第五話 運命の嘲笑

 ――それは刹那の風景。


 鮮烈なまでの、命のやり取り。一歩手順を間違えば、一手攻め手を誤れば、戦況は目まぐるしく変化し、決着は瞬間にして決定する。


 剣閃が走った。同時に、体中に這い上がってくる悪寒、死の感覚。

 俺は反射という身体の行動すらも超えて、己の放てる最大にして、最速の攻撃を繰り出した。


 かち合う剣と剣。ぶつかり合うは力と力。

 しかし、同時に、俺は確かに地面に足をつけているというのに、浮遊感さえ感じる程の、技術力、圧倒的実力の差を叩き込まれていた。


 ――いなされた。自分の正確無比であったはずの全力の一撃がかわされたということは、意識せずとも感じ取っていた。


 ここまま攻撃の主導権を握らせていれば、負ける。


 ――だが、


「――まだだッ!」


 踏ん張った。


 踏ん張って、斬り返した。


 飛び散る火花。宙に舞う砂利。


 一瞬の攻勢を制した俺は、更なる追撃を叩き込もうと足を踏み出し――しかし、それでも至らなかった。


 限界だった。連戦に次ぐ連戦で、体にガタが来ていた。


 直後、首元に突きつけられる刀身。一種の迫力さえ身に受ける程のそれは、風圧と共に俺に敗北の事実を悟らせた。


「――ッ……。また負け、か……」


 俺は脱力する体を、地面に剣を突き刺して支えた。


 荒い息がその場に響いていた。


「――あぁ、負けだな。だが、無為ではない」


 見上げると、訓練用の剣を肩に担ぎ、父は優しい笑みを浮かべていた。


「ウィル、強くなったな。以前に比べて、やる気も、心の揺らぎも改善され、失敗経験を引きずる事もなくなった。何より、諦め悪く、踏ん張れるようになった。これは明確な成長だ」


 称賛の言葉。


 それが妙に嬉しくて、認められた気がして、俺は即座に姿勢を正した。


「ッ……! はい! ありがとうございます!」


「今日はここまでだ。しっかり体調を整えて、来週の信託の儀式で最善を尽くせる様にしておけ」


「――はい!」


 ドサッと、俺はその場に座り込む。疲労で一歩すら足を動かせそうに無かった。悠々と去っていく父の背中には、まるで届く気がしなかった。


 これにて今日の剣術の訓練は終了。


 流石はパーシヴァル家と言ったところか。

 剣術の教育はこの街、ルドリンクの中でも一、二位を争うほど高度な物。その代わりとんでもなく修行の内容が鬼畜。


 こんなただの十三に満たないガキにさえ容赦は無く、殆どの打ち合いは死合を前提に行われている。そこから得られる経験と成長は生半可なものではない。


 お陰様で成長速度は天井知らずに伸び続けている。


 今じゃ、俺の剣戟についてこれるのはこの街だとカリバーくらいだ。


 努力の軌跡はそれだけじゃない。


 ここ数年では比較的安全な小型の魔物の討伐任務が殆どとはいえ、実戦投入ももう数え切れない程されてきた。だから、そこそこの実績もある。今では一部の人からは神童とまで呼ばれているらしい。


 順風満帆。そう言えるほど、俺の人生は、殆ど苦もなく、ゆっくりと、しかし確実にいい方向へと向かっていた。


 おもむろに、俺はゴロンと地面に寝転がり、空を見上げた。

 雲高く、日暮れに照らされている空は、燃える様に赤く染まっている。


「明日が、運命の分かれ目、か……」


 明日、明日の神託の儀式さえ無事乗り越えれば、少なくとも俺の人生は軌道に乗るだろう。


 神託の儀式。それは、神からのお告げにして、使命の決定。


 この世界では、十三歳を迎えた時に特別な才能が神から与えられる。それは祝福とも称され、その影響の大きさ故に将来の進路さえも決まってしまうことから、職業とも呼ばれている。


 剣士、魔術師、それから学者なんてものまで、才能の種は万に至ると言われるまでに多岐にわたる。


 その中から、胸を張って強者と名乗れる程の才能を手にする。それが俺の使命だ。


 大丈夫、俺はしっかりやり直せている。


 今度こそ、大切なものを失わずに、最期まで生き抜く事ができるはずだ。だから、心配する必要なんて無い。


 涼しい風が身体を撫でていく。


 気づけば、地平線の向こうに太陽は沈んでいき、暗闇が地面に落ちていた。


 途端に主張をし始めてくる眠気。浮き彫りになる疲労。

 次第にまぶたは重くなり、気づけば、俺は深いまどろみへと落ちていた。


 この日も、俺は過去の夢を見た。


 黒い影は、やはり何かをつぶやいていた。



============



 時は進み、平和な時間は過ぎていき。


 そして、ついに、その日がやって来た。


「――おい、ウィル、どっちの方が良い神託を受け取れるか勝負だ」


 神託を受け取る会場である神殿に足に踏み入れた瞬間、俺に一つの声が掛けられた。


 俺はその方向を向くまでもなく、静かに言い放った。


「お前みたいな堅物なら、『神から与えられた尊い神託を比較の対象にするなど下らん』とか言うと思ったんだがな」


「フン、言わせるなよウィル。俺はお前に期待しているのだ。互いを高め合うライバルとしてな。故に、貴様には強くなってもらわねば困るのだ。俺が圧倒してしまっては、つまらぬからな」


