夏休みの夜の秘密

真まこと

本編

 揺らめく陽炎とセミの合唱、時より現れる入道雲に気分屋の夕立。

 現在八月の中頃。

 普段の日常とは少し異なる特別な日々が、あと二週間ほどで終わりを迎える。

 星見夏紀が中学生になってから初めての夏休みは、何か特別なことが起きた訳でもなく、特段新しい発見があったわけでもなく、宿題と部活で、忙しくも楽しくもある、それなりに充実した日々が続いていた。

 しかし夏紀は、ここ最近の夏休みの日々に、どこか言葉では言い表せないような、焦燥感や閉塞感といったものを感じていた。

 ――別につまらないとか飽きたとかそんな訳じゃないけど……なんか物足りないというか、ただ時間が過ぎていくだけっていうか……。

 とはいえ、それを解決するための良いアイディアが、すぐに思い浮かぶわけもなかった。

 宿題をする気にはならなかったため、家にいてもゲームをしたり、動画を見たりしているだけというのは明らかだ。

「適当に図書館にでも行こうかな」

 昼食を済ませたあと夏紀は、ギラギラと照りつける日射しを浴びながら図書館へと向かった。


×××


 なにか目当てのものがあるわけではなかった夏紀は、中高生向けにまとめられたライトノベルのコーナーにあった、今まで全く見たことも聞いたこともなかった本と、天文学コーナーにあった、少し難しそうな星や天体に関する本を借り、図書館をあとにした。

 数冊本を借りたが、帰るにはまだまだ早すぎると思い、普段はあまり通ることのない道を気ままに歩くことにした。

 しばらく歩いていると夏紀は小さな神社にたどり着いた。

「こんな所に神社があったんだ」

 スマホのマップで調べてみると、その神社は家の近くにある神社と同じ神様を祀っているらしかった。また、ついでに調べてみると、この辺りには、稲荷社や八幡社、弁財天など、様々な種類の神社があるようだった。

 夏紀は折角なので近くにある神社や巡ってみることにした。

 実際に行ってみると、全く知らなかった神社や場所は知っていても行ったことのない所もあり、夏紀にとって神社巡りはなかなかに新鮮な体験となったのだった。


×××


 あれから数日後、今日も午前中は部活があり、水泳部所属の夏紀は八月末に行われる地区の大会に向けていつもと変わらず泳いでいた。

 基本的にはまじめな性格の夏紀は、大会に向けた練習もしっかりと行っていた。

 八月末の大会は勿論楽しみにしていたし、目標にしているものだった。

 しかし、その思いとは裏腹に、あの時から感じた焦燥感や閉塞感は、大会への期待感や部活動の充実感によって晴れることはなかった。むしろ部活がある時ほど、今の自分が本当にこのままでいいのか疑問を感じるようになっていた。

 個人メドレーを終えた夏紀は、プールから上がり、ゴーグルを外して空を見上げる。

 照りつける日差しと青い空、そしてそれらを時折隠すように現れる雲。

 いつものような景色。だが、毎日のように見上げていれば、その空の変化にも気付くようになる。

 何のこともない空模様。だがそれは不思議と夏紀を突き動かす力となった。


×××


 時刻は午前二時、夏紀は電気の付いていない階段を慎重に降りて玄関へと向かった。

 ――ふう、ここまでは大丈夫。

 一旦呼吸を整えてから、音を立てないよう慎重に鍵を開ける。

「よし」

 今までにないほどの速さで高鳴る胸の鼓動を必死に抑えながら、静かに扉を開き、外の世界へと足を踏み出す。

 人の気配はなく、月明かりと外灯が辺りを照らす夜の街。

 夏紀は辺りの様子をうかがいながら、静かに歩き出す。

「なんだろうな、この気持ち」

 今まで家出や深夜徘徊などの不良行為に縁のなかった夏紀にとって、夜の街は身近にある未知の象徴ともいえるモノだった。

 だからこそ、今こうしてその場所にいることを考えると、複雑な思いを抱いていることに気付かされる。

 物語のなかでは定番な肝試し。その舞台は学校だったり廃墟だったりと様々だ。しかし、現実の世界で実際に行動に移す人はごく僅かだろう。

 それらの行為は当然ながら不法侵入であり、夜中に出歩くとなればさらに深夜徘徊であり、当然不良行為にあたる。警察に見つかれば補導され大きな問題になり、万が一事件や事故に巻き込まれれば命の保証はない。

 その時だった。

 ――なにかいる!?

