第二話 転生

 脳をぐちゃぐちゃにかき混ぜられる様な感覚に苛まれた。


 記憶が混濁して、脳がクラクラして、だけど、それが妙な気持ちよさを醸し出していて。なんだか奇妙な感覚だ。


「う、うぅ……」


 長い夢を、見ていた気がする。


 ひどく悲しくて、苦しくて、それでも思い出せない、長い夢。


 ――ここは、どこだろうか。


 停止していた脳が、現状を把握しようと、回転を始める。


 ――それ以前に、俺は何をしていたんだろうか。


 頭の中の記憶を探る。


 俺は、図書館で謎の現象に巻き込まれて……それから先は覚えてない。


 現実と虚構の境界線が曖昧になっている。


 あの不思議な現象自体夢だったのだろうかと、今更、そんな気がして来る。


 ――早く起きないと……。


 ぼやけた視界が、意識が覚醒していくと共に開けていく。


「……ん?」


 その時、一つの違和感が脳裏をよぎる。同時に、少し、焦りを含んだ感情が胸の中で渦巻く。


 それは、視界が捉えた、ありうることのない光景。


 まさか、とか。そんなはずが、とか。俺はそんな一言二言を胸の内に押し込め、目を凝らした。


 だが、果たしてその先に見えたのは、見慣れた図書館の情景では無かった。


 木材で組み立てられた屋根。室内を照らすロウソクの明かり。そして――


 人間だ。二人の人間が、自分を見下ろしている。


 一人は男。もうひとりは女。


 通じているのは、どちらも自分に愛情の眼差しを向けているという事。


 ともすれば、聞こえてくる声。


「――ウィル。あなたの名前はウィル。この家の長男よ」


「――あぁ、この家の長男として、この子には世界一の剣士になってもらおう」


 困惑。


 ただ一言。それが今の俺の心情を表す最適の言葉だった。


 どうにかして身体を動かし、視線を自分の体に向ける。


 絶句した。


 瞳が映し出したのは、自分の物にしてはあまりにも幼すぎる身体のパーツ。


 いい歳にもなった自分が、まるで赤子の様に扱われている。手も、足も、この境遇も。


 ――何だよ……これ。


 おかしな夢でも見ているのでは無いだろうか。


 一瞬そう考えもした。だけど、身体に触れる空気も、背に触れている毛布の感覚も、現実そのもの。幻覚にしてはあまりにもリアル。


 ありえない、と。


 その一言だけが思考の海で乱反射していた。


 でも、この時、俺は頭のどこかで間違いなく既視感を感じていた。


 体験したこともないし、ずっと空想の中の話だと思っていた。でも、俺はこれを


 それは現実逃避をした先で、何度も目にしたシチュエーション。


 本との会話を思い出す。


 あのやり取りの中心にあったキーワード、「やり直し」


 もし、”あれ”が言っていた事が事実で、俺が見ていた物が幻覚なんかじゃ無いとしたら。


 その上で、「やり直し」が意味する物が、この現状だとしたら。


 あまりにも荒唐無稽な話。


 でも、現実として目の前に突きつけられている以上、否定のしようが無かった。


 いや、落ち着け、落ち着くんだ。


 落ち着けば、自ずと情報は整理され、答えは導き出される。


 俺は落ち着いた。何時間も、何十時間も、果には何日も掛けて、自分が置かれている現状を反芻した。

 そして情報を整理し、その結果、懸念が確かなものとなった。


 俺は確信した。自分が転生したということを。


 そう、確信せざるを得なかった。


 

============


 

「――魔術。地から湧き出る魔力を用いて、あらゆる事象を引き起こす術」


 庭に生えた大きな樹の下、俺は書斎にあった本棚から、短い腕を懸命に伸ばし掴み取った本を地面に広げていた。


「――精霊。大気中に存在する幻想体ファンタズマ。人と魔を繋ぐ」


 表紙に堂々と「魔術教本初級」と記されているそれには、前世の世界では所謂中二病と呼ばれてもおかしくない内容が記されていた。


 それが意味することは、つまりこの本の主が生粋の子供心の持ち主――という訳では無く、魔術という概念が世界共通で一般的に認識されているという事。


 正真正銘、本物の魔術。以前の世界では、到底実現する事のなかった人工の奇跡。


 八年前の自分では信じることも出来なかっただろう。でも、八年の時をこの世界で過ごし、数々の魔術をこの目で見てきたからこそ言える。


 これは、夢でも幻覚でもない、紛れもない現実だと。


 そう、どうやら俺は、間違いなくに生まれ落ちてしまったのだと。


 だが、存外俺は戸惑って居なかった。

 

