第11話 あなたは誰?

 一つ目の料理長は、大量に収穫した野菜とコカトリスを見て、気を良くしたようだ。


「さすがはフェンリル様。美味しいものをたくさん作ってさしあげなさい」


 うん、まあね。頑張ったのはルーともふ魔で、私はほとんど活躍していない。


 ただ、たとえ料理を作っても、コカトリスを一羽丸ごとかじっていたルーは、もうお腹いっぱいだと思う。


 作りすぎたら無駄になるし、生肉は保存がきかない。

 それは、氷室ひむろの調子が悪いから。


「とりあえず塩漬けにして、余った分は鶏肉のソテーね」


 自分の夕食も兼ねているので、当然手は抜かないつもり。マンドラゴラの葉っぱも、一緒にいただくことにしよう。


 そう思って、コカトリスの肉をよく見たら――。


「料理長ってば、むき出しで放置している。こっちは床に落っことしたのかな?」


 なんと生肉の一部が、変色していたのだ。


「でも、これだけの量を捨てるのは、もったいないよね」


 収穫はルーのおかげだし、お腹もペコペコだ。


「傷んだ部分を除いて、火を通せばいけるかな?」


 私は肉が縮まないようにフォークを刺して、皮目からパリッと焼く。岩塩と葡萄酒を加えて蒸し焼きにした後は、ニンニクとトルナマトを煮込んで作ったソースをかければ完成だ。

 仕上げにマンドラゴラの葉っぱを添える。


「確かチーズもあったはず♪」


 熟成したチーズは別の穴蔵にあったから、大丈夫だろう。


 赤紫色のソースの上に、黄色いチーズを削ってかけた。緑色のマンドラゴラを添えたので、彩りも美しい。お肉の香ばしい香りが食欲をそそる。


「いっただっきまーす」


 シンとした調理場に、私の声が響く。


 お肉は焼き加減が絶妙で、味はほぼ鶏肉だった。

 ニンニクとトルナマトのソースはパスタにも応用できるから、次は多めに作って保存しよう。

 びっくりしたのはマンドラゴラの葉で、見た目も食感もホーレン草。いや、あっちより味が濃いみたい。


「命懸けで引き抜く人の気持ちが、ちょっとだけわかった気がするわ〜」


 全て残さず平らげて、ため息をつく。


「ふう。ごちそうさまでした。今日の食事は、ルーともふ魔達のおかげだね」


 城に住む魔族も、コカトリスの豪華な夕食に舌鼓したつづみを打ったことだろう。


 食べた後はお片付け。

 ところが突然、胃が痛む。


「痛っ、痛たたたたた……」


 焼け付くような痛みに襲われた私は、お腹を押さえてうずくまる。


「まさか毒? マンドラゴラの猛毒が、実は葉っぱにもあるんじゃあ……」


 恐ろしい考えが浮かび、ひたいに汗をかく。

 吐き気はどうにかこらえたものの、恐怖がせり上がる。


 ――私、食べ物のせいで死ぬの? いや、猛毒なら即死のはず。じゃあこれは、食あたり? 


 焼けつくような胃の痛みを、考えごとでごまかす。


「ダメだ。力が入らない」


 ごまかすどころかしんどくて、身体が動かない。

 その場に倒れた私は、力なく目を閉じた。


「ひんやりした床が気持ちいい。ここで死んだら、魔王は驚くかな。吸血鬼は……喜びそう」


 食い意地が張っていたのは認めるけれど、あいつにバカにされるのは嫌だ。それに私には、いつか人間界に戻って元婚約者の王子をバッキバキのボッキボキに……じゃなくて、ぎゃふんと言わせる夢がある。


 その直後、耐えがたい痛みに襲われて、そこから先は何もわからなくなった。



 *****



 小舟に乗ってゆらゆら揺れている。

 

 ――おかしい。第一王子のエミリオ様と婚約した私には、船遊びすら許されなかったのに……。


 湖でボートに乗ったのはいつのこと?

