Episode.5
朝陽が瞼を覆って、視界が真っ白になった。それと共に意識が覚醒し、自然と重たい瞼を持ち上がっていく。
すると、ぼやけた視界にひとりの男の子が入ってきた。彼は肘を突いたまま横になっていて、じっとこちらを見ていた。私の恋人だ。
「あ、おはよう。弥織」
彼が優しく微笑んで、私にそう声を掛けた。
「え……?」
一瞬、混乱してしまった。ここはドコ私はダレ状態だ。
部屋を見回して、それでようやくそこが珠理ちゃんの部屋で、昨日の状況を思い出す。私は彼の家に泊まって、三人で川の字になって寝ていたのだ。
「あ……えっと、おはよう、依紗樹くん」
何だか恥ずかしくなって、前髪を直しつつ彼から視線を逸らす。
寝癖とか大丈夫だろうか。今の自分の状況が全くわからないので、どんな風に見られているのかわかったものではない。
なるほど、一緒に寝ると起きた時にこうなるのか。勉強になった。今度は櫛と鏡を枕元に置いておこう。
というか、初めての彼氏ができた日にその彼と一緒の床に入るなど、一体誰が想像していようか。少なくとも昨日の私はこの事態を想定していなかった。珠理ちゃんの我儘にも困ったものである。
「……って、あれ? 珠理ちゃんは?」
私達を川の字で寝させた張本人こと珠理ちゃんがいない。私の胸の中ですやすや眠っていたと思うのだけれど。
むくりと身体を起こして周囲を見ているが、部屋の中にも彼女はいなかった。
「ああ……珠理なら今、トイレに行ってるよ」
彼はバツの悪い顔をして、私から視線を逸らした。
何だか怪しい。
「それで……依紗樹くんはどうしてここにいるの?」
思わず、訊いてしまった。
今この布団どころか部屋にも私と彼以外にいないのだ。普通なら彼も一緒に珠理ちゃんについていきそうなのに、その彼が布団に留まっている。その間に彼が何をしていたのか、色々不安になってきた。
「……弥織の寝顔、見てた」
彼が気まずそうに言った。少し顔が赤くなっている。
「え⁉」
彼の思いもよらなかった言葉に、朝から胸が高鳴って顔が火照る。
え、寝顔見られてた? どうして? それって私の特権じゃないの? っていうか私、涎とか垂らしてなかったよね? いびきかいてなかった?
いきなりの衝撃の事実に、大混乱だ。
「……ひどいよ、私のだらしない寝顔見て楽しむなんて」
彼を咎めるようにして唇を尖らせ、言ってやる。
昨夜私も楽しんでおいてなんだと思うが、彼は知らないのだから被害者ぶってやろう。
「だらしないだなんて、全然そんな事ないから!」
彼が慌てて否定する。
「起こそうかと思ったんだけどさ、その……あまりに可愛くて。もうちょっと見てたいなって。これ見れるのって世界で俺だけだよなって思うと、なんか嬉しくてさ」
彼の思わぬ反撃に、心臓がまた跳ね上がる。
こんな
でも、その高鳴りは妙に心地良かった。
「そ、それ言うなら、私だって昨日、散々依紗樹くんの寝顔見たんだから!」
何だかドキドキさせられっぱなしで腹が立ってきたので、つい言ってしまった。
「え⁉」
「だって、依紗樹くん先に寝ちゃうんだもん。いびきとか歯ぎしりとか、色々凄かったんだよ?」
ちょっとだけ冗談を言ってみる。
どんな反応をするのか知りたかったというのと、無防備な寝顔を見られた事への腹いせだ。
彼は「マジかよ……ごめん」とうなだれると、枕元のスマートフォンでいきなり睡眠外来を調べ始めた。
しまった。真面目な彼は、本気で捉えてしまったらしい。
「いびきと歯ぎしりか……気付かなかったな。珠理も毎晩うるさかったのかなぁ」
「もう……嘘だってば」
私は溜め息を吐くと、枕に顔をぼすんと置いて彼を見る。
なんだか珠理ちゃんの事を気にしている彼が、彼らしくて思わず笑みが漏れた。
「全然いびきも歯ぎしりもしてなかったよ。可愛い寝顔してた」
「か、可愛い⁉ 俺の寝顔が⁉ そ、そっか……よかった」
何がよかったのかわからないが、彼は頬をぽりぽりと掻いて、自分の枕へと頭を乗せた。
ちょっと恥ずかしいらしく、こっちは向いてくれない。私の視線から逃げるように、天井を眺めていた。
「……何だか不思議だね」
彼の横顔を見たまま、思った事を言ってみる。
「ああ。未だに信じられない」
彼は天井を見たまま答えた。
きっと私も彼も、同じ事を考えていたのだろう。
気持ちを伝え合って、今では恋人で、そして珠理ちゃんと一緒に朝を迎えている。
そうそう何度もできることではないけれど、そんな一般家庭みたいな朝を、一般的ではない家庭で育った私達が迎えているのだ。それが何だか可笑しくて、未だに信じられないのだ。
「夢だったらどうする?」
「夢だったら……嫌、かな」
「うん。私も……」
互いにそんな言葉を交わし合って、目を合わせる。
私がじっと彼を見ていると、その意図を読み取ったのか、身体を起こしてそっと顔を寄せてくれた。
それに応える様に、私も顔を寄せようとすると──
「おとーさーん! おかーさん、まだ寝てるー?」
階下から、珠理ちゃんの大声が聞こえてきた。
私達の唇は重なる事なくとどまり、お互いにふっと吹き出す。
「もう起きてるよー!」
彼が階下に向けて、少し声を張り上げた。
「わー! じゃあ朝ごはんつくろー! シュリも一緒につくるー!」
珠理ちゃんの元気な声が返ってくる。
どうやら彼女は朝ごはんをご所望らしい。
「だってさ。下、降りようか」
「うん」
私達は互いに苦笑を交わし合って、布団から身を起こす。
「あ、依紗樹くん?」
部屋を出ようとする彼を呼び止めた。
彼が「ん?」と振り返った時を見計らって、私は少し背伸びして──彼の唇に、そっと自らのそれを重ねる。
「え……?」
「さっきの続き。なんちゃって」
ぽかんとする彼に、私はそう言い残して先に階下へと降りていく。
これは困った。私はどうやら、自分が思っている以上に彼の事が好きで、舞い上がってしまっているらしい。自分からこんな事をするだなんて思ってもいなかった。
これから学校でどうやってこの気持ちを抑えようか。いや、それ以前に今日だ。今日は昼から桃ちゃんや間谷くんも来るというのに、どれだけいつも通りに振舞えるのだろう?
それを思うと、少しだけ不安だ。不安なはずなのに、自然と頬が緩んでしまうので困ったものである。
そして、私が大好きなのは、彼だけではない。
「おかーさん、おはよー!」
リビングに降りると、娘、もとい、彼の妹が私のお腹目掛けて抱き着いてくる。
「おはよ、珠理ちゃん! 朝ごはん、何作る?」
彼女をしっかりと抱き留めて、私もうんと強く抱き締めてやる。
この子も彼と同じくらい大好きで、大切な存在。だって、二人とも今の私にとっては家族なのだから。
この先、もしも色々な大変な事があったとしても、私達ならきっと大丈夫だと思う。三人でそれを乗り越えていって、こうして楽しい日々を作っていける。私にはそんな確信があった。
私達は、私達だけの想い出を築いていくのだろう。これから先も、ずっと──。
(番外編『弥織の
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