君の肋骨になりたい
狼狽 騒
(僕)
くるくるくる、と。
視界が目まぐるしく変化している。
いや、変化しているのは回りじゃない。
僕の目の前だ。
焦点が定まらず、ゆらゆらと車がうねっているようにも見える。
吐き気もある。ぼたぼた、と何かが垂れてきている気がする。
感覚はない。
――違う。
痛みしかない。
どこもかしこも痛い。
痛すぎて他の感覚がない、というのが正しい。
ああ、どうしてこうなったんだろうか。
◆
僕には愛する人がいた。
長い艶のある黒髪が特徴の、眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の彼女。
彼女と出会ったのは大学時代。
最初に見かけた時は食堂のすみっこにいた。食事時ではなく、15:00くらいだったと思う。人が閑散としていた最中、文庫本を黙々と読んでいた。その立ち振舞い――というよりも佇まいがとても美しく、目を惹かれてしまったのが最初だった。
決して顔が整っているというわけではない。愛嬌もあるわけではない。
だけど――美しかった。
ただひたすらに美しかった。
何が美しかったか、なんて今言われてもうまく言語化できない。もしかしたら美しかった、という言葉すら間違っているかもしれない。ビビッと電撃が走った、とか、何かが自分の中で落ちる音がしたとか、そういう表現で代替しても特に問題はないだろう。
理由なんてない。
だけど、僕は彼女が本を読み終わるまで、その場所を離れることは出来なかった。
まあ、いわゆる、ひとめぼれだったのだろう。
その日から、僕は彼女の虜となった。
そんな彼女には少し心配な部分があった。
本に夢中だからか、それ以外の理由があるのか――彼女は極端に食が細かった。ダイエットしているのか、と聞かれたら「そうではない」とは答えていたが、だからといって何故なのかは決して口にはしなかった。その為、体形は非常に細く、ぜい肉どころか必要なものさえないようだった。
そこまで痩せる必要はないよ、肋骨出ているじゃん。
そう言われた時に、彼女は笑って言った。
「肋骨出ているのってなんか安心するよね。だって中にある私の弱い部分をきちんと守ってくれるんだから」
全く回答になっていない言動であったので、僕は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
しかしながらそういう目で肋骨を見たことはなかったが、改めてみると内臓を守るために存在しているという事実を認識すると、肋骨という存在が色々と面白いものに見えてきた。
なのでちょっとだけ調べてみた。
肋骨は左右12本ずつ、計24本ある。
1本くらい無くてもよい気もするのだが、きっと、左右12本という状態は何かしら意味があるのだろう。僕は医学系でも何でもないから知らないが、きっとそうだろう。
そして、この12という数字にも運命的なものを感じた。
12は色々と用いられている数字だ。一番なじみがある例を挙げると「月」があげられるだろう。
4月で出会った時も、5月の少し短い休み明けも、6月のじめじめした空気の中でも、7月の太陽が薄着を誘う時期にも、8月の長期休暇中も、9月の葉が色づく前にも、10月のコートが必要なときにも、11月の雪がちらついたときにも、12月のクリスマスシーズンも、1月のお正月明けも、2月の残雪の時も、3月のサクラの時期も――彼女は変わらず美しかった。
12という数字は、他にはピアノの鍵盤があげられる。
白鍵7の黒鍵5で12。24本だと2オクターブか。彼女の奏でる声の心地よさがそれにあたるだろう。その肋骨をさながら鍵盤に様になぞって彼女の矯正という名の音色を奏でたい――なんて変態的な欲はない。ないと信じている。だが、彼女の浮き出ている肋骨を見るとそういうことをしたくなる気持ちも分かる。ただ実行には移してはいないが。
少しマイナーな話にはなるが、12という数字はアーサー王伝説に出てくる円卓の騎士の数にもある。彼女の大事な部分を守る12の騎士。実際に肋骨は24本だから円卓の騎士が2セットいる。――なんてのは少しジョークも入っているが。
しかしながら、守る、という言葉には共通する要素があるなとふと思いついたことにしては変なつながりがあって、一人で笑ってしまった。
ならば僕は、彼女の肋骨になりたい。
そう話したら、「何を言っているんだ」と笑われた。まあ、それはいいだろう。
だけど、それほどまでに僕は肋骨について思うようになったのだ。
たかが肋骨。
されど肋骨。
ただの、内臓を守る骨。
それだけで対して興味がなかったのに、彼女と出会ってから――正式に言えば彼女に出会って肋骨に関してのセリフを聞いてからなのだが、肋骨に興味が出てきてしまった。ついつい彼女の肋骨に目が向くようになってしまった。
彼女を見ると安心する、から「彼女の肋骨を見ると安心する」になってしまった。
僕の性癖はこじれてしまった。
視線が胸のあたりに行ってしまうが、それは肋骨がそこにあるからだ。だから視線は胸よりも少し下にあるんだ――と言いたいところだが、それを口にしたところで変態扱いされるだけだ。彼女にすらそのことを伝えられていない。
ああ、ずっと見ていたい。
……けれども。
彼女の肋骨が見えるということは、少なくとも彼女自身の健康によくないということは間違いない。彼女は間違いなく痩せすぎだ。痩せすぎは栄養失調などを
肋骨が見える、イコール、健康ではない、ということになる。彼女の肋骨は好きだが、彼女が不健康であることは望んではいない。
彼女の肋骨を見ていたい。
だが、彼女自身の健康にも気を使いたい。
どっちを取るかなんて明白だ。
迷う余地なんてない。
だけど僕は迷ってしまった。
それほどまでに惹かれてしまっていたのだ。
あの形状。
あの位置。
あの美しさ。
それが失われてしまってもいいのか?