 背後になにかの気配のようなものを感じた夏紀は、すぐ先の角を曲がり、身を潜めながらゆっくりと気配の正体を確認する。

「……なんだ、猫か」

 ――そういえばこんなシーンあったな。

 夏紀は少し前に図書館で借りたライトノベルでのワンシーンを思い出していた。

 ――気分転換で夜の散歩をしていた主人公が、魔物に出会うってところあったな一回目は猫だったけど二回目は魔物で……って、私って意外とそういうのに影響されやすいのかな……。

 こうして夜に一人で外に出ようと思った要因の一つに、直前に読んだ本の影響があるかも知れないと思いながら、夏紀は再び歩き出した。


×××


 真夜中の住宅街では人には出会わなかったが、大通りでは案外車が走っているようだった。夏紀は車が通る大きな道を避けて、神社のすぐ近くまできた。

 ――ここを曲がれば……。

 夏紀は一度立ち止まり深呼吸をしてから、一歩を踏み出そうとする。

 だが、その足は踏み出す直前で止まっていた。

 神社の目の前にでは、中年の男が煙草をくわえながら空を見上げていた。

 男は、おもむろに煙を吐き出してから、ポケット灰皿の底で火を消して、その場を去っていった。

「危なかった……」

 あのまま飛び出したら確実に鉢合わせになっていただろう。

 夏紀はもう一度周りを確認してから境内へと向かった。


×××


 未だ昼間の熱を帯びたままの風とスズムシ合唱、夜空に瞬くのは輝く一等星の大三角。

 境内にはそれなりに外灯があり意外にも明るかった。

「夜来るのは初めてだけど、こんな感じなのか」

 夏紀はポケットから五円玉を取り出し、音を立てないよう賽銭箱のなかに入れる。

 二礼二拍手一礼。

 キッチリとお参りを済ませた夏紀は、外灯によって照らされた本殿をゆっくり眺めながら、入ってきた口とは別の口へと向かった。

 外灯が木で隠れ少し暗くなった倉庫に寄りかかり、夏紀は一人空を見上げる。

 そうしていると、心の内で様々な想いを秘めていたことに気付かされる。

 水泳は好きだ。部活も楽しい。でも私の泳ぎは特別じゃない。得意だけど一番にはなれない。なら他には何があるのだろうか。

 勉強ができる訳でも、運動が得意という訳でもなく、絵や小説が書ける訳でも、ゲームが上手い訳でもなく、将来の夢や特別興味があることもない。

 そこそこまじめで普通で平凡な中学生。それが今の私だ。

 だったらなんで今こんな場所にいるんだろう。

 スリルが欲しかった訳でも、親や社会に反発したかったわけでもない。

 特別なことが何も無い何もない私でも、みんながやらないようなことをすれば変われるんじゃないか、そう思ってここに来た――……。

「それだったらちょっとカッコイイかもしれないけど、多分それは正解じゃない」

 ――このままいつもの繰り返しで夏が終わるのは嫌だったから。

 自分だけの特別な思い出が欲しかった。ただそれだけなのだろう。

「こんな結論を出すためにこんな時間にここまで来たのかと思うと、バカらしいというか、何というか」

 ――でも今の自分の気持ちは、ちゃんと整理できた気がする。

 夏紀が夜空に意識を向けたその時、ほんの一瞬微かな光が、街明に照らされる都会の夜空に線を描いた。

「手を伸ばしてみると、実は身近なところに特別が転がっているのかもね」

 ――自分で考えて、悩んで、行動して色々なことを試してみれば、意外とできることもあるし、新しい発見があるかもしれない。変わることもあるかも知れない。

 そう思うと少し自分に自信が持てた気がした。


×××


 あの日の出来事を冷静に振り返ってみると正直、無茶で無謀で命知らずだと思う部分はある。だけど、後悔はしていない。結果論的な側面があったとしてもだ。

 あの時見た景色、考えていたことは、私にとって特別なものだ。そうやって特別を貯めて増やして一歩ずつ前に進んでいく。それが私にとって必要で大切なことなんだ。そう思えただけでも価値は計り知れない。

 夏休みの夜に見た秘密の流星を私は生涯忘れることないだろう。

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夏休みの夜の秘密 真まこと @Tmakoto0415

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