繭に、春風

雨谷結子

繭に、春風

 玄関を上がってすぐ、あたしは「え、きもっ」って呟いた。

 夏場から今の時期はほとんど枯れ木みたいに意味なく突っ立っているコートハンガーのポールに、脚をもきゅもきゅさせながらくっついているやつがいる。

 イモ虫だった。それも巨大な。十五センチ物差しと比べたら、ちょっと小さいかなってくらいの。全体的に緑っぽくて、この東京で見上げるお星さまみたいに黒い点が疎らに散らばっている。

 極めつきは、その体の質感の奇妙さだった。

 いわゆる幽霊みたいに、後ろの白いビニールクロスの壁が透けて見える。おまけに輪郭がひかっていた。

 新種の外来生物かと思って、外来生物ってどこに通報したらいいんだろうと思って、Safariの検索窓に「外来生物 見つけたら」ってフリック入力してから、あたしははたと気がついた。


「……もしかして、常世神とこよのかみさま?」


 巨大イモ虫は、あたしの独り言に頷くみたいに頭を反らせてこっちを見た。

 いや、本当のところは見たのかどうかわからない。

 イモ虫のつぶらな眸みたいに見える部分は、本当のところは模様でしかないのだ。眼状紋という疑似的な目玉模様で、天敵を脅かしたりするものだと前に聞いたことがある。

 そもそも、イモ虫とコミュニケーションが取れるわけがないし。

 あたしは妙な考えが過ぎったことにたっぷり時間をかけて言い訳したうえで、区役所に電話することも殺虫剤をもってくることもやめることにした。

 引き出しをひっくり返して、大学名の印字されたダサい半透明ブルーのUSBをノートパソコンにつなぐ。続いてワード文書を開いて、印刷ボタンをクリックした。

 もはや骨董品と成り果てたプリンターがガガゴゴと壊れたロボットみたいに唸り声をあげる。それを焦れたように聞きながら、あたしは画面上のレポートのタイトルを目で追った。

 『忘れられた神 ―常世神とは何か―』。

 ちょっとタイトルが大仰すぎて中二感を禁じ得ないけれど、学生時代に教養科目で取った民俗学で提出したレポートである。

 その一節目を読み終わってようやく、プリンターが用紙を吐きだす。あたしはその数枚のA4用紙を摘まむと、シースルーイモ虫の元に取って返した。


「やっぱりあなた、かみさまなの?」


 あたしの問いに、当然イモ虫は答えない。

 意を決しておそるおそる手を伸ばす。

 ピンクベージュのマニキュアが剥げかけている爪先は、その体に触れることはなかった。

 まるで水に触れるみたいに、指が体を突き抜けていく。水とちがうのは、温度も感触もなにもないことだ。だけどその接触点を中心にして、水溜まりに波紋が広がるみたいに空間がたわむ。

 あたしはびっくりして勢いよく手を引いた。同時に、ぼて、とイモ虫がフローリングの床に落ちる。

 あたしは鈍く痛むこめかみを揉んだ。

 やっぱり疲れているのかもしれない。幻覚まで見たのははじめてだけど。

 そう結論づけると、あたしは生ぬるい午後の陽射しのからまるベッドに戻ることにした。


 *


 なんだか疲れちゃったことに、たぶんこれといった理由はなかった。

 あたしの人生は平凡そのもの。知り合いみたいに、結婚指輪をふたりで選んだ二週間後に、自分のアパートで彼氏が知らない女の子とまぐわっていたこともなければ、半ブラック気味の会社勤めで心を病んで、終電のホームから線路に飛び込みかけたこともない。

 鮮やかな原色の勝利とも敗北とも無縁の、ひたすらにピントの合わない双眼鏡を覗き込むみたいなぼやけた人生。あたしがそういうレールの上を歩きはじめたのは、少なくともおぎゃーと生まれてすぐではなかった気がする。