それは本当に、彼女の健康の方が大事なことなのか?
……なんて自問自答する毎日が続いた。
そして。
僕は悩みの末、自分の中で一つの決断を下した。
◆
季節はさらに流れ。
僕が彼女と出会ってから既に2年以上も過ぎていた。
その間に彼女と一緒に何度も出かけた。
彼女の笑顔を見るのが好きだった。
……そして。
彼女のその姿は、誰がどう見ても健康そのものであった。
かつての痩せこけていた姿ではなく、かといって太りすぎでもない、至って普通の女性になった。
当然、もうあの肋骨は見ることは出来なくなっていた。
結局、彼女がどうしてあそこまで痩せていたのかはいまだに聞けていない。もう聞かなくてもいいやとも思っている。
それよりも、この間に大きい出来事があった。
それは自動車教習所に通って、免許を取得したことだ。
同じ教習所に通い、同じタイミングで講義を受け、同じタイミングで免許合格をして取得した。
取れた時の彼女の嬉しそうな表情は今でも忘れない。
そして、今日は初めてドライブだ。
車を借り、少し遠出しようと計画していた。
今日がその日だ。
僕はハンドルを握る。
彼女はまずは助手席にいる。
さて、じゃあ出発だ。
そう行きこんだ――その時。
ガン、という衝撃が襲った。
一体何があったのか、きっと理解できなかったのだろう。
初めてのドライブ。
これから旅行先で色々とするつもりだったのに。
くるくるくる、と。
視界が目まぐるしく変化している。
いや、変化しているのは回りじゃない。
僕の目の前だ。
焦点が定まらず、ゆらゆらと車がうねっているようにも見える。
吐き気もある。ぼたぼた、と何かが垂れてきている気がする。
感覚はない。
――違う。
痛みしかない。
どこもかしこも痛い。
痛すぎて他の感覚がない、というのが正しい。
ああ、どうしてこうなったんだろうか。
僕は痛みをこらえながら、助手席のドアを開ける。
そこにはぐったりとした彼女がいた。
血を流し、意識がもうろうとしている様子だ。
僕も意識を保つのがギリギリだ。
だが、最後の力を振り絞って――彼女の腹部に視線を向ける。
ああ。
すごい
すばらしい。
なんてことだ。
きれいだ。
なんてきれいなんだ。
赤い。けど元の白さも分かる。分かる気がする。
何本か折れている。
だけどすべてではない。
そこにいる24本は、彼女の中を確かに守っていた。
彼女を、確かに守っていた。
直に見ることが出来た。
美しい。
ずっと見ていたい。
僕は君に――君たちに憧れていたんだよ。
彼女を一番身近で守れる存在だから。
だから羨ましかったし、妬んだりもした。
でもいつしかそんな君たちに惹かれたりもした。
もうぐちゃぐちゃだよ、色んな意味で。
頭の中もぐちゃぐちゃ。
痛みで感覚もぐちゃぐちゃ。
僕の手の先もぐちゃぐちゃ。
ぐちゃぐちゃで。
もう何も分からなくなってきた。
それでも。
一つだけ間違いがないことはこの世にある。
絶対的な真実が、目の前にある。
文字通り、眼前に。
彼女の肋骨は、変わらず美しかった。
ずっと思っていたよ。
僕は君の肋骨になりたい。
君の肋骨になりたかった。
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