晦日4


月の光が、欠けた月が戻っていく。

だが、まだ完全ではない。

そして、あれも《完全》ではない。


「くは、あ。ああ。なんと、あんな子供らに」


靄のように薄い影。皮のただれた白髪。

これが齢100を超えてなお、衰えるところを知らぬと言われていた科学者。その爛爛ともえる目は知を求めるにあたって不滅とまでうたわれた。今や見る影もない、ただの老人である。

彼は小高い丘の上を登っていた。協力者のいる丘の上を。その灯台の光が見えた時、彼は狂喜した。早くその場所に向かい、この、衰えた身体を《治療》してもらわねば。

そして何れ、今日逃がした獲物は自分のものだと、研究成果を世に広めなければ。弾む心に足取りも軽くなる。実際にはさほど変わらないのだが、彼の中では灯台までの距離がぐんと縮まったように思えた。

液体のように流動してすすむ老人に、白い影が落ちた。背後に落ちたその気配に、老人は恐る恐る振り返る。


「よォ」


その声は、老人が良く知るものだった。

いや、知っていたものだった。

今は。


「のおぉおおおお」


老人はのけぞった。信じられないものを見た。幽霊などというものは信じないが、有体に言えば、幽霊を見たそれと同じだった。


「し、し、す。そんな、ばかな」


彼はのたうち回る。逃げ場を探しているのか、地団太を踏んでいるのか、土の上を転がった。抵抗しようにも彼の腕には、既に何もない。彼が長年の研究で創り出した傑作達。導具でも法石でもなく、生物から取り出したエネルギー、特に妖精や人狼、不死者から集めた欠片で創り出した生きている兵器。それらは、月の能力によって溶けて消えてしまっていた。残った兵器も、ここまで逃げるのに使いきってしまった。

哀れな溶けた皮に、白い影は紫電をはしらせた。


「一応なァ。御礼参り?てめェもしつけェし、ティールんとこのガキじゃァ、詰めが甘ェと思ってはってたら案の定、コレだ」


白い影は、紫の目に確かな悦を浮かべている。それは、昔の彼を彷彿させた。

いや、それは、元来老人の特権だったのだ。人を苦しめて悦に入るなど、自分の楽しみを他人に横取りされようとは。悔しさなのかよくわからない感情が、溢れる。


「な。なぜ。貴様は確かにこの手で切り刻んで」

「あァ。あのからくりなァ。結局、タネは解んねェが」

「どうやって!細切れになった貴様を、我は」


必死にこの場を乗り切ることを思案する。原生人随一の頭脳と呼ばれた自分に、不可能などなかった。今まで何度でも脳は働いてくれた。だが。


「忘れたのかァ?俺の神器は分解と再生を司るんだぜェ?」

「な、にィ?」


脳が働かないことに、そして、目の前の男の異様さに、老人は自覚する。理解できない。なんでも思い通りになってきたというのに、今の状況が老人には理解できない。だから、頭が働かないのだと。

協力者さえくれば切り抜けられる。いつ奴は現れるのか。


「外が分解できねェなら、逆にすれば解決だろォ?」

「ぎゃ、く?逆じゃと?!」

「そうそう」


震え。

震えは、怒りなのか怯えなのか。来訪者が来ないことへの怒りなのか、目の前の異形に対する怯えなのか。いずれもなのか。目の前の存在は、老人が知るところでは馬鹿だ。あり得ない。外を切らず、内を切った。理解が出来ない。それは、死と同義だ。