 あたしが生まれ育ったのは、このやたらと縦に細長い国の、北の最果てにほど近い町だった。

 その町は一年の半分以上が冬に鎖されていて、見上げれば憂鬱な曇り空ばかりが覗いていたのをよく覚えている。

 冬にはまるで潔癖な少女のように空が朝な夕な大地の漂白を繰りかえし、短い夏には人類などよりよほど繁栄を謳歌している動物たちが我が物顔でそこここを闊歩していた。

 小学校は一校で、中学校も一校。毎年のクラス替えは存在せず、全校生徒の名前は覚えようと一念発起せずとも諳んじることができた。

 あたしは時代に取り残された町を手放しに愛せるほど純情で愚鈍ではいられなかったけれど、それでも学校では上手くやっていた。

 あたしという人生の主役は、あたしなのだと疑わないでいられるくらいには。

 女の子がガリ勉なんかしてどうするんだっていうもはや化石と化した価値観の町で、義務教育のあいだはずっと学年首位の成績をキープしつづけたし、一日に三本しか走らないバスに乗って隣町の高校に通うようになってからは人並みに恋をした。

 それから、将来はドラマ制作に携わりたいななんていうおぼろげな夢が発芽しゆるゆると茎を伸ばしていくのを、だいじに育てた。

 劇場も映画館もライブハウスも本屋も美術館もない町で、テレビのリモコンひとつで広い世界とつながって他の人の人生を生きることができる。

 そのことは、あたしの生きる場所はここじゃないっていう自意識で押しつぶされそうな心に、いっときの安らぎと勇気を灯してくれた。

 そしてあの隔絶と停滞に支配された町の子らのほとんどがそうであるように、高校卒業と同時に大空に飛びだした。

 あたしが選んだのは東京の大学への進学で、そこからがピントの合わない人生のはじまりだった。ううん、本当は最初からそうだったのかもしれない。ただ、あのちっぽけな世界にぬくぬくとぬくまっていたころは、なにもかもが手狭でレンズを覗きこむ必要がなかっただけで。

 滑りどめの滑りどめの滑りどめ大学に進学したあたしは、マスコミ・メディア学専攻の入試にことごとく落ちたがために、なんとなく社会学を専攻した。そうしてなんとなくボランティアのサークルに片足を踏み入れ、それ以外の時間はファミレスのバイトに明け暮れた。

 故郷には死んでも戻りたくなかったから就活は真面目にやったけど、エントリーシートを送り続けて、志望動機を面接のたびに着せ替えしたすえに射止めたのは、小さな石材店の事務仕事だった。

 営業から回されてくる契約書のデータをひたすらキーボードを叩いて入力し、お客さまからの問い合わせに決まった資料を準備して送る。電話対応は口角を上げて、ワントーン高い声で。発注作業は今時分流行らないFAX通信。事務用のパイプ式ファイルがたちまちパンパンになるのを、キャビネットの整理整頓をしながらやりくりする。あとは掃除とお茶汲みくらい。

 誰にでもできる仕事がくだらないとは思わないけど、それがあたしの日常になって随分になる。

 きちんと休みは取れるし、残業も多いときで二時間程度。たまに営業部長の理不尽を煮凝りにしたみたいな罵声が事務所に響くと、じくじくと塞がらない傷があったことを思いだしたように身体の内側が痛んだりはする。

 まあでもたぶん、あたしのようなぼやけた三十路女には望むべくもない職場だ。

 休日の今日は十時過ぎに目が覚めて、それからしばらく好きなブランドのインスタライブのアーカイブとか、見知らぬ他人のツイッターのアカウントを次から次へとサーフィンしたりして過ごした。

 最近はいつもそう。なんだか眠くてだるくて、好きだった脚本家と演出家がタッグを組んだドラマも三話まで見て止まっている。

 姿見を覗きこめば、だるっとしたTシャツとハーフパンツに踵の擦りきれた靴下を履いた女が猫背気味で寝ぼけまなこを擦っている。

 せっかくこうして昼前に起きても、なんだか起きているのが面倒になって、リビングに敷いてあるラグのうえで丸まっていつの間にか寝落ちていたりする。

 こんなに眠くてだるいのはなんでかわかっている。

 いつもドーナツみたいに中身のない肥大化した感傷を抱えて眠れないからだ。それでブルーライトを浴びながら、情報化社会の際限なくあふれる文字の洪水に身を任せているからだ。朝が来ないようにと胸のうちで馬鹿げた願いを繰り返しながら。

