書かずにはいられない原因はまだ続いています

naka-motoo

緑色の地平線

「きれいな緑色の地平線が観える」


 これはわたしが生前遭えなかった恩人と関係が深いひとが、うつ病となって苦しんでいる今のわたしに向けて伝えてくれた言葉です。


「あんたの心が今何色なのか視てみたらね、きれーいな緑色なんよ。あんたはね、恩人と固い縁でつながっているんよ」


 そう言って、かつて恩人が亡くなった時の年齢ほどとなっているそのひとは、自分の右てのひらと左てのひらをがっしりとひとり恋人つなぎのようにして指を組み合わせてわたしに力説してくれました。


 とても高齢の、おばあさんの力説。

 あの恩人のモノクロの写真のような慈味あふれる笑顔で。


 わたしのうつのココロがどれだけ温かくなぐさめられたかわかりません。


 だって、その日の朝も、その前の日の朝も、その前々日も、ずうっと。


 わたしはあの『日月(にちげつ)の交わり』のクライマックスシーンとなった一級河川の下流にある大橋から、大ぶりの河原石が敷き詰められた中州に飛び降りようと何度も衝動していたんですから。


 その中で彼女が教えてくれたのは、きれいな景色を写真に撮りなさいということでした。

 実家の母は指定難病で左半身の麻痺が進行しており外出は大変なので、せめて杖を二本ついて倒れ込むような状態ではあるけれども数センチずつならば歩行可能な父親を車の助手席に乗せて、親孝行の真似事をしなさいと。


 うつで運転することさえ苦しいわたしは車内でほんとうにうめき声を上げながら、それを聴く父親は助手席の床を踏み抜くほどに力を込めながら、いくつもの丘や山や海や川や池のほとりをめぐりました。


 そこでスマホで写真を撮って。


 そのまま、ぼうっ、と丘から斜めになだらかに下るキャンプ場とその先に広がる平野の一角の植物をオレンジ色に照らし変える日の光を眺めたり。


 わたしがかつて駐在したアフリカの海沿いの崖べりの湾曲道路にとてもよく似たコースをひたすら走ったり。


 視界をぐるりと展望できる山の真下に見える花を観たり。


 身体も表情もやさしい牛が放牧されている、けれども牧場としての目的ではなくどうやらクマ避けのためらしいその牛たちを観て温厚な気持ちになったり。


 正直父親にはずっと遺恨があり、今も周囲に対して「自分たち夫婦に介護など必要ないが、周りがしてくれているだけだ」というスタンスを持っていることからわだかまりはとけませんが。


 壮大過ぎない、ささやかな、けれども美しいわたしの県のその景色は、そういう人間同士の微細で気の持ちようなどという曖昧な哲学によっていくらでも巨大化する感情などは置き去りにして。


 ただ、わたしのココロをきわめて感傷的に、つまりセンチメンタルになぐさめてくれました。


 わたしは生前遭えなかった恩人に幾度も命を救われました。


 まず、わたしが生まれるにあたって、本当であれば生まれなかったところを「もうちょっとしたら腹に赤ちゃんがおるよ。生まれたらこの婆に見せにおいでね」と言ってほんとうにわたしが生まれ、少し前に亡くなっていた恩人の仏前に両親がわたしを連れて行ったこと。


 それから、わたしがいじめの地獄にあって毎日死にたいと思っていた時、「うる星やつら」やロックや様々なエンターテイメントと出会えたのは恩人の導きだと思っています。因みに「緑色」と言われてラムちゃんの緑の髪の色を思い出していました。


 事故で車が大破した時も、今の前にうつ病になってビルから飛び降りる一歩手前まで行った時も、今の毎日大橋から飛び降りようとしていた時も。


 すべて、恩人が、わたしを、ひょい、っと掬い上げてくれていたんでしょう。


 わたしの勝手な解釈かもしれませんけれども、わたしはわたしの小説に、その恩人の、『人生僅か五十年 花に譬えて朝顔の 露より脆き身を持って いついつまでもおるように 親子兄弟夫婦じゃと 愛と情とにからまれて 憎いというては腹を立て かわいと言うては欲おこし 世間の人と交わるも 自分の都合のよい時は 彼是いうて出入りする 一度意見を間違えば 互いにうらみ憎み合い 昨日も暮れたきょうもまた あるやないやにとらわれて 明けても暮れても罪ばかり・・・・・』というこの歌のココロを描き切って、わたしが娑婆に出してもらったことに報いたいと思っているんです。


 絶対他力、摂取不捨、ほんとうの平等、ならぬかんにんこそ誠のかんにんん・・・・・こういった恩人のココロを、恩人を知るひとが消え去ったあとも、わたしの小説に込めてなんとかして多くのひとに伝わり残るようにしていきたい。


 それがわたしの『書かずにはいられない原因』の源流です。


 それを成し遂げることがわたしの心願なんです。


 信念はうつろうものですから、重きをおきません。


 小説を書こうが、仕事であろうが、舅姑との機微であろうが、実家の介護であろうが、仏と向き合おうが神に畏怖しようが、それらすべてが恩人のこの歌を通じてなすことであって、仮に恩人が間違っていてわたしの書くことなすことがすべて明後日の方向のものだったとしても、そもそもわたしの生そのものが恩人抜きにしてなかったわけですからそれでも一向にかまいません。


 まったく問題ないんです。


 わたしはカクヨムさんに200を超える小説を投稿してきました。


 今、わたしの心願を果たすために、あらゆる公募に条件の合う限りその作品たちをエントリーしていこうと思います。


 カクヨムさんのものを非公開にしていく頻度も増えるかもしれませんが、もしわたしの小説をお読みくださったことがあってこの恩人のココロに毛ほどでも良さを感じてくださった方がおられたならば、どうぞ公募を通じてわたしの作品が世のひとたちの慈雨となれるようココロでお力添えいただけますよう。


 お願い申し上げます。





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