6-2.生きる覚悟
少しの間が空いた。生物名じゃないのでわからないが、ケイディさんとランネはわかっているようだ。ただ、簡単な頼み事じゃないというのだけは伝わった。
「……それだけ深刻なんですか」
カミンスキーさんはうなずくことなく、話をつづけた。
「君たちもわかっているように、ここ最近は魔物の行動が活発化してきている。それらの鎮静化と村の防衛のために狩猟班も手が空いていない状況だが、事態は悪化する一方だ。これだと
アニマって、牧場で会った獣人族のシーナさんと一緒にいた、ふわふわの生き物だよね。あの個体は確かタイソンと名付けられていたはず。この地を守る魔物の姿を借りた精霊って言われていたけど、ぼくの思っていた以上にその影響力はあるようだ。
「ですが、あれは魔物だけでなく、私たちにとっても毒となる樹です。それに家畜や作物にも影響が出るんじゃ……」
「それに関してのヒントは
「っ、まさか、カルニバスの角が」
「その可能性が高い。だが調査班の記録では、あの角を食べた魔物は死に至っている」
「だったら違うんじゃ――」
「もしかしたら、その死肉を食べた鬼猿類が魔除けの耐性を手に入れているんじゃない?」
「抗体を得ているということ……?」
ケイディの言葉を遮ったランネの一言に、ぼくは思わず口にする。頷いたカミンスキーさんは、
「そうだ。"カルニバスの角"が"魔除けの木"の毒に対抗できるほどの力をもっているとみている。とはいえ、我々も鬼猿類と同じ轍を踏むわけにはいかない。そこで君たちに調査を託したい」
「私たちが……?」
「君たちも15を過ぎて大人になる時期だ。ケイディもランネも、一人前の実力はもっていると私は感じている。相手が鬼猿類ならばケイディも手慣れているだろう。だからこそお願いしたい」
「ということは、私も調査班の一員に……?」
待ちに待ったようなランネの声。しかしそれを遮ったのはケイディさんだった。
「だからといって、こいつらをあぶねぇ目に合わせるわけにはいかないでしょう」
「しかし狩猟班だけでは為し得ないことだ。それに魔物や周辺地域の"対処法"は身についているだろう」
「それはランネだけの話で、
「君から推薦しただろう。アルメルト・サフランをこの村の一員にしてほしいと」
なっ、とぼくに指をさしていた彼は顔を赤くする。対してカミンスキーさんの口調は強く感じた。ズン、と重くなるような感覚に、ぼくは顔すら見れなかった。
「ウェルテル河の汚染を解決する話は実に魅力的だ。我々も魔物の対処で手が埋まっている以上、状況は悪化する一方。新しい人手、それも専門家となれば頼もしい。無論、現実的でない空論そのものだという意見も少なくはないが、はずかしながら糸にも縋りたいのがこの村の現状。是非とも実行してほしい」
しかしだ、と付け足す。
「この土地の自然そのものを接することがどういうことかを理解していなければ、瞬く間にその小さな命は消え失せるだろう」
この村にいれば安全とは限らない。それはここに数日過ごしただけでも肌で幾度も感じた。これからここでお世話になるには、今のままだととても生きていけないとでも言いたのだろうか。ここ第13層をぼくはまだ、何も知らないのかもしれない。
だとしても、ぼくは同行しない方がいい。ただ足を引っ張るだけの荷物になってしまえば、みんなを危険な目に合わせてしまう。
「それに、件の魔物は我々狩猟班でも見つけることが困難だ。奴は隠れることに長けている。そこで魔物の習性や生態を知るランネと、素材に明るい彼女に託したい。……先ほど、角に毒の耐性があると言ったとき、君の視線が逸れたね。なにか疑問でも?」
ふっと緩んだような、重くも柔らかな声色。だけど、ぼくの心臓は引きつった。
顔も目元の皴を深めて笑みを浮かべているのに。責められてもないのに。心を見透かされたようで怖く感じてしまった。でも、言わなければまずい気がする。言葉にできない力が働いているようだ。
「あ、えと、そ、その、も、もしかしたら……その、鬼猿類の巣も調べる必要が、あ、あるかも、しれないと、おも、思いました」
「なんでだよ」というケイディさんの一言に、おずおずと、しかし焦って返答した。
「えっ、あ、ええと、みみ観てみないことには、わか、わかりませんが、あ、あの」
それを言ったことをすぐに後悔した。これではぼくも一緒に同行することになってしまう。
でも、どちらにしても、ぼくやランネ抜きでこの話を成立させるのは難しいかもしれない。狩猟班や村の人たちの手を煩わせるわけにもいかないし……だけど、怖い思いはしたくない。
「ちょっとケイディ! アリーを怖がらせないで! あとカミンスキーさんもその訊き方は圧があるから子どもも怖がっちゃうって前にも言いましたよ」
「はぁ? 訊いただけだろ」
「ケイディ」とカミンスキーさんは一言。「そうだったね、ランネの言うとおりだ。怖がらせてしまって申し訳ない」とぼくに向けて苦笑した。もう、と頬を膨らませるランネがなんだか心強く感じた。
「それと、厳しければ同行しなくてもいい。ただ、君ならば我々の目では気づけなかったことも解るのではないかと私は見ている。錬金術師としての目だけでなく、君自身の目が、道を開くかもしれないとね。だが、その負担を重く抱える必要はない、こちらで勝手に期待しているに過ぎない話だ」