 名前すらついていない不安っぽいなにかをやり過ごすために、ただただスマホをスワイプするのがどれだけ無駄な時間かなんてことも言われなくてもわかっている。

 だけど、あたしにはそれ以外に、今を生きていくすべがない。


 今日外に出る事態になったのは、昨日取りこみ忘れたバスタオルがひらりと秋風にさらわれていってしまったためだった。アパート横の枳殻からたちの木の近くに、くたびれたミント・グリーンのバスタオルが横たわっている。

 それを拾い上げてから、あたしはなんとはなしに枳殻の木に目をやった。

 鋭い棘がどこか拒絶的な、深いみどりの色をした枝。枝に閉じ込められるようにして、みどりから黄色に変わりつつある果実が結実していた。

 その葉の裏に、うねうねとしたイモ虫もどきが蠢いていた。普通のイモ虫のサイズよりだいぶでかい。

 あたしはちょっと及び腰になりつつも、好奇心に駆られて一歩二歩と木に近づいた。

 まだ一所懸命努力する少女の残滓が残っていた大学時代、あたしは教養の民俗学のレポートで、みかん科の木につく幼虫についての古代の信仰をテーマにした。だからだろうか。現実のイモ虫とはあまりお近づきにはなりたくないけれど、このもきょもきょした生きものへの関心を小指の先くらいはまだ、引きずっている。


「きみ、将来は蝶になるの? それとも蛾かなあ。ひょっとして、常世神さまだったりして」


 バスタオルを抱きしめながらあたしはその幼虫のかみさまの名前を口にした。

 すぐになーんちゃって、と自分で自分を茶化したところで、ミニチュアシュナウザー連れのお兄さんが通りかかって、あたしは恥ずかしくなって慌てて階段を駆け上がる。

 そうして勝手知ったる自分の部屋で、枳殻の木で見つけたイモ虫とそっくりな――だけど体が透けててなんとなく発光しているうえに実体のない――奇々怪々な生きものを見つけたのだった。


 *


 結論から言えば、あたしが夕方目を覚ましても「怪奇! 光る巨大幼虫」はコートハンガーの枝のところでもぞもぞしていた。次の日もその次の日も仕事から帰ってきたら、ラグの上に置いてあるリーフ型抱き枕の上に鎮座していたり、椅子の背もたれのところを懸命に這って進んでいたりした。ついでに言えば、枳殻の木を住処にしている実存系イモ虫も、来る日も来る日ももきょもきょ葉っぱを食べ続けている。

 これはいよいよ、ピンぼけ人生疲労によるブルーライト依存症の症状が悪化したのかもしれないと思ったけど、今のところ実害はないので放っておいている。

 あたしはいよいよやる気が底を突いて、帰宅後ご飯も食べずにラグの上に横たわってカーテンのほつれを眺めていた。

 視界の端にふと、発光体がよぎる。横になったまま手を伸ばせば、それはなんとあたしの手の甲の上をもきゅもきゅのろのろ這いはじめた。驚いて身を起こしてもう片方の手で触れてみたけれど、あたしの指は相変わらず霊体に触れるみたいにその体を突き抜けてしまう。だけどどういうわけか、イモ虫のほうからはあたしの身体に触れることができるらしい。