 ありえない事には、変わりないのだろう。


 だが、この状況が科学や常識では証明出来ない「非常」だったとしても、完全なる想像の範囲外というわけでは無い。


 少なからず、この様な状況を想定した設定や物語は存在していた。


 そしてこの現実を受け止める事ができる様になった今、俺は特に苦もなくこの世界に溶け込んでいる。

 

 魔術、呪術、祝福。様々な幻想ファンタジーが飛び交い、当たり前のように生活に浸透している、この世界と共に。


 ――今度こそ、真っ当に生きれるのではないか。


 そんな思いが、胸の内で燻る。


 俺は、全てを諦めようとしていた。


 努力することもやめて、学校にもろくに行かずに、きっとこのまま存在自体が恥ずかしい人間になってしまうのでは無いかと、そんな確信が心のどこかにあった。


 でも、そうなりきってしまう前に、転機が訪れた。


 望んでいたやり直し。突然身に起こった転生。


 やれる。今なら前進できる。努力できる。全力で人生を生きられる。


 自然と、握りしめる手に力が入った。


 しかし、それにストッパーをかける猜疑心。


 希望を持つ心とは裏腹に、もうひとりの俺は疑問を抱いていた。


 ――すなわち、、と。


 ひねくれているのはわかっている。これが疑心暗鬼だということも。

 

 それでも、生涯不幸に見舞われ続けていた俺に、こんな都合良く幸運が降ってくるとは思えない。

 これが、もうひとりの俺の主張だ。


 あの本との会話は今でも覚えている。


 あれは今思い出しても現実離れしたものだった。


 それだけじゃない。たとえあれが紛れもない現実だったとして、果たして”あの本”に俺に新たな人生を提供するメリットはあったのだろうか?


 ただより高いものはない、と言う言葉がある。


 確かに、この無償で手に入れたやり直しの権利に、俺は止めどの無い不安を感じていた。


 でも、石橋を叩きすぎて壊すのは、もう嫌なんだ。


 俺は、どうしてもこの新たな人生を全力で生きたい。


「――ウィル! 剣術の鍛錬を始めるぞ!」


 思考を巡らせながら本とにらめっこしていたその時、俺に声がかかる。


 視線を上げると、大きな庭の真ん中で訓練用の木刀を差し出す様に持つ父親の姿があった。


「はぁ、またか……」


 聞こえない様に小さく愚痴る。


 俺の家名はパーシヴァル。だから、家系で言えば俺はパーシヴァル家に属すると言える。


 厄介なのは、このパーシヴァル家が独自の剣術を継いできた剣術家の家系であるということ。それもこの辺じゃ一、二位を争うほどの名家ときた。


 もちろん、その次代を継ぐ長男の俺は剣術を学ばされる。


 運動は大嫌いなのに、だ。


 だが、この境遇が面倒くさいのはそれだけが理由ではなかった。


 渋々近寄って剣を受け取り、いつも通り構えたところで顔をしかめる父。


「――まだ動揺が心に残っているな。前にも言っただろう、迷いの有る剣では至高には至れないと」


 早速飛んでくるダメ出し。


 俺は表情がげんなりとするのを抑えて、言葉を返した。


「では、どの様に対処をすれば良いのでしょうか」


「やる気がない、迷いを捨てきれていない、失敗経験をいつまでも引きずっている。改善点は挙げればきりがない。それとロクに考えもせずに疑問を口にするのはやめなさい」


「……はい」


 悔しかった。与えられた環境にケチつけようとするもうひとりの自分の存在を許してしまっている事が。


 口答えせずとも、納得の行かない表情をして構えている自分を子を見て、父は面倒くさそうにため息を吐いた。


「仕方ない、まずはいつもどおり、打ち込みから始めるぞ」


「はい」


 こうして、俺の退屈な訓練は始まった。

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