そう言われ、ほっと肩の荷が下りる。でも、この胸のわだかまりは何だろう。安全に越したことはないけど、彼らをがっかりさせてしまうようで、なんだか複雑だ。
「なにか言いたげだね、ケイディ」
「なんにもありませんよ。いい性格してると思っただけです」
するとカミンスキーさんは軽快に笑った。
「理解したならば入念な準備の末、出動なさい。ああ、狩猟班の中で手が空いている者がいれば、共に連れていくことを勧める。確か君の身近な者がちょうど見張り番をしていた気がするが、人員の編成は君に任せる」
話は終わったようだ。ケイディさんは気怠そうに返した。
「……わかりました。ただちに準備して、明日出発します。でも、こんなことならわざわざ班長が直接こなくても」
「頑固な君が気を許した女性がどういう人物なのか気になったまでだ」
「なっ、いや、俺は別に気を許したわけじゃ――」
またも顔を赤くした手前、カミンスキーさんがぼくの前に立った。背丈が大きく、見上げたぼくはその影に呑まれてしまいそうだった。重力を目の前から感じるのは気のせいだろうか。
「アルメルト・サフランさん。こちらから挨拶に伺えず、失礼を致した」
「あっ、いぅ、いぇ、だいじょ、ぶ、です」
全然大丈夫じゃない。冷汗が止まらない。こればかりはぼくの対人能力が乏しいからだろうと自分を呪った。
紳士的に振舞った彼は、律儀にお辞儀をする。
「紹介が遅れたね。改めて、私はウィル・カミンスキー。この村の狩猟班の班長を務める」
「あ、えっと……よろしく、お願いいたします」
「こっちに来て早々、この村の問題を背負わせるようで申し訳ない。こちらも対処を尽くす所存だが、あまり無理をせぬようにな」
「よく言うぜ」とケイディさんの声が小さく聞こえた気がしたが、カミンスキーさんは構わず話をつづけた。
「あとは、これだ」と組んでいた後ろの手を前に差し出すと、そこには籠といくつもの小袋が入っていた。
「モンテーニュさんの作るソイクッキーが好物でね。日々の活動で疲弊している狩猟班にも分けようとしていた」
もしかしてここの農地の人だろうか。ふと奥の家を見ようとしたとき、木陰から覗いているおじさんが白い歯を見せグッドサインを送っていた。おそらくモンテーニュさんだろう、ずっと隠れて聞いていたのだろうか。
「もちろん、君たちもね」とぼくだけでなくケイディさんやランネにクッキーの入った小袋を手渡した。
「わぁ……! ありがとうございます!」
ランネもこれには大喜び。子どものように小躍りした。
「君の作る調合薬にうちの者が世話になっている。いつも助かっているよ、ありがとう」
そう微笑んだカミンスキーさんは籠を手提げては、
「では、これにて」と背中を向け、その場を後にした。
はぁ、と大きなため息をつけたケイディさんは地面にドカッと座って空を仰いだ。
「ったく、やっぱわかんねぇな班長は」
「でも歓迎はしてくれているみたいだね。ちょっと予想外の条件がついたけど」
「どうりであんとき話の飲み込みが早かったわけだ畜生が。結局俺たちが責任もってこいつを見ろって話かよ」
「ご、ごめんなさい、ぼ、ぼくがめいわくを、かけ、かけてしまって」
「ううん、ぜーんぜんそんなことないよ! 道作る者転ばすことなかれってね。新しく住む人にいろいろ教えるのは当然のことなんだから。ね、ケイディ」
「勝手なことばっか言ってんじゃねぇよ」と胡坐の膝に肘を乗せてぶすっと悪態をついた。
「でも、アリー大丈夫? 怖いならやめてもいいんだからね?」
「……っ」
その言葉に、思い切り甘えたかった。
カミンスキーさんの期待の声にもしかしたらと調子に乗ってしまった自分を呪いたい。必要とされていること、期待されていることに弱い癖を治したい。そこから突き落とされた経験もあるのに、どうしてぼくは学ばないんだろう。
でも、期待に応えたい。みんなの役に立ちたい。使えないぼくを、貴族社会からも研究所からも追放された役立たずのぼくでもできることがあるなら。
だけど、死ぬかもしれない。内臓ごと食い千切られるかもしれない。骨ごと手足を引き裂かれたり、潰されるかもしれない。なぶり殺されるかもしれない。痛くて苦しくて、真っ赤になって、なにもなくなって。
「あ、えと……」
怖い。やっぱり嫌だ。無理だ。こんなぼくが粋がってできることなんて何もない。
生きていればそれでいいんだ。それが正解なんだ。ランネだってそう言ってくれた。そう、言って……。
――錬金術なら、この村を救えるんです。
「アリー?」
違う。
あのときぼくは誓った。命を懸ける思いで、精いっぱい叫んだんだ。あの言葉は嘘なの? 違う。本心だ。
何度も死にたいと願ったぼくが今さら何を言っているんだ。怖いけど、逃げないって、あの河と星空に誓っただろう。そこに生きる価値があるなら、命を懸けて掴み取る。そうハギンス先生も教えてくれたじゃないか。
生きる意味を教えてくれたこの村に、ランネに恩返しがしたい。それが本当の気持ちなら、応えなきゃ。堪えなきゃ。答えなきゃ……!
