林の護り
森の中を男が歩いていた。長いコートを羽織り、背中には大きな鞄。時折立ち止まり、生えている植物を手に取って見たり、採取したりしている。
「これは……。噂は本当だったか」
そうポツリと呟き、さらに奥へと進んでいった。
「へーえ。こりゃあ見事なもんだね」
森の奥の村に着いたコートの男、ヒスイは思わず声を漏らした。村の家屋は木造りで綺麗に整えられているが、それらに蔦が巻き付いてまるで植物と共生しているようにも見える。野性的ではなく、かといって文明的でもない。見事な調和を醸し出していた。
「おや、旅人さんかね」ヒスイに気付いた村人が声をかけてくる。それなりに歳は取っているようだが足腰はしっかりとしており、若々しく見える。
「ああどーも。いや、ここの景色はすごいですね。思わず見とれてしまいました」
村人は嬉しそうに頷く。
「そうだろう。ここに来る人たちは皆この景色を褒めるよ。自然を守り、自然を愛する。我々の誇りだ」
そうしてまた少し景色を楽しんだ後、ヒスイは切り出す。
「ところで、ちと聞きたいことがあるんですがね。一つ噂を耳にしまして」
「ほう、噂とな」
「ええ、実はここに眠らない男がいるとか」
村人の表情が変わる。
「……魔具師さん、どこでそれを?」
「こっちから来た旅人に聞きましてね。それとこれにはおそらく魔具が絡んでいます。……何か知っているようですね」
少しの沈黙の後、村人は口を開く。
「眠らない男、それは儂の息子のことだ」
村人の家に案内されたヒスイ。机を挟み、前には村人とその息子が座っている。息子の歳は二十ほどであろうか。ずいぶん父親と年齢が離れているようだ。
「どうも、魔具師のヒスイと申します」
「俺はヴァイト。それで、俺に用があるんだって?」
「ああ。あんた、眠らないってのは本当か?」
「本当だ。夜になっても全く眠くならない。それになぜか体が疲れることもなくなった。おかげで一日中畑仕事ができる」
「いつからそうなった?」
「もう二十年も前になるかな。その時から体も若いままだ」
なるほど、だから父親と年齢が離れているように見えたのか。しかし、これは思ったよりもまずいことになってるな。とヒスイは思う。
「一つ聞く。あんた、光り輝く果実を食べたことは?」
ヴァイトが目を見開いた。
「なに、あんた、なにか知っているのか?あれを食べてからだ、こんな体になったのは。教えてくれ、あれは何なんだ」
「じゃあ単刀直入に言おう」
ヒスイは一呼吸おいて言う。
「このまま眠らないと、あんたは死ぬ」
予想もしなかった言葉にヴァイトと父親は戸惑う。
「まず落ち着いて聞いてくれ。あんたの食った果実はただの果実じゃない。『
「なんだ、いいことじゃないか」
「いいや、問題はここからだ。確かに体は疲れを感じなくなるが、精神の方はそうではない。むしろ疲れを感じない分より負担になっているんだ。食べた時からずっと眠ってないのなら、単純に常人の二倍の時間を生きていることになる。あんたは実は今、未来の寿命を前借している状態なんだよ。このままでは体より先に精神が死んでしまう」
ヴァイトは勢いよく立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!じゃあ俺に残された時間なんてほとんどないってこととなのか!?どうすればいいんだ!?」
「寿命を延ばす方法はある、それは眠ることだ。何を言っているんだと思うかもしれんが、実はあんたは眠れないと勘違いしているだけなんだ。夜、まあ昼でもいいんだが寝床に入ってきちんと精神を休める。最初はうまくいかないかもしれんが、次第に眠れるようになる。そうすれば、無くなった時間までは戻せないが多少は延びるはずだ」
ヴァイトは静かに座る。その顔は少し安堵しているようだった。
「……わかった。最後に一ついいか?」
「なんだ?」
「俺がもしこのまま眠らず働き続けたとして、あんたの言うように精神が死んじまったらどうなるんだ?」
「『林護』を食べた生物は、木々が貯めこんだ膨大な地脈の力を一身に受ける。人間の何十倍もの寿命を持つそれらですら、耐え切れなくなって投げ出すほどの力だ。死ねばその生命力の奔流は一気に解放される。そこには新たな森ができるだろうよ」
