第四話 努力の成果
夢を見た。
教室に立って、周りから視線を浴びせられる夢だ。
――みんなが、俺を見ている。
何故、俺に視線を向けるのだろうか。
俺に、おかしなところでも、あったのだろうか。
疑問を顔に浮かべたその時、クスクスと、笑い声が聞こえてきた。
いや、それは笑いではなかった、明確な侮蔑の感情を含んだ、嗤いだった。
辺りを見渡す。きっと、俺の間抜けた顔を向けられた奴等は、今度はヒソヒソと話し合っていた。
クスクス、ヒソヒソ。それは確かに俺に向けられたもので、それでも、絶対にそれの真意を俺に悟らせはしない。
後ろを向く。
嗤っていた。
右を向く
嗤っていた。
左を向く。
嗤っていた。
そして視線をもとに戻した時、俺を見下ろす瞳の奥底でうごめく、どす黒いナニカ。
直後に感じたのは、言いようもない怖気だった。
背中を百足が這って行く様な感覚。喉元まで迫る吐き気。
黒く塗りつぶされた表情が、醜く歪んだ口元が、シニカルな視線が、俺を貫く。
「――っぁ……」
口から呆然とした声が漏れた。それを耳にして、奴等は更に卑下た笑みを深める。
――逃げたい。
逃げたいのに、逃げられない。この場を離れられない。
逃げたら、きっと奴等はもっと嗤うから。
助けも無い。味方も無い。希望も無い。
ただ一人。信じられるのは、ただ自分一人だけだった。
速まって行く鼓動。過不足になって行く呼吸。心臓が痛いほどに悲鳴を上げていた。
「やめて、よ……もう、やめてくれよッ!!」
地面にうずくまる。
これが初めてじゃなかった。きっと、この時の俺はこんな苦しみを何度も受けていた。それが、いつまで続くのかも分からずに。
耳を塞いだ。それでも耳元から嗤い声が消えてくれない。
精神にひびが入る音と共に、耐えきれなくなった俺は手当り次第に腕を振り回した。
音を立てて倒れる机。吹き飛んで壁にぶつかる椅子。
消えない。消えない。消えない。
それでも消えてくれない。
叫んで、うずくまって、振り払って、あがいて、それでも苦しんで。
俺は体力が尽きるまで暴れ続けていた。
唐突に静寂が訪れる、その時まで。
「…………」
真っ暗だった。
教室の風景は消え去り、俺はただ、何も無い空間で虚空を眺めていた。
そして、呆然と座り込んでる俺の目の前に奴は現れ、こう言うのだ。
「――死の遊戯からは、逃れられない」
「――ッ!」
途端、ベッドの中で目が覚める。
ひどく乱れた息が室内に響いていた。
汗で肌に服が張り付いては、体中で不快感が引き出される。
「夢、か……」
呆然とつぶやくと同時に、安堵の感情がこみ上げてきた。
上半身を起こし、息を整える。
過去の光景を見せられた後に、黒い影が現れて、何かをつぶやいていく。
その夢は、夜ごとに俺の脳内に現れた。
もう、これで十回目だ。
思い出したくない記憶。吐き気すらしてくるほどの、苦い過去。
忘れたはずなのに、何故今になって夢になって出てくるのか。
こうも連続して見せつけられると、否が応にも意識せざるを得なかった。
いったい、この夢は何を暗示しているのだろうか。
だいたい、過去の情景が俺の記憶から来ているものだとして、黒い影の正体の見当が全くつかない。
それとも、俺は、奴と会った事があるのだろうか。
意味もなく思考を巡らせていたら、いつの間にか朝日が登っていた。
我を取り戻した俺は、慌ててベッドから飛び起き、支度をした。
「いっけない。今日はセリカと約束があるんだ。遅れたら怒られる」
身だしなみに粗がないことを確認して、俺は頬を叩いて煩悩を払った。
「しっかりしろ。もう十三歳になるんだろう。これから、もっと頑張らなくちゃならないんだ」
自分に言い聞かせる。
俺は振り返らず、家を飛び出した。
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ここは、にぎやかに繁栄している王都の郊外。
五年間という、短くない時が経つ中で、ルドリンクと呼ばれるその都市は姿を変えつつあった。
