第30話 終
手慣れたカレーとは違い、ラザニアは作るのが難しかった。ホワイトソースですら作るのに一苦労だ。
リビングでは、ナップサックと赤いボールが楽しそうに飛び跳ね合っている。
玉ねぎを刻みながら新花が言った。
「ママは悲しみとか、後悔とか、私たちへの謝罪の気持ちで死んじゃったと思う?」
「うーん……」
「私はそうは思わない。変な話、私たちがいたから安心して死ねたんじゃないかと思うの」
「そう?」
「よく言うでしょ。人はいつ死ぬかわからない。だから、いつ死んでも悔いがないように生きろって。ママは悔いがないように生きてた。私はそれがわかって、なんだか嬉しい」
「俺は……二人で新花の成長を見たかったけど」
「今だってそうじゃん」
新花は信二の顔を見上げた。
「そうでしょ?」
にんにくのみじん切りを中断して、信二は新花に向き直った。何か言おうとする信二を娘は子どもらしく遮る。
「パパ、臭い!」
「ええ?」
そうして笑う新花の顔に、もう愛歌の顔は重ならない。新花は新花であり、自分の娘なのだ。誰にでも過去はあり、どういう形であれ自らの糧になっている。
過去は変わらない。ただ、味付けの一つくらいは変えてもいいのかもしれない。
「私やっと反抗期になれそう」
新花にとっても、父が父であることが大事だった。
インターホンが鳴った。
新花が嬉々として玄関へと走っていく。手を引いて連れてきたのは、釣り師の女性。相変わらず冷酷な美女といった見かけだが、夕食に招待した時間より一時間も早くここにきている。楽しみで楽しみでいてもたってもいられなくなったのだろう。
「これ、荷物」
女性は机に何やら封筒を置く。
不思議そうにそれを見つめる新花に信二は声をかけた。
「新花、開けていいよ」
中には、緑色の大きな魚を担いだ青年の写真と手紙が入っていた。
「あれ? この人って……なになに、きっかけ屋さんへ。きっかけを運んでくださりありがとうございます。おかげで、自主製作した映画が有名な監督の目に留まって、映画関係の仕事を始めることができました? 将来は映画監督を目指すつもりです?」
驚いて顔を上げた新花に信二が言う。
「こうやって、人と人とが繋がったり」
「すごぉ! きっかけ屋!」
はしゃぐ新花に向かって女性が言う。
「ねぇ、料理はまだかしら。お腹が空いたわ」
「じゃあ、マカロニを茹でてもらおうかな」
「え、私も料理するの?」
「当り前じゃん」
「お客よ」
「違うよ。家族みたいなものでしょ」
女性は衝撃を受けすぎて口を半開きにして固まった。目線だけを信二に移すと、信二は笑顔で言う。
「そういうこと」
女性は、あふれ出る涙をごまかそうと、渡されたマカロニの袋で必死に顔を隠した。
きっかけ屋 shomin shinkai @shominshinkai
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