 肘の関節のあたりに差しかかったところで、そいつがあたしを見上げた。

 観念して、イマジナリーフレンドか地球外生命体か非業の死を遂げたイモ虫の亡霊か、はたまたかみさまか得体の知れぬそれと目線を合わせてやる。


「あたし、繭っていうの。きみは?」


 分かっていたことだけど、あたしが自己紹介したところでイモ虫は答えない。


「イモ虫くんじゃ呼びにくいから、とこよんって呼ぶことにするけどいいかな」


 とこよんは、うんともすんとも言わずに二の腕をよじよじ登りはじめる。あたしはされるがままになって、その遅々として進まない歩みを眺めた。

 最初はきもさが勝っていたけど、よくよく見てみると、頭でっかちで短足でひしっと腕にしがみついている様はかわいくなくもない。ていうか、わりとけっこうかわいい。


「きみは、何者なんだろうね」


 そう言いつつも、ほとんど七割近く、この子ってば常世神さまなんじゃないかっていう馬鹿げた考えで頭がいっぱいになっている。


 常世神というのは、『日本書紀』に出てくるかみさまのことだ。

 時は六四四年、皇極天皇の御代。大化の改新の前年。東国に住む大生部多おおうべのおおという人物が、橘の樹に生まれる長さ四寸余り、みどり色をして黒點くろまだらのある蚕に似た蟲を常世の神として祭るよう言いだしたのだという。

 常世神をまつる者は、富と長寿が得られるという現世利益が説かれ、巫覡かんなぎたちも熱心に布教活動を行った。その信仰は鄙でも都でも大フィーバーしたのだが益はなく、葛野かどの秦造河勝はたのみやつこかわかつというひとが民が惑わされるのを厭って教祖であった大生部多を打ち倒した。

 これが常世神信仰の顛末だ。

 常世神なる蟲の神が実のところなんの蟲だったかは諸説ある。

 そもそもいくら古代人といえど、虫けらごときをかみさまとして祭るのはおかしいとして、そんなのはフィクションだと鼻で嗤っている言説もあるくらいだ。

 ちなみに定説は、クロアゲハ説。ヤママユやシンジュサンっていう蛾の仲間説もある。

 あたしは、常世神さまが分類学的になんなのかっていうのは正直どうでもよかった。

 レポートのテーマにまで選んだのは単純に、このかみさま、淋しいだろうなって同情したから。

 なんで蟲の信仰がそれほど人々の心を掴んだかというと、当時の社会状況が影響していたらしい。

 当時まだ貴族のための信仰だった仏教は、凶作と飢饉に喘ぐ民を救ってなどくれなかった。富と長寿をもたらすと謳われた常世神を、人々はきっと藁にも縋る思いでまつったはずだ。

 そうして一時は社会現象になるくらい篤く信じてもらえたかみさまなのに、多さんが倒されたらその蟲のかみさまはインチキ呼ばわりされて、完膚なきまでに叩きのめされて二度と蘇ることはなかった。

 俗に、忘れられたかみさまは力を喪うとか消えてしまうとか言う。

 なら、もし今あたしの肩で体を休めているとこよんがそのかみさまだというのなら。


「きみはまだ、自分のことをかみさまだって信じていられてる?」



 * * *



 次第に罅割れたアスファルトを埋める落ち葉が数を増していき、あたしのコートハンガーにはぱっとしない量産型トレンチコートとストールが掛かるようになった。

 相も変わらずあたしのイマジナリーフレンドは、部屋のなかでもきゅもきゅ蠢いている。なんだかもうほとんど同居人みたいな境地にいたってしまって、見当たらないと不安になるくらいだった。

 外の枳殻の樹がすっかり葉を落としてしばらくは、実存系イモ虫を見かけない日が続いた。もしかして冬支度が間に合わなかったとか、カラスにつつかれて死んじゃったんじゃないかってあたしは案じた。だけど、じっと観察してみると枝の裏側に繭がくっついているのに気がついて心底ほっとした。あの繭のお布団のなかにはたぶん、イモ虫が変態した蛹がくるまれているのだ。

 繭があるってことは蝶じゃなくて蛾だろうか。でも、蝶にも繭をつくる種がいるって聞いたこともある。

 あれからネットで色んな蝶とか蛾の幼虫を調べたけれど、いまだこれがなんていう種類の蟲なのか検討がついていない。

 とこよんと出逢ってすぐのころは、枳殻の木の幼虫ととこよんは同一人物ならぬ同一蟲物じゃないかっていう推測をしていたこともあった。だけど、とこよんが変わらずもきゅもきゅし続けているのを見るとちがうのかもしれない。