 小さい頃から、お互い実力の近い剣術の流派を継ぐもの同士、切磋琢磨してきた親友のカリバーが、高らかに言い張る。


「なら、その勝負乗ってやるとしよう。お前の方こそ、無能だなんて落ちはやめてくれよ」


「戯け、言われなくともそのつもりだ」


「二人とも、張り合ってるのは結構だけど、もう始まるよ」


 振り向けば、セリカがこちらに手を振っていた。

 

 どうやら今来たところらしい。


 三人が集まり、同時に周囲の空気が真剣な物に変わる。


 辺りは同年代の子どもたちで埋め尽くされていた。


 一年に一回開かれる信託の儀式。とはいえこれほどの人数が集まるとは、この街は想像以上に才能の種を抱え込んでいたらしい。


 視線を元に戻してみれば、正面の最奥に位置する壇上、そこに、神官の衣装を身にまとった老爺が登っていた。


「――良くぞお集まり頂いた、将来ある若き者たちよ。今日は神から恩恵を授かる日。存分に、これまでの人生で積み上げてきた成果を発揮してほしい」


 老爺は柔和な笑みを浮かべて、しかし厳格な声で子どもたちに言葉を投げかける。


「早速、例年通り信託の儀式に移りたいところだが、今回に限っては、この場に招待した方に協力をしていただく事となった」


「……協力者、か。己の信仰心に誇りを持っている神官にも、珍しい事はあるものだ」


 カリバーのつぶやきに頷く


「確かに、この街公認の神官以外の誰かが信託の儀式を手伝うなんてことは、今までにもなかったはずだ……。おそらく、居るとしたらそれは相当の人物なはず……」


 周りの子供達も、そのことは理解しているのか、例年と違う儀式の運びに疑問符を浮かべている様だった。


「この方はたまたま遠征の帰還途中にこの街に立ち寄られ、信託の儀式の手助けを自ら申し出て下さった崇高なるお方だ。皆、くれぐれも失礼のない様に。――では、どうぞ、『聖王』様」


 瞬間、ざわめきが沸き立った。


 聖王。その名が意味することは、つまり――


 真っ白な祭服が風に舞った。白銀の頭髪が、陽の光を浴び煌めいた。


 優雅。それを見たとき、最初に抱いた感情はそれだった。


 ざわめきたった場が、一瞬にして静寂に包まれる。


 その時、誰もが英雄とされた者の絶対的な存在感に呑まれていた。


「――皆様、此度はお招きいただき感謝の言葉もございません。私、セレスティア・セイクリッドと申します。皆様からすれば、の『聖王』と名乗ったほうが馴染みがあるかもしれませんね」


