第三話 空虚の希望

「――ぐぇッ」


 潰れる様にその場に倒れ込む。


「体力の無い奴め……。今日はここまでだ。出来なかった分は明日に回す。そんなところに寝込んでいないで、夕飯までには支度を済ませておくように」


 そう言って去っていく父。


 それを見送って、俺は萎えた足に力を入れて無理やり起き上がった。


 痛みと疲労とで、体の中はぐちゃぐちゃだった。


 やっと地獄のような時間が過ぎ去った。


 打ち込み、走り込み、それから実践を交えた訓練の応酬。


 それが、明日からも続いていく。


 疲弊感が首をもたげてくるのから目をそらすことだけで精一杯だった。


「…………」


 閑散とした空間。傷だらけの体を起き上がらせる。


 辛くて仕方がない。でも、こんな辛い時間を何度も何度も繰り返して、それを受け入れているのは、努力と向き合えている自分が、少し好きになったからだ。


 本来なら、出来なかったこと。本来なら、諦めていたこと。


 そう。この感覚だ。この感覚を忘れる訳には行かない。忘れてなんかやるものか。


 やっと手に入れられた達成感なんだ。


 ――後ひと押し、何かが足りない。俺を完全にこの世界に適応させる、きっかけが足りない。


 と、その時、俺の手元に空から真っ白な粉が落ちてきた。


「あ……雪……」


 気づけば、冬の訪れを告げ知らせる粉雪が、次々と降り注いでは、地面に痕を残していた。おそらく、あと数時間もすれば、雪で地面が覆われることだろう。


「冬……そういえば、今日は聖夜の日だったな……。となると、明日が俺の誕生日……」


 雪が降り積もる聖夜の翌日にお前は生まれ落ちたのだと、両親からはよく聞かされていた。


 だから、こうやって雪を目にすると、自分の誕生を喜んでくれる家族の姿が思い浮かぶのだ。


「――あぁ、そうだな。今日は早く寝よう。こんな平和は、本来なら手にすることも出来ない代物なんだ……。存分に、味わっておこうじゃないか」



============



 深い深い眠り。


 それを妨げたのは、窓ガラスを打つ投石の音だった。


 コツンと小さく鳴るその音を、最初こそ意識の内に入れなかったものの、次第にその音は大きくなっていき、最終的に俺の目を覚ますに至った。


「う、うぅ……」


 目をこすり、上体を起こす。


 外は真っ暗だった。


 時刻は時計の短針が12を回ったところ。深夜である。


 ゴン、とまた音が鳴った。


 俺は、はぁとため息をつきベッドから足を下ろした。


 窓を開き、下に向かって声を放つ。


「おい、何度も石投げるなよ。人んちの窓ガラス割るつもりか」


「ふむ、やっと起きたか」


 視線の下、そこでは、予想通り赤毛の少年が自慢気に笑みを浮かべながら立っていた。


「今回は何が要件だ」


「まぁとりあえず降りてこい」


 俺はまたため息を吐き、しかし拒否する様なことはせず、棚からコートを取り出した。



「――で、やってきたが、早く要件を言え、カリバー」


「まぁそう急かすな。今日は聖夜祭だろう? 良いものを見せてやる」


 そう言ってまた不敵な笑みを浮かべたこの少年は、幼馴染にして剣術のライバルであるカリバー・エリソンドだ。


 背は小さいくせに、妙に上から目線でいつもイライラする言動を振りまいている。


 ついでに言えば、この八年で作ったたった二人の友達の一人でもある。

 

 こんな深夜に眠りから呼び起されるのはこれが初めてではない。それほど仲がいいといえば聞こえは良いが、こんな記念日くらいは勘弁してほしいものだ。


「良いもの? こんな深夜に?」


「こんな深夜だからさ」


「で、それは熟睡中の俺を呼び覚ましてまで見るようなものなのか?」


「物事を価値だけで図るのは良くない。本質を見極めなければな」


 自慢気に言っているが、きっとこいつは何も考えてない。


「――それに、セリカももう誘ったからな。おそらく待たせているはずだ」


「他にも巻き込んでたのかよ……。あぁ! 分かったよ! 今回は俺の負けだ。大人しくついて行けば良いんだろ」


「そう来なくてはな」


「でも、親に気づかれたらまずいな、何か対策を――」


「その必要は無い。さっき馬車にのって出ていったのは確認した。今頃街の祭りを楽しんでいることだろう」


「準備は万全ってことかよ……」


 そうして、聖夜の雪が積もる中、俺はカリバーに連れられて暗闇へと足を進めた。



============



 目的地は想像以上に近くだった。


 小さな川が流れる河川敷。いつも友達と遊ぶ時に集まる、定番の場所だ。


「あ、ウィル。それにカリバー。やっと来たんだね」


 到着と同時にそれを歓迎したのは、聞き覚えのある声だった。


 こちらへと近寄ってくる気配。


 視線を向ければ、風に金色の髪がたなびく少女と目があった。


 一瞬、その明媚な光景に、意識が飲まれた。


「――ッ、セリカ、か……。悪い、どうやら待たせてしまったみたいだな」


 かろうじて詰まっていた言葉を絞り出す。


「あぁ、本当に手こずらされた。こいつがなかなか起きないせいで、俺まで遅刻さ」


 カリバーの無駄口は無視した。


「いいや。大丈夫だよ。大して待ってたわけじゃないし」


 そう言って微笑を浮かべたこの少女は、セリカ・ラドフォード。


 独自の魔法薬学を代々継いできたラドフォード家の令嬢にして、回復魔法の神童。


 肩まで伸ばした、一寸の濁りもない金色の髪と、青空をそのまま落し込んだかのように透き通る碧眼。その端麗な容姿も合わせて、おおよそ一人の少女と言うには出来すぎた幼馴染だ。