 家のなかでも外でもイモ虫に熱視線をそそいでいるせいで、あたしのブルーライト依存症はいつの間にかほぼほぼ完治していた。

 たまにとこよんと同じベッドに寝たりもしている。実体がないとはいえ、踏みつぶしたらどうしようって気が気じゃなかったりもするんだけど。

 ぴこん、と音が鳴る。

 今まで観ていたサブスク配信のドラマを一時停止して、スマホの通知に指を滑らせる。高校のときに仲良くしていた友だちからだった。


『繭ー! 久しぶり。まだまだ憂鬱な日々だけど、元気してる? 実はちょっと報告があって連絡しました。このたび、わたくし佐藤こはるはかねてからお付き合いしていた彼と入籍しました。来年の七月十六日、札幌でお式を挙げます。繭にも久々に会いたいし、結婚式に参列していただけたらと思っているんだけど、どうかな?』


 あたしは速攻、おめでたい系スタンプを三連打した。


『おめでとー!!! こはるもついに人妻かぁ(笑)早々に職場に確認してみるね。最近は里帰りもできないし、寂しい毎日だよー。私もこはると会って色々話がしたいです』


 それから少しずつ冬の足音が近づいてきて、東京にも初雪が降った。故郷の雪とはまるでちがう、重たくて排気ガスで煤けた牡丹雪。

 それでも枳殻の木にくっついた繭はじぃっとして、寒空の下で春を待っている。

 あたしのアウターは、トレンチコートから厚手のチェスターコートに。やがて駅ビルのウィンドウの飾りつけは、華やかな福袋やみかんや門松の饗宴から、まるでひと粒ひと粒が宝石みたいなチョコレートと、オールドローズやボルドーのカラーで彩られた大人かわいいときめきの空間へと様変わりした。

 そんな頃、今度は故郷の幼馴染から連絡がきた。


『生きてる?? 里穂です。すっかり繭も東京人だね。実はこの間、漫画の新人賞に引っかかって、雑誌に受賞作が載ることになりました。よかったら繭に読んでほしいので、住所を教えてくれる? 送ります』


 その子は、漫画家になりたくて芸大を目指していたけど経済的理由で諦めて、地元に留まった子だった。介護施設に就職したと聞いていたから夢をすっぱり諦めたのだと思っていたけど、地道に投稿生活を続けていたらしい。

 あたしはいつかのように芸もなく、おめでたい系スタンプを三連打した。


『おめでとう!!!! えー! 超おめでとう!!!! すごすぎるよ里穂。おこがましいけど、自分のことのようにうれしいです。雑誌の名前教えて。そんなの買って読むに決まってるじゃん(笑)』


 あたしは着る毛布にくるまりながら、テンションの高いメッセージを送り終える。

 それから、細く長く息を吐きだした。

 マグカップのそばでくつろいでいたとこよんが、あたしの息のふるえに気づいたようにちらりとこちらを見上げる。

 あたしはその日からブルーライト依存症をぶり返して、またしても録画したドラマがレコーダーのHDDの容量を圧迫していった。

 みんな、誰かの妻とか、係長とか、お母さんとか、漫画家とか、そういうラベリングされたなにものかになっていく。

 それは一概にいいとは言えないよっていつか、いの一番に二児のママになった大学の友だちが言ってた。

 ひとの一面だけを抽出したラベリングをすることは、ひとを追い込んだりすることもある。

 あたしの故郷でも、お母さんという存在は無償の愛の化身みたいな役割を求められていた。それはひどく不均衡で歪でグロテスクで、ああいう『お母さん』にはなりたくないと子ども心につよく思った。

