(私)

 私は、本を読むことが好きだった。

 朝から晩まで暇があったら本をひたすらに読んでいた。

 他に興味がなかった。

 友達も。

 彼氏も。

 化粧も。 

 食事さえも。

 勉強は本を読むことの延長線上だったのでそこそこ得意だった。運動は本を読むことの反対側だったので苦手ではあるのだが。

 そんな私だから大学でも入学してからはしばらくは一人だった。

 授業が終わったら次の授業まで食堂の端で本を読んでいた。時間を忘れて没頭して授業をサボってしまったこともある。大学は授業感覚が続いていないから悪い、なんて自分に言い訳をしていたこともある。

 なんか話しかけてきた人もたまにはいた。

 邪魔だ、とか言う人はいなかったけど、でも「あなたには光るものがある」なんて怪しいことを言っていた女の人はいた気がする。話半分にずっと聞いていたから返答もあいまいだったけど、ちょっとだけ、(あ、答え方を間違えたな)って思ったことがあった。

 それは、確か相手が「痩せすぎ。そこまでダイエットをする必要なんかないのよ。肋骨も見えているじゃない。そんなの不健康だよ」みたいなことを言ってきたときだと思う。

 その時、何も考えずに私はこう言ってしまっていた。


「肋骨出ているのってなんか安心するよね。だって中にある私の弱い部分をきちんと守ってくれるんだから」


 肋骨が主眼じゃないのにそんな返し方をしたものだから、女の子は話が通じないと思ったのだろう。その後は曖昧な感じでその場を去って行った。結果オーライだったのだが、何であんな受け答えをしたのだろう、と家に帰って少しだけ頭を悩ませたものだ。まあ、本を読んだらその悩みも吹き飛んでしまったが。

 そんな形で幾日も幾日も自分の道をひたすらに進んでいた私だったが、ある日、転機が訪れた。

 ある時から、そんな私に、根気強く話しかけてくれた人がいたのだ。

 それが彼だった。

 最初はナンパ目的だったのかと思ったけど、でもこんな何も着飾っていない地味な本を読んでいる女なんて相手するナンパ師なんているのか? と疑問を浮かべた瞬間に、彼を少し意識してしまった。

 本だけだった世界が、少し広がってしまった。

 彼は邪魔にならない程度に話しかけてくれたし、一緒に本を読むなんてことをしてくれたりもした。

 それが、ものすごく心地よかった。

 いつしか本一辺倒だった私が、少しずつ、少しずつ、彼に興味が向いていった。

 彼は「そのままの君でいいよ」と言ってくれたのだが、少しでも彼にふさわしい人になりたいと思って化粧も覚えたし、本以外の活動も少しずつ増えてきた。アウトドアにも興味を持ってきたし、運動、というレベルではないがウォーキングなどをしている内に食事にも気を遣うようになった。痩せすぎにはならないけれど太りすぎではない範囲を保つようにもなってきた。

 このあたりからはっきりと自覚してきた。

 私は彼が好きなのだ。

 大学まで一度も恋愛感情というのを人に向けていなかった私が、物語の中の恋愛模様に冷たい感情を向けていた私が、まさかこんなことになるとは思っていなかった。

 私は彼に告白し、彼は受け入れてくれた。

 晴れて恋人同士になった。

 そんな私たちは、遠出をしてみたいという話をするようになった。物語で出てくるような美しい地形をこの目で自分たちの足で見に行こうという話になったのだ。その為には自動車が必要だね、ということで自動車の免許を一緒に取りに行った。


 そして大学の長い休みを利用して旅をしようと計画を練りに練り――その当日のことだった。


 これから何日も彼と旅行出来る事にも胸を膨らまし、そして荷物の中に少量の本を入れて彼に苦笑されながら、いざ旅路へ、と彼がアクセルを踏み込んだ。


 その瞬間だった。


 耳をつんざくような音と大きな衝撃に襲われた。

 シートベルトはしていたとはいえ、衝撃がすごすぎてあちらこちらをぶつけたようだ。

 他人事のようなのは、あまりにも衝撃が大きかったからだ。


 痛い。

 痛い。


 だけどどこが痛い?


 全くわからなかった。


 かろうじて開けた目に映ってきたのは、惨状だった。


 車のフロントガラスははじけ飛んでおり、前方のメーターや設置したあったカーナビもぐにゃりと曲がっている。

 その先にあったのは、黒い車。

 軽自動車の私たちに真正面から衝突してきたのだ。


 一体何故?

 そんな疑問を持ちながら運転席にいる彼の方に視線を向ける。


 彼は、ぐちゃぐちゃにつぶれていた。


「っ」


 悲鳴をあげそうになる。

 が、できなかった。

 声が出なかった。

 私も体の内部をおかしくしてしまったのだろう。


 と。

 そこで助手席のドアが開いた。


 事故を見た誰かが助けに来てくれたのだろうか?


 ……いや? そもそもこれは事故なのか?

 発車もしていないのに真正面から衝突してくることがありえるのか?


 そんな疑問がふつふつと浮かび上がっている中、助手席の開けてきたのは――



 (……誰?)


 見知らぬ男だった。

 ただ、その姿は異様だった。

 彼もまた、怪我をしていた。

 顔面は血だらけ、目はうつろ、口は半開きだ。 

 異様すぎる光景に再び悲鳴をあげたくなった。

 だが、上げられない



「ああ。よかった」



 彼はにっこりと笑った。

 そしてあろうことか彼は――


「すごい。見えるねえ。やったかいがあったよ」


 私の腹部に、刃物を刺してきたのだ。

 あまりの唐突さに、私は何が起きたのか理解できなかった。

 しかし、ずっとあったのに、更に押し寄せてきた強烈な痛みに、


「あああああああああああああ!!」


 ずっと出なかった声が、漏れ出した。


 ずちゃずちゃ。

 ぐちゃぐちゃ。


 私の腹部で音がする。



「いいねいいね。さっくり切れるねえ。ああ、見えた。すばらしい」


 痛い。

 痛い。

 何でこんなことをされなきゃいけないの?


「見えた。赤い。ああ、なんてことだ」


 彼は包丁を捨てたのか。

 いや、お腹の中を素手で掻きまわしているのか。

 見たくもない。

 だけど感触が……痛みに紛れた感触が。


「きれいだ。

 なんてきれいなんだ」


 何が?

 何が?


 なに……が……? 


「美しい。

 ずっと見ていたい。

 僕は君に――君たちに憧れていたんだよ。

 彼女を一番身近で守れる存在だから。

 だから羨ましかったし、妬んだりもした。

 でもいつしかそんな君たちに惹かれたりもした。

 もうぐちゃぐちゃだよ、色んな意味で。

 頭の中もぐちゃぐちゃ。

 痛みで感覚もぐちゃぐちゃ。

 僕の手の先もぐちゃぐちゃ。

 ぐちゃぐちゃで。

 もう何も分からなくなってきた」

  


 何を言っているんだ?

 何で――






「僕は君の肋骨になりたい。




 



 君の肋骨になりたかった」

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君の肋骨になりたい 狼狽 騒 @urotasawage

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