そして気づく。違う。緊張、だ。今まで体験したことのない当事者の、迫りくる何かに対する、緊張。ぶわ、と総毛立つ。老人の身体から多量の発汗がみとめられる。

目の前の男は、神器を握りしめた。その先が、待つものが何か、老人は知っている。


「バカな。莫迦な馬鹿なバカなァアアアァ!!正気じゃない。確かに貴様の神器は分解と再生、だが自分を切るなんて」

「正気ならカミサマやめてねェよ」


白い男の神器が閃く。

薄氷のような刃が円を描き、老人を囲う。老人の顔が恐怖に歪んだ。それは、彼にとって初めての出来事だ。

刹那、彼は塵のように分解されて、消えた。


「自己犠牲なんて、ガキがするもんじゃねェ。あるか分からねェ未来ばっか気にして、今をないがしろにすンな」


ぽつり、白い男は呟いた。


「それは誰に対する言葉?」


事態が収まったのを確認したのか、灯台の蔭から声が響いた。声は、女性のそれより低い。低い声の女性、かもしれない。

潮風が長い紫の髪を、さらさらと揺らした。潮の中でベタつかない秘密を知りたい女性は多いだろう。ヒールで地面を覆う草地を踏み分ける。ぴったりとした布地が、身体の線を浮き立たせる。


「出やがったなァ」

「お化けみたいにいわないで。あら、驚いてないのね」

「城に出たがらねェてめェが、何故か今回は吊れたからよォ、怪しいと思ってた」


男は、紫の瞳を鋭くさせる。


「そろそろ潮時だと思ってね。信じられないでしょうけど、あの子には死んで欲しくなかったの。アタシ、イエライちゃん応援してるのよ。後数年もすれば良い男になるし」

「はっ。趣味悪ィ」


彼は笑う。

笑われた方は、心外とでも言いたそうだ。城に出入りしていた薬師は、紫の髪をかきあげて、暗い海の方を一瞥する。下方で波が岩壁に打ち付ける。それは目視出来るものではなく、灯台の光で遠くの波頭が照らされるのみだ。


「弟みたいに思ってるのよ」

「弟みてェな存在を殺そうとしたのか。頭イカれてンなァ。どうやったか知らねェが、蝙蝠はてめェの仕業だろォが」


白い男は、身体を揺する。神器を出すのかと緊張が走る。そうではない。男は地面にストンと座り込んだ。


「あれはマーガの業だ。《死霊支配》。蝙蝠の幽体を物質化する。だが、てめェはマーガじゃない」


彼は耳をほじった。耳垢を取って、ふうと息を吹きかけて飛ばす。

薬師は、ぴっちり身体を包む服をぎゅう、と抱き締める。紫の髪が不安定に揺れた。

月の光が、戻りつつある。その表情が、読み取れる明るさを取り戻すには、もう少し。


「身内を人質に取られてるのよ」

「初耳だナ」

「妹。もう死んでるかも」


言い訳としかとれない事情を、口にした本人は自覚しているのだろうか。同情してほしいと、手を抜いてほしいと。そんなに甘くないと、男は立ち上がる。


「バッくれんナ。てめェとテネブレ。繋がってるンだろ。掴めてンだ」


アルカヌムを支配するテネブレ教団。昨今は鳴りを潜めているが、大きな争いがある度に、陰でその存在が暗躍しているのでは、と噂されてきた。しかし、証拠はなく、噂に留まる。

二年前もそうだった。西大陸の内乱。テネブレ教団の暗部が糸を引いていると掴みかけた瞬間、その尻尾が消えた。誰も証人がいなくなり、痕跡もなくなった。

だが今度は違う。

子供だと油断していたのか、杜撰だった。イエライが倒れた時、飲まれた薬と同じ調合が、ここに残っていた。急いで処分したのだろうが、鼻の良い男には簡単にかぎ分けられた。ピンセットに残った、わずかな成分。そして、燃え残った蝸牛の文様。


神器を一振りする。

草原のようになっていた丘は、一瞬で土がむき出しになる。これは脅しだ。やけに余裕ぶる態度が気に入らない。度胸の座りかたが可愛らしくない。


「ひっどいわよね。人の留守中に家捜しなんて。でも、こっちもお陰で良いサンプルが採れたんだから。イーブンよね」


薬師が、胸元から瓶を取り出す。それは首にかけている鎖と繋がっているらしい。瓶の中は、赤い、血液。凝固していない、今採ってきたかのような新鮮な色合いだ。恐らくは瓶に劣化しない細工がしてあるのだろう。