 だけどそのラベル一枚すら貼られていないあたしは、なんなのだろう。

 あの町を出ればきっと、なにかとくべつな、きらりとひらめく一等星みたいななにものかになれると思ってた。

 だけど十年前にあれほど焦がれていた夢への熱はもはや冷めきって、そのくせその灰を手のひらに握りしめたまま、あたしはここから一歩も動けずにいる。

 自分という存在を信じられなくなったとき、ひとはどうやって自分を生きてゆけばいいのだろう。

 あたしはかぶっていた布団から鼻先だけ出して、とこよんを見つめた。

 ヘッドボードからあたしを見下ろしているとこよんは、やっぱりなにも言ってくれない。

 イマジナリーフレンドなら、こんなときくらい励ましてよって文句を言いたくなる。

 でも、あたしがあたしをすくえないのに、あたしの妄想の産物でしかないとこよんが、あたしをすくえるはずもない。



 * * *



 その年の二月。もうすぐそこに春の気配が近づいて、間もなく生きものたちが長い長い眠りから目を覚まそうというころ、東京を寒波がおそった。

 叩きつけるみたいな暴力的な風に水っぽい雪がからんで、首都圏の交通網はてんやわんやの大騒ぎとなった。

 いつも使っている路線は復旧のめどが立たず、あたしは上司に許可をもらって、有休を消化することにした。

 びしょ濡れのほうほうの体で玄関に雪崩れ込んで、鍵を閉める。その場でコートを脱いで、ついでにぐしょぐしょの靴下も脱いで、濡れた足をぺたぺた言わせてフローリングの床を突っ切り、部屋干ししていたタオルを引っつかむ。

 足と鞄を綺麗に拭いてから、ストーブをつけて部屋を見渡した。

 とこよんがいない。寝室だろうか。

 あたしは毛糸の靴下を二重履きにして、濡れた髪をタオルドライしながらとこよんを探しまわった。

 予想どおり、とこよんはベッドで布団をかぶっていた。だけどいつもとちがうのは、その体が半透明からほとんど透明になっていることだ。しかもちょっと、痙攣してくるしそうに見える。


「とこよん? どうかした?」


 慌ててその体に触れようとしたけど、やっぱりあたしの手はとこよんを擦り抜けてしまう。

 でも今度はとこよんから腕に乗ってきた。あたしは布団を引っぱって、リビングに移動する。


「寒いからかな。でも、きみがあたしの妄想なら気温とか関係ないもんねぇ。それかあたしのメンタルがかつてなく健全に――? なわけないか」


 支離滅裂な言葉を吐きだしながら、ストーブの前に胡坐をかいて、その上にとこよんを乗せてやる。あたしごと布団のなかに閉じ込めた。


「なんかこうしてると繭みたいだね。繭のなかの繭。なんちゃって」


 莫迦なことを口走らずにはいられないほど、どうやら気が動転しているらしい。

 とこよんを自分の手であっためることも撫でることもできないのがもどかしくて歯がゆい。そもそも寒いせいでとこよんが弱っているのかすら、さだかではないけれど。

 とこよんは力なくもきゅもきゅと沢山ある足を動かしたけど、なかなか前に進んでいかない。

 窓硝子に、強い風が叩きつける。あたしは予感に駆られて立ち上がった。


「ごめん、ちょっと待っててね」


 とこよんを丁寧にタオルでくるんで布団をかぶせてから、あたしはコートも着ないで玄関の外に出た。

 枳殻の木は、遠目にもびゅうびゅう風に吹かれて激しく揺れていた。ショートブーツの先っちょをばしゃばしゃ言わせて、木に駆け寄る。

 繭は、かろうじて枝にしがみついていた。

 枯れ葉を布団にしたみたいなそれはじっとりと濡れていて、今にも吹き飛びそう。慌てて家に取って返してコートを着込むと、綿とライムグリーンの傘を手に舞い戻った。

 繭のうえからそっと綿の服を着せてやる。雨傘を木に傾けて、あたしは灰青にけぶる幽天を見上げた。

 予報では、もう一時間もすれば雪はやんで、風もしだいに弱まるらしい。すこしだけ、こうしてこの子の保護者を気どってみようとあたしは決めた。


「きみは、なにになるのかな」


 蝶か、蛾か。それともべつのなにものか。

 なんでもいいけど、早く春になるといいねと思う。そうしてどこにでも好きなところに飛んでゆけたらいいね。迷わず、立ち止まらず。ううん、迷っても立ち止まってもいいから、その体をその心を信じて、どこまでもどこまでも飛んでゆけたらいいね。

