瞳は何も語らない

位月 傘


 好きな人の目玉を盗んでしまった。手の中でころころとビー玉みたいに転がすそれを宝石みたいに眺めて、何をするわけでもなくため息を吐く。

 


 私たちは3年に一度目玉が生え変わる。1000年も昔はそんなことはなかったらしいが、生物の進化というのは便利なものだ。

 1日かけて滑り落ち、生え変わるそれは、完全に定着するまで視覚に問題が生じる。見えなくなってしまうのだ。


 だから時期が近づくとみんなひとりにならないように、なんて言われるのだけれど。

 私が瞳を落っことした彼を見かけたのは、最終下刻を告げる鐘が鳴る、橙色の教室の中だった。部活にも入っていないからいつもさっさと帰ってしまう。そのことが仇となったのか、忘れ物に気づいたときにはすでに家に着いていて、一度脱いだ制服にわざわざ袖を通すことになってしまった。

 再び帰宅するときにはすっかり日が落ちているだろうな、と考えると憂鬱な気分だ。斜め下を向きながら、前かがみで歩いていた私はこんな時間に、しかも教室に人が残っているなんて全く考えていなかった。こちらが存在を認識するより先に、気づいたのは彼の方だった。


「ごめんなさい。手を貸してもらえませんか?」

「……え」


 一瞬遅れて、気づいたらなんとも間抜けな声で返事をしていた。慌てて言い直そうとすればするほど焦ってしまって、結局「はい」という素っ気ない言葉一つでその場を乗り切れてしまった。


「ありがとうございます。片目がその辺りに落ちていると思うんだけど、拾ってもらってくれますか?」


 私の困惑と無愛想な態度に気づいていないのか、申し訳なさそうな声音で眉を下げてそう頼んできた。

 言われるがままにあたりを見渡せば、校舎自体が傾いているせいか、教室の端に探し物は転がっていた。屈んでそれを手に取ればうっかり落とす、なんてことも無く、瞳は私の手のひらにすっぽり収まる。当然だがビー玉みたいなそれは、確かにこちらを向いているはずなのに、これっぽっちも見られているなんて気はしない。そのことにひどく安堵すると同時に、無用な欲が顔を出した。

 もちろんすぐに返すために拾ったわけだが、どういう訳か手にした瞬間、私はこれがものすごく欲しくなってしまったのだ。

 予め伝えておくが、私に収集癖は無いし、決してストーカーでもない。していることと言えばいつもよりスカートを一つ多めに折るくらいだ。


「見つかりました?」

「え、あ、ご、ごめん!」

「見つからなかった?それならしょうがないや」


 罪を咎められたのだと勘違いし咄嗟に発した言葉は、別の意味に捉えられたらしく、彼は私を安心させるようにそう言って微笑んで見せた。慌ててそうではないのだと伝えようとして、口を閉ざす。 

 いったいなんて言い訳するつもりなんだ。いくら脈がないからといっても、自ら嫌われるような真似をするほど狂ってはいない。

 せめて瞳が私の罪を見ていたくれたなら、こんなことになる前に罪悪感のひとつでも湧いたはずなのに、相変わらず瞳は何も映してはいない。迷ったあげくに、制服のポケットにそっとしまい込むことにした。 


「探してくれてありがとうございました。呼びとめてごめんね」

「えっと……檜山くんはどうするの?」

「僕?壁伝いで歩いて職員室にでも行こうかな。たどり着かなかったとしても、鍵閉めに来た先生に見つけてもらえるだろうし」


 けろっとした表情でそんなことを考えているらしいが、ここから目が見えないまま階段を下りていくのはどう考えても危険だ。下心が無かったとしても、そんな相手を放って帰るほど、薄情な人間では無い。そしてついでに言っておくと、私は割と考えなしだ。


「あの、私が職員室まで連れて行こうか?」

「いいの?それじゃあお願いしてもいいかな?」


 言うが早いか彼ははい、と手を差し出した。ぽかんとそれを数秒見つめていると、彼は首を傾げる。遅れて意味を理解して、スカートに手を擦り付けてから、壊れ物を触るみたいにその手をそっと握った。握ると言うよりは触れると言う方が近かったのだが、檜山くんは自分の手が触れられたと同時に、餌を捕まえた蛸みたいに指を絡めてきたから悲鳴をあげそうになった。

 

「今更だけど、川面さんで合ってるよね?」

「あっ……てるけど、全然話したことないのに声だけでよくわかったね」

「ふふ、同じクラスだし流石にわかるよ」


 今日は何度か安堵したことだが、そのなかでも今が一番彼の目が見えなくてよかった。だってすごい不細工な顔をしていただろうから。

 暗くて友達の少ない私にとって、檜山くんのこういうところが本当に理解不能で、どうしたって惹かれてしまう理由のひとつだ。

 

