アップルパイには届かない
冴吹稔
第1話 姫をすっ飛ばして魔女と王子が出会ったような
そろそろ街路樹の葉が色づきだす、晩秋の夕方の事だった。
「え、何これ?」
真琴がアパートの前まで帰ってくると、ドアの前になにやら大きな段ボール箱が置かれていた。箱の上面には、どこか東北あたりの農業団体のロゴ。それと、街中でよく配送トラックを見かける、日本でも大手に類する宅配業者の伝票が貼られている。
ははん、と真琴は一人で納得した。
昨年あたりから世界的に流行している性質の悪い感染症のおかげで、いろいろと世の中の慣習にも変化が起きていて、宅配業者も荷物を受け取る側も、対面での接触をできるだけ避けるようになっているのだ。その結果が、この「置き配」という方式である。受け取りのサインを求めることもやめ、宛先住所のドア前か、若しくは指定の場所になどに荷物を置いて行くやり方だ。
「勘弁してよねえ、こんな置き方されちゃ、ドア開けらんないじゃん……疲れてんのに」
真琴は二泊三日の旅行から帰ったところだった。といっても、教授の入院騒ぎで降ってわいた臨時休講に、女子ばかり三人で企てた何ということもない行楽だったが。
「んー、
ちら、と伝票に目を走らせれば、はたしてそこにカーボン転写されているのは、彼女自身と同じ苗字「高橋」だった。送り主も、あて先も。
(でもおっかしいな、母さんだったら必ず、こういう時には連絡入れてくれるはずなんだけど……)
旅行中、真琴のスマホにそれらしい着信はなかった。改めて履歴を見ても、一番新しいのは旅行に出る前日に友人の咲季からかかってきたものだ。
真琴は電話帳から母のスマホを呼び出した。
「もしもし、母さん?」
――あら、真琴。どうしたの?
「ん、いや、ちょっと旅行に出てたもんだから、その間になにもなかったかなと思って」
――珍しいわね。何もないけど……学校は大丈夫?
向こうから荷物について言及する様子はない。
「うん、まだ講義再開しないしね……それでさ、こっちに何か送ったりしてない?」
――なにそれ、また手の込んだ催促ねぇ。んじゃ来週あたりレトルトとか缶詰とか、適当に何か送っとくからせいぜい節約すんのよ。
「ええー、そんなんじゃないけど……ん、ありがと」
電話はそっけなく切れた。これはどうやら、あの荷物は実家からではない。とにかくドアの前を空けようと、真琴はその結構な大きさのある段ボールの上にかがみこんだ。
「あれっ?」
伝票がさっきよりもはっきりと目に入る。
「これ、そもそもうち宛てじゃなくない……?」
「高橋」の後に続く名前が違っていた。送り主は高橋
真琴は自室のドアの前で、周囲を見回した。ここはいささか老朽化した木造二階建てアパートの一階で、ドアは北側。頭の上には鉄骨とコンクリートでできた、よくある感じの外廊下が二階部分の各部屋をつないでいる。建物全体としての郵便受けは、一階の少し離れた壁際だ。真琴はその郵便受けのところへ小走りに駆け寄った。
「あ、ああー……やっぱり!!」
郵便受けの名札は色あせて判読しづらくなっているが、確かにこのアパートには真の他にもう一人、「高橋」姓の住人がいる。だが、そちらの「高橋さん」はドアに表札を出しておらず、一階ですぐ見て分かる「高橋」は真琴の部屋だけなのだ。
「誤配じゃん! これだから置き配ってやつはさぁ…ご時世的にしょうがないのは分かるけどさぁ……!」
伝票によれば、箱の中身はりんごだ。箱は巨大だが持ち上げられない重さではないだろう。真琴はいったん部屋に入って荷物を下ろし普段着に着替えると、リンゴ箱を抱えて隣室のドアまで約五メートルの距離を踏破した。
インターフォンではないシンプルな呼び鈴のボタンを押すと、ドアの奥からピンポン、とお定まりの音がした。
――は……い
若い男らしいがひどく弱々しい返事。やや遅れて、おぼつかない足取りの気配が近づいてくる。
「高橋さん? いらっしゃるんですね?」
(やだ、すごく具合悪そう……まさか、流行中のアレで自宅隔離とか……?)
――誰……? 新聞とかの勧誘なら、間に合ってるから……
心配してみれば、割と失礼な誤解をされていた。
「ち、違います。お宅にとどいた荷物が間違ってうちの前に来てたの。りんご」
「あ」
一瞬、相手の声に素っ頓狂な感じと共に力が少しだけ戻ったようだった。
「りんご……そうか、りんごか」
声と共に、ガシャリとドアが解錠されて、髪がやや伸びすぎた感じで無精ヒゲを生やした、三十そこそこの男が現れた。彼は箱を受け取ると伝票をあらため、やつれた顔に人のよさそうな笑みを浮かべた。
「ああ、母からです。ありがとう――ど」
どうも、と言いかけたところで彼の膝から不意に力が抜けた。りんご箱が玄関の狭い土間を塞ぐように落ち、その上に男が崩れる――
「ちょっ、危なっ!!」
とっさに体が前に出た。支えなければ、男――高橋柾樹は、顔面か腕かに何かしらの怪我を負っていただろう。肩の上に覆いかぶさるようになった柾樹を下から抱えて、真琴は首をかしげた。
異様に軽いのだ。そして、着衣は湿って汗臭いが、顔は粉が吹いたような感じがする。呼吸は浅く、手首に指を添えても脈が触れない――
(あ、これヤバいわ)
事情はよくわからないが、女子大学生が個人で対処できるレベルを超えていそうだ。真琴はなんとか柾樹を玄関の上がり
アップルパイには届かない 冴吹稔 @seabuki
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