「……そんな力だとはな。ありがとう、これからは夜は眠るようにするよ」
「ああ、頑張ってくれ」
それからしばらく月日が経ち、再びあの村に訪れたヒスイ。
そこには変わり果てた光景が広がっていた。森は切り開かれ、工場のような建物が煙突から黒煙を吐いている。以前見た自然との調和などどこにもない、ただただ無機質な街になり果てていた。
「これは……ひどいな」
ヒスイは街を歩く。そこかしこで労働者が働いているが、皆表情が暗い。まるで機械を見ているようだ。
「おや……。あんたは、いつぞやの魔具師さんではないかね」
ヒスイに声がかけられる。声の主はヴァイトの父親だった。しかし声はしわがれ、背は曲がり、明らかに活力が無くなっている。
「ああ、お久しぶりです」
「驚いたかね、変わり果てたこの村を見て。近くの山から装飾品に使える希少な鉱石が取れるとわかるやいなや、すぐさま機械が持ち込まれ今ではこの有様だ。発展したと言えば聞こえはいいがね。もともとこの村に住んどった儂らは除け者扱い。もちろん反抗はした、だがどうすることも出来なかった……」
「……息子さんは?」
「ああ、あんたに言われてからあいつは眠るようになったよ。だが……。見てもらった方が早いか」
ヒスイは父親と共にヴァイトの元へ向かった。
着いたのは無数の工場のうちの一つ。父親はそこの責任者らしき人と会話をしていたが、しばらくして戻ってきた。
「待たせたな。ヴァイトに合わせてくれるそうだ」
「合わせてくれる……?」
言葉に違和感を感じながらも、ヒスイは父親について進む。案内された部屋の中には、ヴァイトがいた。
「ああ、あんたか……。あの時は世話になったな。すまん、会話できる時間も限られているんだ。手短に行こう」
ヴァイトは疲れたような声でそういう。しかし、それとは対照的にその体は依然生命力で溢れているようだった。
「この村の現状は聞いたか?」
「ああ、親父さんからな」
「全く、情けない話だ……。あいつらに村のためだと言われ、若い者たちはここで無理やり働かされている。森の木を切り倒し、若い芽を踏みつけ、動物の居場所を奪うことの何が村のためだ」
「……もしかしてあんた、もうずいぶん眠れていないんじゃないのか?」
「ああ、その通り。だが、あんたに言われてからしばらくは眠れていたんだ。あいつらが来てから、どこからかはわからんが俺が眠らなくてもいいということが知られてしまった。今では昼でも夜でもずっと働かされているよ」
「それじゃあんた、もうそろそろ……」
ヒスイが言おうとしたことを、ヴァイトが遮る。
「待て。俺は、これでいいんだ。これでいいんだ……」
ヴァイトは部屋の小さな窓から変わり果てた村を見て続ける。
「幸い、俺の命が尽きればどうなるかあいつらは知らない。俺は、あの村が好きだった。自然に場所を借り、自然を育み、自然と共に生きていく。それが人間の欲望でこんな風に引き裂かれていくのをこれ以上見ていられない」
ヴァイトは父親を見る。その決意のこもった眼差しを見て、父親も大きく頷いた。
「村のみんなの心も一緒だ。俺たちは、全てを巻き込んでここをもう一度森に戻すよ。俺たちの村を護るんだ」
「……あんたらがそう決めたんなら、それがあんたらの進む道なんだろう。だが、これだけは言わせてくれ」
ヒスイも、ヴァイトの目を見て言う。
「あんたらの村は素晴らしかった。こうなる前のあの村を、この目で見れて本当に良かった」
父親とヴァイトは顔を見合わせ、嬉しそうに笑う。
「ああ、あれは俺たちの誇りだ。今までも、そしてこれからも、ずっと。ありがとう、あんたと出会えてよかった。達者でな」
それからしばらくして、不思議なことが起こった。とある森の鉱石採掘場が、一夜にして森になってしまったという。そしてその中心部には天を貫かんばかりの大樹が生え、まるで森を守っているようだったと。そしてその森を切り開こうとしても木々は傷一つ付かず、入った者は必ず道に迷い、奥にたどり着けない。
その大樹の前で、ヒスイは呟く。
「……この景色も、綺麗だ。おめでとう、あんたらは立派に村を護ったよ」
その時、風が吹いた。それは大樹の葉を揺らし、まるで笑っているようだった。
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