 かじかむ指に息を吹きかけながら、あたしはずぶ濡れのかかしみたいにその場に突っ立っていた。すこしするとこんな日でも散歩に出てきたミニチュアシュナウザー連れのお兄さんが怪訝そうな顔をして二度見してきたけど、もう他人ひとからどう思われようと気にしなかった。

 やがて、雲間からお天道さまが覗くまで、あたしはそこに立ち尽くした。



 * * *



 昨日、春一番が吹いた。

 アスファルトの割れ目から土筆が顔を覗かせて、向かいの公園の咲き初めの沈丁花の花の香が漂いはじめるのを、道行く人びとがどこか弾んだ足どりで眺めている。

 あたしはこのごろ、蛹が今にも羽化するんじゃないかと平日でも朝晩二回はかならず枳殻の木の周りをうろうろするようになった。

 とこよんはというと、枳殻の木の繭の危機に手を貸したからか、それともべつの理由のためか、元気を取り戻した。あたしが最近育てるようになった観葉植物のまわりを嬉しそうにくるくる回っている。

 あたしは最近毎晩とこよんと一緒にドラマを見て、号泣したり笑い転げたりしてから、日付が変わる前にはベッドに向かう。

 今日もとこよんを撫でる代わりに手のひらに乗ってもらってから、シーツに身体をしずめた。

 どれくらいのあいだ、夢のなかをたゆたっていただろう。気づけばあたしは、枳殻の木の前に立っていた。

 繭の上のあたりで、なにかがもぞもぞとふるえている。ちょっと長い毛が生えた、顔みたいのが見えた。やがて繭のなかからぱっと触角が飛びだす。それから、脚と翅の一部が。いっぱいある脚を懸命にぱたぱた動かして、繭のなかからじりじりじりじり体が出てくる。途方もなく、ゆっくりとした動きだ。このまま出てこられないんじゃないかってあたしは勝手に心配になる。羽化というのはとんでもないエネルギーを使うものらしかった。

 じっと見守っていると、ようやく半分くらい体が出た。するとその子は誰も教えてもくれないのに、繭がくっついていた枝に脚をかけて踏ん張って、身をよじっておなかを抜いた。

 翅の色は透きとおって見る角度によって色を変え、陽のひかりをはじいてきらきらしている。まだ翅が伸びきっていないけど、飛ぶ準備は万端整ってるぞって、つぶらなお目目が主張している。

 その生きものは、あたしが知っているどんな生きものよりもうつくしく見えた。

 あたしはいつの間にか、子どものころに戻ったみたいに泣きじゃくっていた。

 あたしたぶん、もう一回だけでいいから、自分を信じたかった。自分を信じて、繭を破りたかった。この子みたいに。

 にじいろの翅が、風を受けて大空を羽ばたいていけるくらい、ぴんと張る。

 とこよん。きみはすごい。きみはすごいよってあたしの全身がさけんでる。

 冬を越え、春を待って。今、きみは風をつかんだ。

 あとからあとからこぼれ落ちるしずくを拭う感触で、はっと目を覚ます。

 一緒に寝ていたはずのとこよんは、どこを探してもいなかった。

 あたしは居ても立ってもいられず、冬コートを羽織って外に出た。夜明け前のかたわれどき。二つ通りを挟んだマンションの向こうから、一条のひかりが射してくる。

 まだ人びとの寝静まった生まれたての朝に、あたしのスニーカーの靴音だけが響く。

 その場所に辿りついて、枳殻の木を見上げた。枝には繭がくっついていたけれど、その上部には穴があいて空洞になっていた。

 ふと羽ばたきの音が聴こえた気がして、顔を上げる。目を凝らしても、あたしが焦がれた生きものはもう、どこにもいなかった。

 だけど、かわりに鱗粉じみたひかりの粒が、お天気雨みたいに降りそそぐ。

 それを追いかけて一歩踏みだしたはずみに、重たいチェスターコートが肩から滑り落ちた。

 身体が軽い。あたしの内側が熱いくらいに火照って、なにかをさけんでいる。衝動のままに、あたしは走りだす。

 今、春の風をのみこんだ。





【参考文献】

『古代の虫まつり―謎の常世神』小西 正己/學生社

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