第20話
斉藤はうつ伏せに寝たまま、動かなかった。すぐ側には、落下時に受け止める為のシーツを広げた教員達が呆然と立ち尽くしている。間に合わなかったようだ。
「き、救急車!!」
グラウンドに集まっていた群衆から絶叫に近い声が響き、一人の男性教員が斉藤に駆け寄る。
「斉藤! しっかりしろ!」
うつ伏せのまま応答のない斉藤の頭部からは、大量の血が流れ出していた。
周囲に絶望の色が広がる。誰もが諦めかけていた。
「あーぁ、結構スリルあったよー! 楽しかったぁ!」
誰もが耳を疑った。斉藤が体勢をくるりと仰向けに変えると、ケロッとした様子で気味が悪い程、無邪気な顔で言い放ったのだ。
後頭部から血が流れているが、腕や脚などが曲がってる様子もなく、何事なかったように、起き上がった。
「お、おい……身体は痛くないのか?」
驚愕な顔を浮かべた教員が恐る恐る話かけるが、斉藤はそれを無視し屈伸などの軽いストレッチを始めた。
骨折の様子もなく、関節の動きも滑らかであり、後頭部以外は無傷といった所か。
やがて後頭部からの出血が治まると、屋上の方へ顔を向けた。
「おーい! 赤松君! 君もどうだい? 気持ちいいぞー!! 飛び降りてこいよー!! 僕にも出来たんだ! 君にも出来るだろう!」
斉藤の常軌を逸した言葉に赤松は恐怖を覚えた。五階から飛び降りた人間が頭部の出血以外、ピンピンとしてるではないか。
当たりどころが良かったにしては、度が過ぎている。
とても人間業とは、思えない。
「な……な、なに言ってんだ……で、できる訳ねえだろう……」
口元を震わせながら、赤松は呟くように言った。
「斉藤くんの傷の具合が、どの程度かはわからないけど、彼は無事なようね」
百鬼は斉藤の傷の具合の心配より、他に危惧しなくてはならない状況にあるという事を、悟っていた。
「どう見ても普通じゃないわね。間違いなく純粋な人間ではない」
清姫も百鬼同様、この異常な状況をよく理解しているようだ。
斉藤は鬼人だ――
普通の人間なら飛び降りる事を躊躇う。それは高所に対しての恐怖心と死への恐怖心を抱くからだ。
だが、斉藤は何の躊躇もなく飛び降りた。落下しても死ぬ事がない、という自信があったに違いない。それに大怪我をしても再生能力で治る事を見越している。
しかし、人が変わったように急に強気になったのはどう説明ができるだろう。
元々、自分が鬼人である事を認知しているのが前提の話で、赤松達に我慢できなくなったのか……。
はたまた、親族や第三者が斉藤に鬼人である事実を伝え、急に過度な自信が生まれたのか……。
異様な空気の中、微かに聞こえる救急車のサイレン音。次第に音は大きくなり、こちらへ向かっているのがわかった。
すると斉藤は駆け足で玄関へと向かっていった。その足取りは軽く、とても五階から地に叩きつけられた人間の動きでは、ない。
「待て! 斉藤!」
呼び止める教員の言葉は、まるで耳に入らないといった様子で、斉藤は階段を駆けていった。
教員達が追い掛けて行くが、全く追い付かない。まるで獣のような瞬発力で疾走していく。
ついには追走を完全に振り切り、屋上へ続く階段を駆けあがった。
扉を開くと再び屋上へ到達し、立ち尽くす生徒達には目もくれず、赤松の元へ一気に駆け寄った。
「赤松君! どうしたんだ? 楽しいから一緒にダイブしようよ! いつも強気の君なら出来るはずだろう!」
赤松は顔を蒼白させ、震えた。
どう見ても尋常ではない。何かにとり憑かれているような行動、言動。もう狂気する感じる。
瞳孔が開き、まくし立ててくる斉藤を直視できなかった。
赤松はその場に崩れ落ちるように膝をついた。失禁もしたようで床が湿った。
「斉藤! 来い! 病院行くぞ!」
後を追ってきた教員が、右腕を強引に掴むと斉藤は大きなため息を吐いた。
「僕、どこも悪くないですよ?」
教員をキッと睨みつける。
「頭から血が出てるだろう!! 第一、屋上から飛び降りてどこも怪我してない訳ないだろう!」
斉藤は頭を一回捻ると、諦めたように教員と共に階段を降りていった。
赤松は放心状態に陥ったように、身体を微動だにせず、虚ろな目でどこか遠くを見つめていた。