 祖父と一緒にアヒルの足こぎボートに乗った私。ゆったりこいで景色を楽しむはずが、周囲を組員達の乗るボートで固められてしまった。


『さ、お嬢。ボートに乗ったし、もう行きましょう』


『こんなはずじゃなかった。周りが全然見えないし、楽しくないじゃない!』


 文句を言う私に、世話係の青年が困ったような顔をする。


 忙しい祖父はボートを降りると、さっさと車に戻ってしまった。走り去る音が聞こえたから、残された私はまた一人ぼっちだ。


『お前ん家、ヤクザだろ?』


『ママが、みーちゃんとは遊んじゃダメって言うの』


 一人には慣れっこだけど、せめて肉親くらいは甘えさせてくれてもいいじゃない!


 だけど、祖父は甘えを許さない。

 職業柄仕方がないのかもしれないが、ボートに乗ったのだって、私が必死に頼み込んだからだ。


「こんな家、嫌い。普通の人と結婚して、温かい家庭にする」


普通の暮らしに憧れて料理に励んだのも、思えばこの頃からだった。何気なく眺めた雑誌に『男心を掴むには胃袋から』と、書いてあったので。


『胃袋』の二文字が浮かんだ途端、胃から何かがせり上がる。


「苦しい! 降ろして」


「もうすぐだ。もうすぐ部屋に着くから、我慢するがよい」


 そんな無茶な……。

 けれど耳に響く低音は心地よく、不思議と吐き気は収まった。


 ――この声は、誰のものだろう?


「エミリオ様?」


 婚約者の名を呼んでみる。

 返事がないので、違うみたい。

 確かに彼は、もう少し高い。

 私は最近、エミリオ王子の憎々しげな声音を聞いた気がする。


 ――あれは、いつのこと?


 急に胸が苦しくなって、痛む胸に手を添えた。

 ……いや、違う。苦しいのではなく、ムカムカするのだ。


「もうダメ。早く降ろして!」


「よく頑張ったな」


 笑みを含んだその声を、いつかどこかで聞いた気がする。

 柔らかい何かの上にそっと下ろされたので、考えごとは中断された。


 誰かの手が、ひたいに落ちた私の青い髪をかき上げる。

 その手は大きく優しくて、どこか懐かしい。


 ずっとこうしてもらいたいけど――――あなたは誰?


「まさか、寝る間も惜しんで働くとは。人間は怠惰たいだな生き物だと思っていたが……やはり性格か?」


「人間は」って、自分だって人なのに、変な言い方ね。


「弱ったところに腐りかけたものを食べたせいで、倒れたのでしょう。ただでさえ人は、か弱い生き物です。水薬を処方しますか?」


 この人もおかしな言葉を使っている。

 わざわざ「人は」って付け加えなくてもいいでしょう?

 覚えのない匂いがするけど、ここはどこ?


「ああ。我は、こやつを死なせるわけにはいかぬ」


「ただの人間を? 珍しいこともあるものですね」


 ほら、また人間って――。

 二人とも上から目線で、とっても失礼だ。


「先日もわざと非情を装いましたね。初めから、殺すおつもりなどなかったのでしょう?」


「なんのことだ。無駄口を叩かず、さっさと仕事しろ」


「仰せのままに」


 明らかに若い声の方が威張いばっている。変なの。


「さて、できました。こちらを飲ませれば……」


「貸せ」


 口に何かが押し当てられたので、そのまま飲み下す。やけに慣れた手つきで、抵抗する暇もない。

 前世も今も、誰かに優しくされるなんて久しぶり。


 ――前世って? 誰かって誰?


「あなたがご心配なさるとは。この人間に、そこまでの価値があるのですか?」


「価値とは、また違う。ただ、彼女はインプやあのフェンリルを手なずけた。大物かもしれんぞ」


「……はあ」


 インプって小悪魔のことだっけ? 

 フェンリルは空想上の生き物だよ。

 胃の中で暴れ回っているのは、まさか小悪魔!?


 眠りに落ちる直前、耳元で誰かの声がした。


「じゃあな、お嬢」


 とめどない妄想が次々浮かぶから、この声もきっとまぼろしだ。

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魔王とお嬢 きゃる @caron

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