 そして、カリバーとは別の、もう一人の友達でもある。


「それよりもだ、早速張り込み開始と行こうじゃないか」


 話題を転換する様に、気合たっぷりに言い張るカリバー。


「張り込みって言ったって、何を待つんだ? ここにあるのは、川と木くらいだぜ?」


「まぁ、おとなしく座って待っていろ」


 疑問をつぶやいて見たものの、適当にはぐらかされる。


 仕方なく、俺はこの少年の企みに付き合う事にした。


 ――は、良かったものの。


「……何も起こらないが」


 どれほど時間が経っただろうか。

 

 しばらく流麗に流れる川をじっと見つめていたが、変化は無く。深まっていく暗がりの中、俺達の言葉数は減る一方だった。


「いいや、もうそろそろ始まる」


「いや、そう言われても――」


 言いかけた言葉を途切らせたのは、カリバーの視線の先、河川敷の向こう側で輝いた、一筋の光だった。


 パッ、と乾いた音が鳴ったと思えば、ゆらゆらと、尾を引く閃光。


 それはヒュルヒュルと音を立て、悠々とて宙に登り、その果で――大輪を咲かせた。


 ドンッ、と、少し遅れて重厚な爆発音が耳に届く。


「始まったね……」


 花火だった。それは、前世で何度と無く目にした、宙に咲く芸術。


 目を見開き、瞳が宙に釘付けになる。


「ウィル、お前、今日誕生日だろう」


「――あ」


 確かに、言われてみれば針は十二を過ぎてすでにしばらく経っている訳だから、今日が俺の誕生日という事になる。


「俺をここに連れてきたのは――」


「あぁ、これを見せる為だ。プレゼントならいつでも渡せるが、思い出はこんな限られた時にしか作れないだろう。だからこの前セリカと話してな、聖夜祭で行われる花火大会は以前から一目見てみたいと思っていたから、丁度いい機会だった」


「ウィルは前からこういうのに興味なかったでしょ? だからこれはサプライズ。まぁ、隠すのはなかなか大変だったけどね」


「っ……。そう、か……」


 フッと、思わず笑みが漏れた。


 久しく忘れていた感情が、蘇ってくる様な感覚がした。


 二人に目を向ける。


 きっと、俺を祝うなら、夜が明けた後でも良かった。


 でも、この二人の友は、日付が変わったと同時に思い出を贈ってくれた。


 ――一つ。立ち止まっていた背中を、押された気がした。


 自然と笑みが顔に浮かび、幸せな感情で胸が満たされる。


 ほら見たことかと。


 俺はもうひとりの自分に問いかけた。


 こんな良い友だちに囲まれて、こんな綺麗な景色が目の前にある。これ以上受け入れる事を拒ぶ理由が、どこにあるというのだろうか。


 俺は、この幸運にすがっても、良いのではないか。


 ポツリと、カリバーがつぶやいた。


「綺麗だな……。先の心配など全て忘れて、今この一瞬を大切にしようと、なんだかそう思える」


 立て続けに夜空を彩っていく花火のせいか、不思議とその一言一言が胸を打った気がした。


 「先の心配など全て忘れて、今この一瞬を大切にする、か……」


 実に面白い事に、図らずしも、カリバーのその言葉は俺の迷いを払拭しようとしていた。


 俺は、自分が大嫌いだった。愚かで、臆病で、努力する事から逃げている自分が大嫌いだった。


 その過去の自分を、殺したくて仕方がなかった。


 ――あぁ、そうだよ……。そうだ、ここから、全部忘れてやり直せば良いんだ。


 でも、今答えはでた。


「俺は、ここからやり直す……!」


 俺は、晴れやかな笑みで、二人の方へ向き直った。


「なぁ、俺、今目標が出来たよ」


 俺は胸の内の思いを、言葉を吐いた。


「目標、か……」


 俺はビシッと空に指を指して応えた。


「俺は――英雄になる。それが将来の目標だ」


 覚悟とともに、二人に目を向ける。


「ふむ、それは、比喩的な意味で? それとも――本物の英雄のことを指しているのか?」


「無論、本物さ」


 この世界には、英雄が存在する。


 六人の、神に選ばれた存在。この世界に向けられるあらゆる脅威を殲滅する、最強の証。


 人は彼らをこう呼ぶ。すなわち「六英雄」と。


 それは何にも勝る大それた夢。しかし、今の自分なら、何故か成し遂げられてしまう様な、そんな気がした。


「大層な目標だな。だが――面白い。その話、俺も乗ってやる」


 ニヤリと笑って、応じるカリバー。


「夢は大きく、か……。良いね、私も乗った」


 続くセリカも、どこか嬉しそうな感情のこもった表情を見せていた。


「二人とも……あぁ! 一緒に目指そう!」


 こうして、花火が鮮やかに彩る夜空の元、三人の少年たちの誓いは交わされた。


 きっと、俺はこの世界で思う存分全力で生きる。


 過去の自分は、全部忘れて真っ当な人間になる。


 過去の自分に価値は無い。過去の経験に意味は無い。過去の記憶に意義は無い。


 ――だから、新たなこの居場所で、後悔の無い人生を生きるんだ。


 でも、心の奥で言い表し様のない疼きが、自分に何かを訴えていた気がした。


『――出来るなら、してみたいさ。やり直せるなら、やり直したい。……』


 あの時、あの本との会話で、口にしてしまった言葉。


 犠牲。この時の俺は、その単語の意味を含めて、全てを忘れてしまっていたのかもしれない。


 でも、もう全て手遅れだった。


 ――運命は、動き始めた。

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