終
拝啓
おっかさん、おとっつぁん。無事に
私は珊石先生の下で、日々勉学に勤しんでおります。
まだ慣れないこともありますが、たくさんの書物に囲まれる生活は充実していて、好きなことをさせてくれたおっかさんとおとっつぁんには感謝してもしきれません。
ことにおっかさんは、恩人に会うことができて何よりです。
しばらく会えていませんが、相模の旅を満喫してください。
おっかさんとおとっつぁんの帰りを待っています。
静介
*
静介は手習所に通い出して間もなく、珊石に才を見出され、珊石の元で暮らし、指南を受けていた。
母も同じく珊石に学び、克草塾の分塾である
静介が珊石の下で学んでいるのは、母の
数え年で八つにして、静介は親元を離れていた。
静介は珊石から自身の元で学ぶようにと話を持ちかけられたときに、真っ先に母親に相談した。
それというのも、父親は道場で師範代をしていて、自分が勉学の道に進むと言えば、父は哀しむだろうと考えたからである。
しかし剣術には興味がなく、道場に通う気もしなければ、書物を読んでいる方が性に合っていると自覚していた。
両親の落胆する姿を恐れて、それまで正直に打ち明けることができなかったのだ。
「静介は、静介のやりたいことを選んでいいのよ。おとっつぁんもきっと、同じ思いだから」
母はそう言って、父に相談してくれた。
静介が思っていたよりも父はあっさりと了承し、むしろ母と同じような道を選んでくれたことに、喜んでくれたのだった。
好きな道を選ばせたのは、勝手な運命に振り回された父の願いがあったからである。
*
雪と辰巳、二人は
二人が江戸を発ったのは
約一ヵ月間にも渡り、竜次とお政の夫婦が営む相模の商家に長逗留していた。
竜次とお政は、雪の恩人である。
お政が相模へ行ってしまった後も、雪は文のやり取りをしていたのだが、文字を書けなかった雪はいつも代筆を頼んでいたところを、珊石に学び、自力で文字を書けるようになったのは、数年も前のことだ。
静介が家を出て、手のかからなくなったときに、雪が会いに行きたいとお政に申し出たところ、両手を上げて受け入れた彼女は、しばらく自身の家に雪たちを泊めてくれたのであった。
雪と辰巳が江戸に帰る前に立ち寄ったのが、鶴岡八幡宮である。
「ここで、静御前が舞ったのですね」
平安の
鎌倉は義経が敵対した兄頼朝の本拠地であり、敵方に捕らわれた静御前が勇敢にも、敵前で義経を想う舞いを披露したのが、この鶴岡八幡宮だと伝えられている。
雪は静御前を敬愛していて、自身が手習い師匠をしている塾の名前にも、静と名付けるくらいであった。
鶴岡八幡宮に咲き誇る桜はちょうど見頃で、静御前が舞うに相応しい舞台である。
義経は奥州の地で果て、静御前がその後どうなったのかは、確たる伝承がない。
愛する人と死別したという事実だけが、はっきりとしている。
そんな静御前に思いを
「俺は雪と一緒にいたい。だけど、俺は地獄に行くだろうから、
消えない過去を背負っている辰巳に、雪はそっと寄り添った。
「地獄でも、私は辰巳さんと一緒にいるつもりです。いついつまでも……」
雪の想いに触れて、辰巳は思わず雪の手を
二人はその手が離れないように取り合って、静御前の幻影を舞台に見ていた。
まつとし聞かば 夏野 @cherie7238
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