「斉藤君……何が起きてるの?」
紅葉が顔を強張らせる。
「鬼人なのかもしれないわね。この高さから飛び降りて、ピンピンしてる。その疑いは強いわ。でも、あの人が変わったようなテンションの高さは……」
清姫は、やはりそこが引っかかった。しかし数珠が鬼の出現を知らせる反応を示さなかった。
覚醒とはまた違うのか――
「彼、恐らく一日検査入院して、翌日は退院すると思う。けど覚醒してるなら、病院が危険じゃない?」
百鬼は斉藤が病院で鬼と化して、凶行に及ぶ可能性を危惧していた。
患者が多くいる病院で鬼になったらそれこそ大惨事だ。
「どうする? 監視するか?」
修羅が言うと、羅刹が表情を少し曇らせた。
「でも、病院に迷惑かかるんじゃない?外部の人間が彷徨いてたら、警備員に止められるよ。それに……」
「斉藤くんが鬼人だって事もまだわからないし、だとしても覚醒するのかわからないのに、私達がズカズカとプライバシーにまで踏み込んで良いのかなぁ?」
紅葉が羅刹の言葉を思わず遮り、疑問を口にする。
「いやいやいや、お前、何か起こった後じゃ手遅れだぜ? それにアタシ達は鬼退治を命じられてる立場だぜ? そんな甘っちょろい事言ってどうすんだよ」
修羅が語気を強めて反論するが、紅葉は明らかに不満の表情を見せる。
「とにかく、私は病院に張り込む事なんて、したくない。部活に戻るね。途中だし」
紅葉はそう言うと、早足で屋上を後にした。
「紅葉……」
百鬼は浮かない表情を浮かべ、小さく呟いた。そして余計な事を口にしてしまったのかという、少し後悔の念に駆られた。
「私は伊吹さんと茨木さんの意見に同意する。斉藤くんのあの様子じゃ、心配だもの。空振りならそれでいいじゃない?」
清姫の言葉に少し救われた百鬼だが、やはり紅葉の事が頭に過る。怒ってるのではないか気にしてしまうのは、やはり彼女は特別な存在だからか。
「よし、で、どこの病院行くんだ?」
修羅の言葉に顔を凍らせたのは百鬼と清姫だ。無論、斉藤が搬送される病院まで把握していない。
すでに救急車のサイレンの音は小さくなっていった。走っても間に合いそうにない。
「どこに行くかなんか、頭に入ってなかったわ……」
清姫が珍しく舌打ちをした。
「どうすんだよ……」
早くもこの計画が頓挫する予感が漂う中、百鬼が何かを思い出したかのように、急に挙手をした。
「多分だけど……私が鬼に襲われた時に入院した病院ならわかる! そこなら大きな病院だし」
それを聞いた清姫は、少し安堵の表情を見せた。
「しゃーねぇ、そこに賭けてみるか」
「違っても恨まないでね……」
一時間後、四人は「不知火総合中央病院」の総合受付にいた。
百鬼と紅葉が工藤に襲撃された際、搬送された救命救急センターが設置された病院だ。
清姫が代表して受付で確認を取ると、待合所にいる三人に向かって指で◯を作った。
どうやら、斉藤が搬送されたのに間違いないようだ。
三人に安堵の表情が浮かぶ。
斉藤は外来病棟二◯三号室に入院している事も聞き出したが、今日は家族以外の面会は出来ないと言われたらしい。
「斉藤君が鬼人である事が未確定の状況で、病院を張り込むのはあまり得策じゃないわ。直接本人に聞きましょう」
「聞くっておめえ、今日は面会できないんじゃねえのか?」
「強引に行くしかないでしょ」
「おお! やるじゃねえか! そういうの嫌いじゃないぜ」
清姫は規則を守る優等生タイプだと思い込んでいた修羅だが、その言葉に思わず顔が綻ぶ。
「あの状態で、まともに話してくれるかな?」
百鬼は一抹の不安を抱く。興奮状態で奇行に走った斉藤が、いきなり鬼人か否かの問い掛けをしてくる人間に、冷静に対応してくれるかどうかは十分な不安材料だ。
「とりあえず無駄に病院を徘徊するのはマジ勘弁」
うんざりな顔で、ため息混じりに言う羅刹を後列にし、四人は病室へと向かった。
四人は周りを警戒しつつ、斉藤のいる二◯三号室の前へ辿り着いた。
在室かどうかは全くわからないが、清姫がとりあえずドアをノックしてみる。
すると、「はい?」と微かな応答があった。