建物は木造から石造りへ。
人は過疎から密へ。
特に大都会という訳でも無く、しかしとりわけ田舎という訳でもない、それでも、住民全員が標準以上の幸せな生活を送っているその街は、今日も平和な日を送っていた。
いつも通りの日常。いつも通りの街並み。その、ほんの片隅で流れる、一つの小さな噂。
それはある少年についての噂だった。
曰く、その少年はえらく達観している、だとか。
曰く、その少年は街一番の少年剣士であり、将来は世界にさえ通用する才能を持っているのではないか、だとか。
彼についての噂は、どれをとっても彼を褒める物ばかり。
ひとえに、それは彼の努力産物であり、それらの称賛は、彼の努力の結果であった。
「――ねぇ、ウィル。また言われてるよ」
そんな傍ら、隣りを歩いていた幼馴染のセリカが、ニヤついた笑みを浮かべながら口を開いた。
買い物の帰り道、両手に思い荷物を持たされた俺は、苦笑いと共に軽くため息を吐いて言葉を返す。
「嬉しい限りだな」
その返事に、少女は眉をひそめて神妙な顔をしながら言った。
「それにしては、なんだか嬉しくなさそうだね」
「いいや、嬉しいよ。――ただ、まだまだ努力できるって、そう思っただけだ」
「真面目だねぇ。――私は、てんでだめだよ」
肩まで伸ばした金色の髪を揺らして呆れた様に返す唯一の友。
しばらく流れる沈黙。
「研究、難航してるのか」
「うん。魔法薬学って難しいね。実験で失敗ばかり繰り返してると材料もすぐなくなっちゃって……。あ、今日は剣術の訓練があるのに、わざわざ買い物手伝ってくれてありがとう。助かったよ」
思い出したようにセリカは申し訳無さげな表情を浮かべて言った。
「気にしなくて良いよ。お隣さんの、それも将来有望な魔術士のたまごとお近づきになれるなら、これくらい大した事じゃないさ」
「将来有望って……まぁ、それほどでも、あるかな?」
少し自慢げな声色で、胸を張るセリカ。
どうやら機嫌を取ることは出来たようだ。
それでも、この少女は優秀だ。たとえ困難の最中にいようとも、年少にして皆から期待の眼差しを受けている魔法薬学者であることには変わりない。彼女も、絶えず努力を続けているのだ。
「じゃあ、早く帰ろうか。一分一秒も無駄にしたくない」
そうして歩く足を早めようとした俺をその場に留めたのは、ほんのちょっとの偶然と、警戒心だった。
たすけて、と。
その声が聞こえたのは、おそらく、俺だけだった。
この辺りを通ると、少なく無い確率で、この助けを求める声が聞こえると俺は知っていた。
故に、予め耳をたてていたのだが、今回はそれが見事に当たったという訳だ。
行動は、思考が答えにたどり着くよりも先に、開始していた。
「待っていろ、今俺が行くぞ!」
持っていた荷物を放り出し、それをセリカが受け止めたのを視界の端に捉えて、俺は声の下を辿り路地の奥へ飛び込んだ
「ちょ、ちょっとウィル!? 待っ、て……。はぁ……もう」
「――おい、そこのお前達!」
いくつかの曲がり角、先程感じ取った声のする方を追いかけた先。
薄暗い影の重なり合う人の目につかない裏路地で、俺は現場を目に入れた瞬間怒声を飛ばしていた。
その矛先は、多人数で群れて一人のか弱い少年を囲っている集団。
「げっ、ウィルの野郎!? なんでこんなところに!」
集団の中でも、少し存在感が強めの金髪のガキ、いじめ常習犯のアルベルトが顔を引きつらせて声を漏らした。
「アルベルト、またお前か! いつもいつもそうやって大勢で一人を攻め立てて何が楽しいんだ! 今日こそその悪行を止めてやる!」
騒ぎ始める有象無象。
取り巻きは若干焦燥をにじませた様な声色で言葉をこぼした。
「アルベルト、ちょっと、このままだとやばいんじゃ……」
「ぐ、うぅ……。チッ、あいつ如き何怖がる必要がある! 今回はこっちには五人も居るんだ! ……ウィル! 俺たちは毎回お前に痛い目合わされてウンザリしてんだ。この辺で返り討ちに会いやがれッ! お前達、かかれぇ!」