 鳥肌が、体中にブワッと立った。


「おいおい、さっき、聖王って聞こえなかったか?」

「あぁ、確かにそう言っていた」

「でも、まさか、本当に本物!?」


 辺りから、好奇を孕んだ声が聞こえてくる。


「ハハッ、これはとんでも無いのを連れてきたものだ……」


 さしものカリバーも、これには唖然とした様子を見せる。


 それは俺も、セリカも、それだけじゃない。この場に居る全てのものが、その思考に至っていた。


 それほどまでに、『六英雄の一人』という存在は大きく、揺るぎのない英雄としての地位を築いているのだ。


「聖王なんて、この世界の神聖術士全員の憧れの的じゃないか」


 誰もが一度は夢見たことだろう。その英雄の姿に。優雅の象徴に。


 場が聖王の空気一色に染まりかけてきた矢先、神官が行動を起こした。


「――では、これより、信託の儀式を始める!」


 神殿内に、始まりを告げる声が響き渡った。


 息を大きく吸い、ゆっくりと吐く。


「……ともあれ、だ。ちょっとしたサプライズがあったものの、俺たちのやることは変わらない」


「そうだな。俺たちは俺たちの事に集中する。まずはそこからだ」


「ふ、二人とも立ち直るのが早いね……。私、まだ現実を受け止め切れてないよ」


 セリカは額の汗を拭って心臓の鼓動を抑えるのに必死な様だ。


 確かに、その場にいるというだけで思わず後ずさりしてしまいそうになる程の威圧感。そうなってしまうのも通りというもの。


 しかし、俺たちは俺たちの未来に集中しなければならない。


 そして、俺たちは歩き出した。それぞれの未来を掴み取るために。



「――この水晶に手を当て、黙祷を捧げてください。与えられた才能は水晶に表示されます」


 目の前の聖王からギフト獲得の手順を教えられ、カリバーが近づく。


 そのまま差し出された水晶に手をかざし、目を閉じる。


 水晶が光を放ち出した。


 神が、カリバーを見ている。内面と、努力の軌跡。そして残してきた結果。それらを見極め、授ける才能を決めているのだ。


 その時、光が一際強く輝いた。


 そして全ての工程が終了した時、水晶に写っていたのは――


『金級剣士』


「――努力の結果。当然だな」


 神の祝福には、基本的に階位が存在する。


 下級、中級、上級、銅級、銀級、金級、帝級、そして王級。


 僅か十三歳にして上から三つ目の才能を手に入れるカリバーは――


「天才、ですね……」


 その聖王のつぶやきは、如何にそれが偉業であるかを如実に表わしていた。


「次は、私の番だね……」


 続くセリカ。


 授けられた才能は――


『金級魔術士』


 再度金級。


「やっ、た……? ウィル! 私、やったよ! 努力が報われたよ!」


 嬉しそうにこちらを振り向くセリカ。


 だと言うのに、何なのだろう、この感覚は。


「遠征帰りについでにと思っていたのですが、これは想像以上の収穫です……。お二人とも、後で話があります。儀式が終わるまで、この場に残っていてください」


「「はい!」」


 三人の内、二人は結果を出した。


 結果を出していないのは、後俺一人だけ。


「お前の番だぞ、ウィル」


 カリバーが、催促する。

 セリカが期待の目を向ける。

 周りが、全員が、俺が結果を出すのを待っている。


 不思議だった。

 今の俺は、神経がピリピリしている。


 首筋の辺りが疼くような、そんな感覚が、さっきからずっと自分につきまとっている。


 この感覚は、前世に散々感じたものだった。


 周りは全員出来ているのに、自分だけできていない。


 勉強も、スポーツも、ただ一人だけ取り残されて、何故お前はこんな事もできないのかと、怪奇の視線を向けてくる。


 俺はそれが怖くて、何も出来ずに人生を終えた。


 だから、今回だって、同じことに――


「チッ、何考えてんだ、俺」


 頭を振り、マイナス思考を頭から追い出す。


 過去の自分は、全て忘れる事にしたんだ。


 それに、今回は今までとは訳が違う。十分に努力して、十分に人生を生き抜いてきた。神だって、認めてくれるはずだ。


 進むことを拒もうとする足を無理やり動かして、俺は祭壇に立った。


「水晶に手をかざし、神、フィクス様へ努力の証明を提示してください」


 指示に従い、青い輝きをほのかに放っている水晶に手をかざす。


 目を閉じ、俺は神に祈った。


 ――さぁ、俺を、俺の努力を見てくれ! 精一杯頑張った。誠実にやってきた。だから、それに見合った才能を……


 しかし、いつまで経っても神託が降りることはなかった。


 額に浮かぶ汗。

 うるさいほどに警鐘を鳴らす全神経。

 光を失っていく水晶。


 最期に、突き放された感覚がした。


 お前は、この世界に居て良い存在ではないと、そう言われた様だった。


「――ッ、どう、ですか。俺の才能は……ッ!?」


 何も、無かった。


 目を開いた時、水晶には、何も映っていなかった。


「む、のう……」


 無能、と。


 その結果を表すのに、最も最適な単語を、誰かがつぶやいた。


「ウィル……? これって……嘘、だよね……?」


 唖然とした声で、セリカが言葉を吐いた。


 無能。それはつまり、神が才能を与えるに値しないと判断したということ。


 生きる価値すらない、世界のゴミクズ。


 その称号を得られるのは、生涯怠惰を極めた者のみ。


 俺は必死になって言葉を編み出した。


「す、すみませんッ! もう一度やり直しを――ッ!」


「――神が、神託を違えることはありえない」


 視線を上げると、『聖王』が冷めきった視線でこちらを見据えていた。


「う……ぁ……」


 それだけで、言葉も発せなくなる。



 ――自分の荒くなった息だけが聞こえていた。


 過去の情景が蘇って、今の状態と重なる。


「神にさえ見放された愚か者よ。即刻にこの場を立ち去れ。――聖王の慈悲も、長くは持たない」


 もう、何がなんだか、分からなくなっていた。


 頭が混乱して、気色の悪い感覚が胸の内で暴走して。


 ついに頭の中が真っ白になって。


 俺は、何も出来なくなった。

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デスティニー・トレイス ないと @naitoo

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