「だ――」
だからぼくは、大丈夫だって。そう言ってやるんだ。
「だ、だだだだだだいじょうぶ……でででできることが、あっ、ありゅ、なら、ぼぼぼく、こてゃっ、こたえ、たい」
「全然大丈夫じゃねぇし、めっちゃ噛んでるぞ」
「っ、だいじょうぶです……! だいじょうぶなんです……っ」
涙目なのもわかっている。強がりなのも。本当は逃げたいと胸が叫んでいるのも。喉がひくついて、口が震えるあまり痛いのも。骨が笑っているのも、心の中のいろんな人が背中に指を指して笑っているのも。怖がりで弱虫で泣き虫で、軟弱者だと昔から自分が一番わかっている。
でも、そんな臆病なぼくをカミンスキーさんはまっすぐな目で見てくれていた。これまでの大人の人とは違う目をしていた。狩猟という自分と一番遠い存在に命がけで立って、それでいてトップを務める人があそこまで言ってくれた。
プロフェッショナルの人たちが手を差し伸べてくれているんだ。今はそれに怯えるぼくはもういない。ランネが、手を繋いでくれているから。もう怖いものはないって。もう一度、ぼくは信じることができたんだ。
「か、河の浄化をするためにも、今回の話は、その、果たさなければならないんです。ぼ、ぼくも魔物のこと、怖がらずに接すれば、み、みなさんも、ぼ、ぼくを、信じて、くれる、はず……だから」
そのとき、ふっとカモミールの香りがした。安心する温もり。思わず言葉が途切れてしまうも、すぐ傍でランネの落ち着いた声が耳に入ってきた。
「ありがとう。本当に強いよアリーは。……本当に、強い」
「……っ」
「でも、なにがあっても私たちはアリーを信じてるから。心配しないで」
その一言は、力を与えてくれる。胸の中が熱い。抱きしめ返すことはしなかったけど、彼女の胸に頭を寄せ、委ねた。
ちょっとした間が気まずくも感じる。それに人目もあるし、恥ずかしい。それはケイディさんもそう思っていたのか、
「となれば、とっとと収穫も終わらせねぇとな」と言いながら立ち上がった。
ランネから離れたぼくは思わず口を開いた。迷惑をかけることに変わりないと伝えようとした。
「あ、あの、ぼく、足を引っ張ると、思います、けど……」
「だいじょーぶ! そのためにケイディがついてくるんだし。ああ見えて強いんだよケイディって」
「ああ見えてってなんだよ」と畑に向かった彼は踵を返した。「その代わり、素材のことはおまえらに任せるからな。下手に気絶とかするんじゃねーぞ」
うっ、と喉が詰まる。先ほど気絶したばっかりなので胸に刺さった。
「いつも一言多いよねー」とランネは顔をしかめる。
「うるせぇな。おまえらもとっとと帰って備えておけ。出発は五の明朝、南の
「おーっ!」
ランネの元気な一声が村に、そして空に響く。その後に続いて、ぼくも小さく握りこぶしを低く掲げて「おー」と口にした。不安だけど、不思議と力が出るような、そんな気がして。
―――――――――――――――
【補足】
・ユングの丘では、10歳を越えると村近辺の調査に同行し、採集や狩猟を学ぶ機会が与えられる。それに慣れ、一人前と認められれば狩猟班の一員に正式採用されたり、調査班として狩猟班と行動を共にできるようになる。しかし、ダイマンのように全然ダメだった場合はそれきりになり、他の仕事に専念するよう促される。本人にとっては好都合だったが、それを機にもともと苦手だった魔物が大いに苦手になった。尚、反面教師か、モノンは魔物に慣れており小さい個体であれば容易に駆除できる。
・ケイディはダイマンのことが嫌いだが、ダイマンは然程気にしてない。そもそもダイマンは人間関係にほぼ無関心。
・別居暮らしとはいえダイマンの生活のほとんどはモノンが担当。朝食後〜夕飯頃あるいは寝る前まで滞在。買い出しの際には同情した村人たちがサービスしていつも荷物いっぱいになる。ただ彼女自身は一日の殆どを一緒に過ごして手伝いをしてることに不満はない。最近はアリーも来てさらに楽しみになってる模様。
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