スライド式ドアの引き手を横に開くと、個室のようで、ベッドが一つだけあり、そこに患者衣を纏った斉藤が仰向けで雑誌を読んでいた。
「どうしたんだい? こんなに大勢で」
斉藤は先ほどまでの興奮状態とは違い、落ち着きを取り戻したように冷静な口調で言った。
「ごめんなさいね。急に押し掛けちゃって。怪我の具合は、どう?」
斉藤は雑誌を閉じて、備え付けのテーブルに静かに置いた。
「見た通り。何ともないよ? まぁ、みんなはびっくりしただろうね。五階から飛び降りて平気な顔でいられる人間なんて目にして」
「そうね……」
清姫は聞くタイミングを見計らってるようで、少しソワソワした様子を見せた。
「斉藤君、本当は怪我したんだけどもう治ったんだよね?」
いきなり本題に入ったのは意表を突いて百鬼だった。
三人は驚いた表情で、一斉に百鬼に視線を移した。
「ん? 何が言いたいの?」
斉藤は一瞬、怪訝な表情を浮かべた。
「私達も怪我してもすぐ治っちゃう体質なんだよね。ほら、私なんて通り魔に切られて重傷だったのにすぐに戻ってきたでしょ?」
「あぁ……。あの時大怪我したのは、本当の話だったんだね」
何か勘づいたのか、斉藤から微かな笑みがこぼれた。
「つまり、君達も鬼人だという事か」
斉藤はあっさりと認めた。
意外にも早く認めた事に清姫は少し戸惑ったが、まずは第一段階クリアと言った所か。
「しかし、伊吹さんがこんなに喋りかけてくるなんて、珍しいね」
お前に言われたくないと内心思ったが、確かに百鬼は普段からおとなしくて、積極的に話したりしないが、鬼との戦闘を経て、自分の中の何かが変わっていったという自覚は持っていた。
それは親の仇を一人で討ったという自信なのか、最強の鬼と恐れられた酒呑童子の子孫という誇りなのか、まだはっきりとはわからなかった。
「あ、いや、同じ鬼人だったら話しやすいの」
「そっか……。同じ鬼人ねぇ……」
「ところで、斉藤君こそ何で急に赤松君に噛みついたり、自分から飛び降りたりしたの?」
百鬼が問うと、斉藤は顔を曇らせ俯いた。
「我慢……出来なくなったんだよ」
「我慢?」
「あぁ、赤松達の嫌がらせには正直こりごりしてたんだ。でも我慢の限界が来ちゃってね……僕が鬼人である誇りを思い出して、ついにやってやったんだよ! 赤松の顔見た? 完全にビビってたよね! もうあいつらの言いなりにはならない!」
斉藤は、まくし立てるように熱弁をふるう。
赤松に散々いじめにあっていたのだ。鬼人の能力を見せつけて驚かせてやろうという考えも、不自然ではない。
しかし、これが覚醒による感情の起伏なのか否か。現段階では、確証がないのも事実だ。
「そっか、でも無理しないでね。赤松君達に危害を加えたりは絶対にしないようにね。鬼人は普通の人間よりも、力が強いんだから」
百鬼は念を押すように、斉藤に警告をした。
「あぁ……そうするよ」
斉藤は虚ろげな目で力なく言った。
「じゃ、私達はこれで帰るわね。お大事に」
最後は清姫が別れを告げて、四人は病室を後にした。
病院の正面玄関をこそ泥のような足取りで、静かに抜け出すと、四人は敷地内の駐輪場へ集まった。
「どう思う? 彼は特に変な様子なかったけど」
清姫がまず切り出す。
「いや、斉藤も大した根性だぜ! あそこまで身体張って赤松に仕返ししてやったんだぜ? 強くなった証拠だよ!」
修羅はやはり根性論が好みのようで、「やられたからやりかえした」という意味で、斉藤に不審な点はないようだ。
「んー、まぁ特にないんじゃね? 彼は彼なりに悩んでたんだろうし」
羅刹は深く考える事を面倒くさがってる様子だが、特に不審な様子は感じられなかったようだ。
「今日は張り込みしなくていいんじゃない? 落ち着いてた様子だし。でも、しばらくは注視する方がいいかも」
一連の行動も、意味があっての事だというのは理解したが、覚醒の疑いが完全に晴れた訳では、ない。百鬼は斉藤に対して拭えぬ不信感を抱いていた。
鬼神少女戦線 百鬼 侠四郎 @taka19791002
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