木田となかぼし



「世界に一つだけの花ってあるじゃん?」

 なかぼしはニタリとした顔でいった。俺は警戒心を滲ませる。こいつのしゃべることには、常に虚実を孕んでいるのだ。

「『アフリカの砂漠に咲く一輪の花』みたいな、ある特定の人間に呼称されている概念的な花のことか」

「まさか」

「そうじゃないのなら、某曲のタイトルだろうな」

「木田はどう思う?」

 俺はさらに目を細めた。

「どう、とは」

「一輪の花がなんなのか」

「さあ。作詞家にでも訊け」

「それができないから、木田に問いかけているんじゃないか」

「アホか」

 一喝して、会話を終わらせる。断っておくが、俺はエスパーでも洗脳師でもなんでもない。そこらにいる一般高校生Aであり、ごく普遍的な能力値しか所持していない。

「ねぇねぇ、木田ちゃーん。考えてよ」

 気持ち悪い。俺はそっぽを向いた。ここが電車内であることを奴は忘れたわけではあるまい。このなかぼしという男は平均より身長が低く、妖怪のような顔つきである。遠目から見たら、女にも見えるかもしれない。瓢箪かもしれない。

 とにかく神出鬼没がなかぼしの代名詞となっているのだ。モモンガのように空中なり泥中なりを飛び回り、昨日自由の女神とツーショットを撮っていたと思ったら、もうシンガポールでマーライオンと一緒に嘔吐しているような。そんな奴なのだ。

「お前は作詞に意味を見出そうとする人間なのか」

「悪いかい? 少なくとも、頭ごなしに意味がないと断定する方が不健康だと僕は思うがね」

「頭がお花畑だった野郎の歌詞に、意味もこうもないと思うがな!」

 おっといけない。大きな声を出してしまった。隣のなかぼしはニヤニヤと笑みを浮かべてきて、俺はこほんと咳払いをする。幸いにして、周りのお客さんから怒鳴られることはなかった。

「じゃあさ、じゃあさ」

 なかぼしは俺らの向かいに座っている男性を指さす。

「あの人は、いま何を考えているんだろう」

「……寝てる」

「じゃあ、起きていると仮定して」

 知るか。俺は頬杖をついた。年齢は五十代後半だろうか、ネクタイをだらしなく地面に垂らしてスヤスヤと寝息を立てている。見るもむなしく開墾された頭が特徴。銀縁の丸眼鏡が、見る者にとってはキュートな印象を与えるだろう。

「そうだな」

 と、俺は考える。乗せられているのではない。適当なことをいって、なかぼしを満足させればそれでいいのだ。

「Double helix in the sky tonight っていう歌詞の意味を考えているんだろうな」

 おっ、となかぼしは良い笑顔を見せながら俺に顔を近づけた。興味をそそられたらしい。

「どういう解釈なんだい?」

「Double helix ってのは二重螺旋――まあ、DNAのことだろ? DNAってのは人間が人間至らしめる重要な遺伝データだな。DNAイコールその人としようか。それが in the sky tonight――夜の空の下でDNA、つまり人間をつくり出しているっていう意味になるんだ」

 ほぉーっとなかぼしは感嘆の声を上げた。実にいやらしい。

「木田が青空の下、繰り広げられる生体欲求行為について語るとは。なかなか見ものだね。珍しいよ」

「そうか。俺も光栄だ。まさか電車内で三大欲求のうち人間が最も顔を赤らめる行為について語ることになるとは」

「一生分のネタにできるね」

「昇天云々いってないだけ救われるな」

 俺は鞄のなかをごそごそと探った。いっぱい口を動かした。疲れたし、休みたい。読書でもしてリフレッシュをしよう。本とは永遠の良き相棒なり。まあ、その相棒をとっかえひっかえ売買しているのだが。

「なあなあ、木田」

 鞄で動く手が止まる。

「待て。俺は本を――」

「『パナマ』と『ハバナ』と『バハマ』の違いってなにー? ねぇー、考えてよぉー、木田ー」

 俺はわざと面倒くさい顔をした。煩わしい、と口に出すまでもなく表情で表したのだ。しかし、このなかぼしという男は曲者で、相も変わらずニコニコと俺に顔を合わせてきた。ああ、もう。適当に会話を終わらそう。

「バナナの亜種だ」

「昭和十七年に東京自由が丘で開業した『亀屋万年堂』が制作しているふわふわとした小麦粉の生地にクリームを挟んだ柔らかい触感が特徴で王貞治のCMでも有名な有名洋菓子のことかい?」

「それは『ナボナ』だ」

 ちぇっと唇を尖らせるなかぼし。ようやく大人しくなったようだ。俺は詐欺師の男女と小粋な小僧が結託する誘拐事件の小説を取り出し、ページを開いた。

 電車の揺れは、いまだに続く。 












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グラン・ギニョールは今日も始まるショートショート集 蓮見 悠都 @mizaeru243

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