盛る杯

 ぎらぎらと太陽が容赦なく照り付ける砂漠。その中を歩く人影があった。背中には丸めたコートと大きな鞄。旅する魔具師ヒスイその人である。

「……この先に、本当にあるといいが……」

 顎から垂れた汗を拭い、ずれた鞄を背負いなおしながら少しづつ歩を進める。目当ての国に着いたのは、その次の日のことだった。


『あそこはまるで砂漠の真ん中のオアシスだった。過酷な場所であるにも関わらず、国中には水路が引かれ、絶えず水が流れている。行ったのは一度だけだが、素晴らしい国だったよ』

 ヒスイは、目の前の国を見て呟く。

「って、聞いてたんだがなあ」

 そこには廃墟が広がっていた。


「邪魔するよ、っと」

 ヒスイは大きい城門をくぐり、国の中に入る。確かにそこかしこに水路はあったが、水は一滴も流れておらず、建ち並ぶ石造りの家屋にも人が暮らしている形跡はない。そこには、話で聞いたような豊かな国の姿はどこにもなかった。

 近くの家の中を覗いてみる。中には大きな家具は残されていたが、生活道具などはない。荒らされた形跡はなかったため、おそらく住んでいたものはここを捨ててどこかへ移っていったのだろう。他の家も同じだった。

「残念だな。ここは、とうに滅んだ国だったというわけか」

 だが、なぜこの国は滅んだ?争った様子がないということは、内乱や戦争ではないということ。なぜか住めなくなった理由があるのか……。ヒスイは考えを巡らせる。集中しすぎたせいか、近づく人影には気づかないようだった。

「おお……。あんたは旅人さんかい……?」

 後ろから聞こえた声に、ヒスイは驚いて振り返る。そこにいたのは、一人の老人。

「驚いた……!人がいたのか。すまない、あんたたちの国に勝手に上がり込んでしまって。俺はヒスイ、ただの魔具師だ」

「構わんよ。もうここは国とは呼べんじゃろうて」

 老人は自嘲気味に言う。

「昔はよかったんじゃよ。そこかしこに綺麗な水が流れ、国民は笑い、国中に活気が満ちておった。今は見る影もないがの」

「どうしてこうなったか、お聞かせ願えますか」

「ついてきなされ」

 ヒスイと老人は国の中心部に向かった。


 国の中心部には大きな噴水のような石造りのオブジェがあり、それを中心にして水路が広がっていた。水があればさぞ見事なものだっただろうが、水路には一滴も流れていない。しかし、よく見てみればオブジェからは少しずつだが水が垂れていた。

「昔この国には、無尽蔵に水が湧き出る杯があった。それを我らの先祖様はこのように噴水にし、水路を張り巡らせ、国中に水が届くようにしたのじゃ。砂漠の真ん中なのに国を築けた理由はこういうことじゃ。魔具師さん、何か知っとるかの?」

「ああ、それは間違いなく魔具だ。名前は盛杯せいはい。無限に水が湧き、そこが砂漠の真ん中だろうと潤いを与える」

「その通りじゃ。この国は潤っておった。だが、しばらく前から、この噴水から湧き出る水の量が減り始めたんじゃ。いろいろ手を尽くしてみたが、どうにもならんかった。きっと水があるのが当然だと思っとった我らに神が怒ったのじゃろうな。そして蓄えていた水も尽き始め、人々はこの国を捨て他へ移っていった。いまだにここに住んでいるわしらは、このわずかな水を分け合って生きている。だが、それももう尽きてしまうのじゃろう」

「ふむ……。ちょいと見させてもらうよ」

 ヒスイは噴水の中にある『盛杯』を覗き込む。

(壊れてはないな。となると……)

 ヒスイは老人に声をかける。

「じいさん、残ってるやつらをここに集めてくれ。もう一度、これを使う方法を教える」


 噴水の前に集まる人々。その中には女や子供もいた。案外残っている者たちは多かったようだ。むしろ好都合だが、とヒスイは思う。

「あー、大体集まったか。んじゃ聞いてくれ。俺は魔具師のヒスイ。いま調べたがこの噴水には魔具が使われている。何もないところから水が湧いていたのはそのおかげだ」

「早く言ってくれ!水はもう一度出るのか?」我慢できなくなった一人の男が声を上げる。

「そうだな、じゃあ結論から言おう。どう手を尽くそうと、これからもここに住むというのは無理だ。じきにここは生物の住めない環境になる」

 どよめきが走り、人々は混乱に陥る。ヒスイは手を大きく振ってそれを鎮めた。

「まあ待て、ここからが重要なんだ、よく聞いてくれ」

 ヒスイは鞄から鎖を取り出す。その一端をヒスイが持つと、鎖はまるで生きているように自在に動き出した。

「こんな風に、魔具を使うには魔力が必要だ。しかし、この『盛杯』のような一部の魔具は、使うのに莫大な量の魔力を必要とする。とても人間一人では足りないくらいにな。じゃあどうやって使うのか。それは、大量の生贄を捧げることだ」

「なんだと!では我らの先祖は生贄を捧げたというのか!」

「落ち着け落ち着け。方法はそれだけじゃない」

 ヒスイはしゃがみ、地面に手を当て、続ける。

「俺たちの体には血管が通っていて、その中を血が巡っている。それはこの世界も同じなんだ。この大地の下には、目には見えない力のようなものが通る道があり、それは絶えず巡っている。俺たちは『地脈』と呼んでいるがね。それを使う方法だ。まあ『盛杯』なら方法も何も勝手に水が湧いてくるが」

 ヒスイは地面に当てた手に感覚を集中させる。

「やはりな。ここにはかつてその地脈が通っていたんだ。だから『盛杯』は使えていた。しかし、地脈というのは決まった場所にあるわけではない。途方もなく長い時間をかけて、ゆっくりと動いていくものだ」

「では、その地脈とやらをここに戻す方法はないのか?」

 ヒスイは立ち上がり、手を軽くはらう。

「それは無理だ。これはいわば大地の意志。巡り巡って元の位置に戻るということはあるだろうが、人の思うように動かすことはできない」

「……では、我々はどうすればいいのだ?」

「ここからひたすら西へ進んでいけ。ここに通っていた地脈はそっちの方に移った。場所はすぐにわかる、『盛杯』を持って行って水が出たところが地脈だ」

 人々は困惑し、ひそひそと話し合う声がそこらから聞こえる。そして、最初に出会った老人が代表してヒスイに言った。

「……我らは、皆ここで生まれ育った。その親も、その親も、覚えられんほど遠い昔からここで生き、そしてこの国を作り上げた。我らにはここで生きていく以外の術を知らん。本当に、方法はないのか?」

 ヒスイは一蹴する。

「ああ、ない。それに、人間にとっちゃ途方もない時間でも、この世界からすれば瞬きにも満たんほどのことなんだよ」

 俯く人々。しかし、ヒスイは『盛杯』を噴水から取り外しながら言う。

「そう心配するな。国が栄えることに、場所なんて関係ない。そこに住む人々が大事なんだ。あんたらがやっていけると思えば、そこはまた素晴らしい国になるだろうよ。そうやってあんたらも巡っていくんだ」

 ヒスイは老人に『盛杯』を渡す。

「それに、あんたらにはこんな素晴らしいものがあるじゃないか」


 やがて、砂漠の真ん中なのに水を絶やさない国が現れ評判を呼ぶことになるのだが、それはまだ先の話。

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