信ずる香り

 とある王国、人々でごった返す教会の前の広場。その中に男がいた。コートを羽織り、背中には鞄。ヒスイである。

「さっきから全く進まねえ……」

 先が見えない程の行列、その先は教会の入り口へと延びている。ヒスイも並んではいるが、もはや順番などあったものではない、ただの早い者勝ちのような状態だ。

「よっぽどありがたいお話をしてくれるんだろうな、その『聖女』様ってのは……」

 まだまだ自分の番は遠いと察したヒスイは、ここに来た経緯を思い出していた。


 少し前。

「『救国の聖女』?胡散くせえなおい」

「いやいや、本当なんだって!」

 ヒスイは、情報屋から怪しげな情報を聞いていた。魔具師には大体二種類あり、一つの国に腰を据えて魔具絡みの仕事をする者とヒスイのように各地を旅する者に別れる。後者のような者たちは同じように旅する情報屋たちから情報を買ったり、逆に魔具の調査を依頼されたりする。その結果を報告することで報酬をもらい、生計を立てているのだ。

「この道を進んだ先にある国にいるんだと。もともとただの修道女だったらしいが、その女と話したやつがみんな口を揃えて言うんだ。『素晴らしい人だった。あの方だけが心の拠り所だ』とよ。懺悔室で何を吹き込んでんのかはわからんが、おかげで今じゃ教会は連日大盛況で、信者も大爆増。教会にも相当な額のお布施が落ちてんじゃないかな」

「ほーう……。まあ十中八九」

「ああ。魔具が絡んでいるんだろうな。そこで、あんたに行ってもらおうというわけだ。あんたのその『眼』なら、一発で見抜けるだろう。一応、洗脳系の魔具じゃないかとは思うんだけどな」

「どうする、俺が洗脳されて帰ってきたら」

 ヒスイは冗談を言う。しかし、

「そんときゃ『眼』だけくりぬかせてもらうよ」

「はは、笑えない冗談だ……。……冗談だよな?」

 情報屋の目は笑っていなかった。

「半分な。それだけあんたの『眼』は魅力的なんだよ」

「これでも色々苦労はあるんだけどな。しかし、この先の国か……」

 ヒスイは苦い顔をする。情報屋も同情するように頷いた。

「まあいい噂を聞かないな。一部の富裕層が財を独占し、国民の生活は苦しい。それを知ってか知らずか、王は税を上げるばかり。奴隷にするための人身売買なんてザラだ。今回の件も、教会の利権が絡んでいるのかもしれん」

「ろくなもんじゃねえ……。この国だけは避けてきたんだが。まあ、やれるだけやってみるよ」


 列が少し進んだようだ。やっと教会の中に入れたはいいが、依然人だかりは多いまま。むしろ密集している分暑苦しくなり、より不快感は増している。

「そろそろ俺の番か……」

 ヒスイは自分の番だと半ば強引に決めつけ、人と人の間に体をねじ込ませて懺悔室に転がり込む。荒い息をつきながら用意されている椅子に座り、横を見ると、格子のかかった小さな窓の向こうの部屋に修道女がいた。しかし、暗いので顔まではよく見えない。

 なるほどな、こうなってんのか。ということはあれが件の聖女様ってわけか。顔が見えないのは残念だが。ヒスイがあれこれ考えていると、聖女から厳かに声がかかった。

「よく来てくれました、悩みを抱える者よ……。ここでそれを打ち明け、神に許しを請うのです……」

 だが、聞き耳を立ててもその続きを言わない。訝しむヒスイは、そこでようやく部屋に香のようなものが焚かれていることに気付いた。

 なるほど、こうきたか、こいつは……。


 しばらく、ヒスイも聖女も黙り込んだままの時間が流れる。やがて、聖女が口を開いた。

「起きなさい、私の同士よ。あなたはもう私たちの仲間です」

 俯いていたヒスイは顔を上げ、言った。

「なるほど、『信香』か。この程度の魔具で助かったよ」

「……!?」

 聖女の方から、明らかに狼狽えたような物音が聞こえる。それを聞き、自分の考えに確信を持ったヒスイは続けた。

「『信香』、見た目はただの香と変わりはない。しかし、その煙を吸ったもののことを持ち主は操ることが出来るようになる。まあ操るといっても、少し思考を同調させるぐらいで、意志の強い者には破られたりもするがな。だからその程度の魔具と言ったんだ」

「な……、なぜ……!?」

「ああ、なぜ俺に効かなかったのか、それとも俺がなぜわかったのかか?今俺は、『一時的に魔具の効果を抑える魔具』を使ってるんだ。まあ効果時間はそれほど長くないわ、強すぎる魔具には効かないわ、自分の魔具も使えないわで欠点だらけだがな。あと、俺の『眼』は少々特別でな。見れば魔具かどうかを判断できる。洗脳系だとはあたりをつけていたが、何かに触れた瞬間に発動するものや、一定の領域に入れば発動するものの可能性もあったからな。念には念を入れさせてもらった」