「あァ?それはデイジーの」


零れた言葉に、向かいに立つ薬師は紫の髪をかきあげた。見せつけるように胸元に瓶をしまう。


「そう。対価なしに人の心を読む。そんな生命が複数いたら?それが軍隊なら?実際どんな優れた兵器でも、交信しなきゃ意思疎通出来ないわ。交信の暗号さえ解読出来れば、大軍を撃破できたりするわけ。暗号を解くだけで勝ちに繋がる。なら、人の心を全て把握すれば、どうなるかしら」


薬師は髪をいじりながら、恍惚と、うっそりと笑みを深める。転んでも、ただでは起きない。行き掛けの駄賃。それでお釣りももらえる、儲けものを手にしたと言いたいらしい。

吐き気がする。やはり同情などすべきではない、これはあの老人と同類の生き物だ。危険だ。自分と同類なものは信用ならない。


「イエライのは」

「あら。あれは賭けだもの。うまくいくか分からない上に使い捨てなんて、勿体ない」


矢張り。質が悪いと白い男は額に手を当て、髪をかきあげる。仰け反るように上を向き、正面から相手を見下す。

月の能力は全てを犠牲にする。それよりは身体強化した太陽の能力を持つもので構成された軍隊は、脅威だろう。


「云うなァ。応援してた割に辛辣じゃねェか」

「それとこれとは別」

「まァ、この国からは出れねェよ」


神器を握る手に力を込める。ぴりりとした感覚。手の甲がぶれたのに、小さく舌打ちする。


「どうかしら。アタシの特殊能力、知らないのね。それに」


余裕なのか、相手は腕を組んでいる。神器を恐れていない。そして、同じ紫の瞳を細めた。その視線の先は、男の手だ。見られたのかもしれない。全く動じていない理由はそれか。


「貴方、随分存在が揺らいでいるみたい。無茶をしたのね。そんな身体じゃ、持たないわよ」


薬師は笑った。

勝ちを確信したそれが、鼻につく。


「自分を完全に分解したんでしょ?一部を残したならともかく、一度完全に消失したものを甦らせるなんて。マーガの死霊支配でも、治癒でも不可能だわ。秩序を曲げるものを、無理に行った歪みね」

「ほざけ」


男は神器で、薬師のとなりにあった岩を消した。したり顔で続ける薬師を、脅す。


「治してあげる」


薬師は提案する。取引か。だから見逃せと言うのか。男は口角を上げた。


「間に合ってらァ」

「それ。あのマーガじゃ治せない。《白の術師》でも無理かも。アルカヌムの《奇跡》なら、治せる」

「切り刻んで欲しいのかァ?」

「古の《夢幻泡影》」


神器を操っていた男の手が、ピタリと止まる。


「やっぱり。ブリオングロード。神を蹴った愚か者。貴方を歓迎するわ」


薬師は腕を組んでいたのをやめ、勢い良く胸の前で手を組んだ。キラキラと眼を輝かせ、男に近づく。咄嗟に、男は反応できなかった。


「貴方こそ叛逆者。世界の理を知るもの。貴方のこと、彼らは知らないでしょう?このままでいい筈ないわ。貴方はこの世界のなり立ちといく末を知っている。我らが主君も同じ。いえ、わが主はそれ以上の存在。是非、会って欲しいわ」

「まさか」


白い男は、瞠目する。

薬師は、己の赤い唇をペロリとなめた。


「決まりね。さあ、我が主のもとへ」

「糞が」


薬師の足元が光り、大きな輪が幾重にも重なった。

光は彼らを覆い、大きくうねる。白い男は抵抗しなかった。あるがまま受け入れる。光が粒子となり広がり、消える。

その跡に彼らの姿は、もうなかった。



円い月だけが夜空に存在感を示し、煌々と丘を照らしていた。














ーーーーーーーーー


これで、この話はおしまいです。



時系列は


リア 蝕の10日後

アスト 7日後と13日後

マーサ 数日後

ブリオン 蝕当日


です



書き直しすぎて意味不明のところがあるかもしれないですが、お付き合いありがとう御座いました。

またお会いできることがあれば幸いです。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終極の鐘 个叉(かさ) @stellamiira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