大した理由も無く、ほとんど逆ギレで激昂するアルベルト。
「お、おぉ! そうだぜ、俺達だってやられっぱなしで居られねぇ!」
その指示に、戸惑いながらも、軍勢は勢いのまま突っ込んでくる。
それでも俺は怯むことなく走り出した。
そして始まる肉弾戦。拳と拳のぶつかり合い。
その日もまた、人知れず小さな戦いが始まった。
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「く、くそぉ! なんで五対一なのにこっちの方が押されてんだよ!」
「所詮はその程度ってことよ。この誇り高きパーシヴァル流剣術を受け継ぐこのウィル・パーシヴァルに比べればな。本当ならこの場に剣を持ち合わせてれば、更に一方的な試合を演出することだってできたんだぜ!」
そんな俺の一声を耳に入れてか、アルベルト達は踵を返して逃げていく。
所詮は粋がっているだけのガキ大将。剣が手元になくとも、相手取ることは不可能ではなかった。
「ち、畜生! 覚えてろよぉ!」
「ふん……勧善懲悪、下衆な奴らは成敗されるといい。――そんで」
と、下にうずくまっている子供に目を向ける。先程まで理不尽な暴力を一身に受けていた少年だ。
「君、大丈夫? 怪我とかは無い? 可哀そうに……あいつらの無意味な暴力の矛先を向けられるなんて」
俺は柳眉を下げて少年を心配する。
少年は咳き込みながら、体を起こし、弱々しい声を絞り出す。
「助けてくれて、ありがとうございます……体は大丈夫です」
そう言って言葉では平静を装いながらも、体が痛むのか顔をしかめるその奥には、ひどく悔しげな感情が見え隠れしている。
その姿に、過去の自分が重なり、俺は拳をギュッと握りながらつぶやいた。
「自分ではそう思っているかも知れないが、一応回復魔法を掛けておいた方がいいだろう。セリカは……あ」
そこで、俺は唯一回復魔法を扱える覚えのある友が、実に不服そうな顔をしながらこちらに向かってくるのを目に入れた。
ご立腹である。
「――す、すみませんでした」
俺は端っこでセリカの治療が終わるまで縮こまって、話を切り出した。
セリカは少年が元の道を戻っていくのを見届けて、こちらに視線を向けた。
「ウィル、最近一人で突っ走って行っちゃう事が多くなったよね。なんだか、置いて行かれてるみたいで悲しい……」
「えっと、申し訳ないです……」
確かに、この少女の言う通り、英雄になることを決心したあの日から、そんな事が多くなった気がする。
「別に、置いていかれてるのは私の努力が足りてないだけなんだけどね」
「セリカは十分頑張ってると思うけど……」
「でも、君は十分以上に頑張ってる。私には分からない、どうしてそんなに努力を続けていられるのか」
思い詰める様に視線を落とす彼女は、ひどく痛々しく見えた。
「えっと……いつか、『努力は必ず報われる』って言葉を言った事があったよな」
「うん、確か、君と私が初めて会った時」
「そう。その時は、木の下でお前がうずくまって泣いてるのを見つけて、思わず話かけたんだっけ」
セリカが、思い出したくない過去を掘り起こされたとでも言いたげに苦笑した。
「あの時は、家の躾けが耐えられなくなって逃げ出してたんだ。いつになったら終わるのか分からない努力が嫌になって、それで、君が『努力は必ず報われる』って言ってくれた」
「あの言葉で少しでも救われてくれたなら、こちらとしても嬉しい限りだ。――ともあれ、今回だって同じ話だ。努力をする時は、報われた時のことを考えて、それを目指して行動するのが一番なんだ」
「そう、か……。うん、そうだね。君の言う通りだ」
そう言って、セリカは晴れやかな笑みを浮かべた。
「――努力は必ず報われる……。うん、今度はちゃんと覚えておこう」
自分に言い聞かせる様につぶやいた彼女は、もう報われる日が近づいていることさえ感じさられる程に、自身に満ちた目をしていた。
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