 なにか特別なきっかけがあって恋におちたのではない。例えば入学式の日に曲がり角でぶつかったとか、実は幼いころに出会っていて将来の約束をしたとか。それどころか経験の少ない私にとってこれは恋だという確信も持てなくて、もしかしたらこの恋だと思っているものは歪んだ尊敬と好奇心でしかないのかもしれないとすらかんげることがある。

 しいてきっかけをあげるとすれば、ただ彼がクラスでちょっと浮いている子の名前を呼んで微笑んだから。それを揶揄われても、何が何だか分かってない顔で、つられて笑いもせずに首を傾げたから。

 

 その光景を見た瞬間、同じ空気を吸っていたあの時、私は突然強い光を当てられて瞳を焼かれるような感覚に襲われた。くらくらしてちかちかして、でも太陽みたいな光じゃなくて、きっと、星が目の前で跳ねていたのだ。


 それ以来、目の前の彼が気になって仕方がない。話したことなんて一度もないのに。どんなひとかなんて全然知らないのに。



 目の見えない相手を気遣って段差を歩くと言うのは、想像よりもずっと気を遣うことで。気になるひとと手を繋ぐことに対する緊張なんてものは、とっくに違うものにすり替わってしまった。

 手を引いて階段を下りている途中、こんな危ないことをさせるよりも、先生を直接呼びに行くべきだったんじゃないかと遅れて思いつく。職員室まではもうすぐだ。階段の真ん中で待たせて呼びに行くのも変だろうという気持ちと、この数段で怪我をする可能性も当然あるだろうという臆病な思いがせめぎ合っている間に、結局下りきってしまった。

 お互いに共通する話題がない以前に、変に神経を使って集中してしまっていたので無意識に黙り込んでいた。ほっと一息を吐くと同時に、急に現状への理解が追い付いてくる。

 今まで全く話したことのなかった人と、よりにもよって檜山くんと二人きりで手を取って歩いているなんて、どうやったら予想がついただろうか。一方的に気まずくなって、面白い話なんて何もできないのにとりあえず間を持たせようと話しかける。

 

「ご、ごめ、私が連れて行くより先生連れて来たほうがよかったよね……」

「全然。すごく助かったよ。それに気づいてて黙ってたのは僕も同じだから」


 檜山くんはなんてことないみたいにそう言う。言葉の意味を理解できなくて、初めて彼の顔をまじまじと見つめてしまった。彼のことは理解できないけれど、言葉の意味を理解できたときに、私はびっくりして変な声を上げてしまった。


「きっ、気づいてたの?!」

「あれ、わざとじゃなかったの?」


 揶揄うようにくすくすと笑い声をこぼす檜山くんを見て、なぜだか足元ががらがらと崩れ落ちる感覚に襲われた。水に沈んでいるみたいな浮遊感と、雲の上を歩くみたいな不安定さで落ち着かない。握られた手の実感だけが確かなものだった。

 そういえば、以前同じような心地になったことがあるはずだ。いったいいつのことだったっけ。


「きみはいつも僕のことを見ているのに、一度だって目が合わないから」


 彼の声音は楽しそうにも、拗ねているようにも聞こえたけれど、その真意を深く考える余裕はなかった。ついじわじわと顔が熱くなる。バレていた。知られていた。どこまで見透かされていたのだろうか。手を振りほどこうと思わなかったわけではないのに、逃げ出せもせずに脱力する。

 

「……ごめん、君を困らせるつもりじゃなかったんだけれど」

「い、いや、ごめん、気持ち悪いよね」

「うーん、気持ち悪いというよりは不思議だったかな」


 私からすれば彼のほうが理解できなかった。きっと彼は、私が好意に近い気持ちを向けていることに気づいている。檜山君は人気者だし、私みたいな人間はたくさん見たことあるだろう。

 なのに、なにが不思議なんだろう。私の言いたいことを理解しているかのように、曖昧な表情で微笑んだまま口を開く。


「なんにも分からないよ。どうして君が僕を見ているのか、手を貸してくれたのか。分からないから、僕はきみのことばかり考えてしまう」


 分からないなんて嘘だ。揶揄われている。もしかしたら嘲られてすらいるのかもしれない。そうやって自分に言い聞かせていないと、どうにかなってしまいそうだった。

 

「本音を言うと、君に困ってほしかったんだ。君にも、僕のことを考えてほしかった」

「なんで、そんなこと……」

「なんでだろう。分からないから、教えてほしい。僕の瞳は君の好きにしていいから、今まで何を考えていて、今何を考えているのか。いつか教えて」

 

 分からないのはこっちの方だ。これは夢だろうか。だけど握られた手だけじゃなくて、私を射抜く彼の空っぽの両目が、これが現実だと知らしめている。

 気づけば止めていた息を細く吐き出す。ポケットの中の瞳が、私を見つめている気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

瞳は何も語らない 位月 傘 @sa__ra1258

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