「……すべて、お見通しというわけですね」

 間にあった小さな窓が開き、聖女の顔が明らかになる。その正体は、修道女を身に着けた少女だった。年のころは十七ほど、整った顔立ちだがその瞳には強い意志がこもっている。

「……すみません、騙すようなことをして。あなたはこのことを民衆に公表しますか?見破られてしまった以上、あなたにはその権利があります」

「いや、そんなことはしない。俺はただ魔具絡みの事件の調査に来ただけだ。あんたが何をしようとしているのかは知らんが、俺に危害を加えるようなことでもなきゃ干渉はしない」

 少女は胸を撫で下ろす。

「ああ……。感謝します、慈悲深き方よ」

「ただ、その代わりと言っちゃなんだが、」

 ヒスイは相手が断れないのを知り、意地の悪い要求をする。

「そのやろうとしてることってのを教えてくれないか。安心しな、俺もこういう商売だ。口外はしないと誓う」

「ええ、もちろんです」

 応えは拍子抜けするほどあっさりとした了承だった。

「今のこの国の現状はご存じですか?」

「ああ、こういっちゃなんだが……、最悪、だな」

「ええ、私もそう思います。縮まらない富裕層と貧困層の差、当然のように賄賂が横行する政治、家畜同然に扱われる人々。この辺りは綺麗に見えますが、少し進めばまるで地獄です。しかも外から来た人に対しては上辺を取り繕い、それを必死に隠そうとしている。ですが、それももう限界のようですね」

「そうだな……」魔具師や情報屋の間では、もうずいぶん前からろくな国じゃないと評判だ。

「私は、この国の貴族の娘に生まれました。成長するにつれ次第にこの国の歪みに気付き、その問題をどうすれば解決できるか考えるようになりました。そんな私を応援してくれたのが、他でもない、父と母だったんです。賄賂を貰い、汚い金で私腹を肥やす貴族たちの中で、そういったことには決して手をつけず、常に民の声を聴き、民のために働く両親は変わった目で見られていましたけどね」

「へえ。いい親御さんを持ったな」

「はい、本当に。私が自分の考えを打ち明けた時も、よく言ってくれたと同意してくれました。しかし、まだ行動を起こす時ではないと。それから同じ思いの同志達と作戦を練り、その結果私は身分を隠して教会に入ることにしました。いざ行動を起こすまでに、民の信用を得られる立場に。全てはこの国を壊すため。そして、ついに手に入れたのです。その魔具を」

「なるほどな。つまりは革命を起こそうとしてるってわけか」

「そうです。それがあれば大衆を味方につけられる。それは抗い難い強力な力となるでしょう」

 これは、よく考えられている。ただの一人の意見より、神の意志とでも言えば民はよりついてくるだろうからな。ヒスイは目の前の少女の思慮深さに感服していた。

「しかし、何故その魔具なんだ?革命を起こすなら、強制的に人を操ったり、暗殺をする魔具なんてのもあるが」

「ええ、これを譲ってくれた旅商人の方も言っていました。『もっと強力な魔具もあるぞ』と。しかし、大事なのは、大衆が行動を起こすことなのです。そもそもみんな王に対して不満を持っているんですよ。もともと想いは一つなのです。私は後押しをしているんにすぎません。それに、強力な魔具は身を滅ぼすと言いますしね。」

 誰よりも強い意志を持って、遥かに強大な敵に立ち向かう少女。その姿は、まさに……、

「『救国の聖女』、か。確かにぴったりだ」

「え?何か言われましたか?」

「いいや、何も。すまんな、長々と時間を取らせちまって」ヒスイは立ち上がる。

「いいえ、こちらこそありがとうございます。最後に、名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「俺はヒスイ。しがない魔具師のヒスイさ」

「ヒスイ様」少女は胸の前で手を組み、祈りを込めた声で言う。

「この国が変わったら、またお越しください。ヒスイ様に、神の加護がありますように」

 ヒスイは手を軽く上げ、それに応える。

「ああ、あんたも頑張ってくれ。ありがとよ、『聖女』様」

 そしてまた、人混みの中に消えていった。


「ほーう、『信香』か。珍しいな」

「なんでも旅商人から買ったんだとよ。あんなもんを商品として扱うなんて、物好きな奴もいたもんだ」

「で、どうだったんだ。『救国の聖女』の正体はわかったか」

「ああ、それは……」ヒスイはニヤッと笑う。

「わかった、が、教えられないな」

「は!?なんだそれ!それじゃ報酬は半分だぞ!」

「おいおい、こっちは『眼』まで使ったんだぞ。だがまあ、いいさ。聖女様との約束なんでな」

 情報屋は疑うような視線をヒスイに向ける。

「……お前、まさか洗脳されたんじゃないだろうな?」

「はは、もしかしたらそうかもな。だが安心しろ、もうすぐあの国にも気軽に行けるようになるさ」

「本当か?」

「ああ。そんときゃお前も、聖女の名にふさわしいと思うはずだぜ」

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魔具師ヒスイ あびす @abyss_elze

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