまたも合掌しながら涙を流すイッチさんたちからお金をいただいていたようだが、あればかりはぼくもよくわからない。
「それじゃあ出発するぞ! 全員俺の後に続け!」
ケイディの喝を入れたような一声と馬獣の
「気を付けていって来いよ!」
「必ず無事に帰ってくるんだぞ!」
「ケイディ! アリーちゃん傷つけたらただじゃ置かねぇからな!」
イッチさんたちの声も遠のいていき、やがて風がかき消していった。
「とっても気に入られているのね、アリーちゃん」
「そ、そうでしょうか」
それはともかく、どうしてかぼくの胸は弾んでいた。
不安や恐怖とは違う、不思議な高揚感はまるでこの後の展開を楽しみにしているかのような表れだったのかもしれない。
石畳と一輪花 多部栄次(エージ) @Eiji_T
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