デスティニー・トレイス

ないと

第一話 始まり

 そこは地獄だった。


 魔法が地面を焦がし、剣戟が宙を走り、次の瞬間に視界を塗りつぶすのは真紅の血液。


 弱いものから破滅の道をたどり、それでもなお戦いが終わることは無い。


 飛び交う悲鳴、跋扈する異形、幾度となく繰り返される命のやり取り。


 一瞬でも気を抜いてしまえばそれが最期、無残な屍を晒す事となる。


 死の瘴気に溢れるこの戦場は、凡人からしてみれば忌避すべきもの。しかし、何故、人はここに立ち入ろうとするのか。


 きっと、この地獄に足を踏み入れた者は皆、口を揃えてこう言うことだろう。


 ――あの本が自分をここに導いた、と。


 あるものは書きかけのまま物置に放置していた小説の原稿の間に。あるものは努力と挫折の跡でボロボロになったシューズの下に。


 それらに共通して言えることは、それに希望と期待を抱いていたこと。そして最後には叶わなかったこと。


 彼らは自分の人生に満足が行っていないということを、その神は理解していた。


 故に、デスゲーム。やり直しを望んだ者に与えられる、死の遊戯。


 それは空虚の希望にすがった者たちのことごとくを巻き込む。


 殺し、生き残り、最後に聖杯を掴み取った者のみが勝者。


 敗者は屍となり、いつしか魂の記憶も消え去る。


 ただ、これはほんの始まりでしか無かった。


 役者が揃い、物語が動き出した時、その時こそ、真の死の遊戯が顕現する。


 世界は待っている。最後の主役が揃う、その日を。



============



 例えば、一つの物語があったとして、その中で何よりも輝くのは誰だろう?


 きっと、それは主役だ。


 勇敢で、賢明で、どこか大胆。


 いつも物語の中心地に居る、それが主役の定義だ。


 とした時、俺の存在はその対義語そのものだった。


 臆病で、愚図で、極めつけに意気地なし。


 自分が主人公の器じゃないなんて事は、人生を重ねて自分を知っていく内に理解した。


 正真正銘の無能だったから、人一倍努力しても、いつも要領のいいヤツに追い越された。


 俺は孤独だった。みんなから仲間ハズレにされて、それでも自分から近寄ろうとはしない。


 当然いじめられた。それは主張せずに生きるためのツケだった。


 俺は耳を塞ぎ、目をつぶり、自我を抑え続けた。それでも、幼かった俺は目尻から溢れてくる涙を押し込む事は出来なかった。


 そんな俺を見て、周りは嘲笑った。

 臆病者が、また泣いてるぞと。


 俺は絶望を前に、誰の助けも得られず、暗闇の中で日々を過ごしていた。


 ただ心がねじれていくのを黙視して、いつねじ切れてしまうのかという恐怖に怯えていた。


 どこで間違ってしまったのだろうか。


 きっと、どこかで、致命的なまでにしくじってしまったのだ。


 失敗だらけの人生だったから、何が原因でこんな自分になってしまったのか、心当たりがありすぎて分からないけど、これだけは言える。


 彼女を殺した責任は、一生償えやしないだろう、と。


 ただ、毎日印象にも残らない様な生活して、適当にダラケて、それも嫌になって、決心もつかないままよくわからない学校に進学して、そこでも困窮して。


 もう、家を無くして路頭に迷う人たちが、他人事に思えなくなっていた。


 何をやってもうまく行かない日々が続き、そんな中、ただ後悔の念が積もっていく。


 救いも、哀れみもいらない。俺はただ、どうしようもなく自分をこんな目に合わせている存在に、目にもの見せてやりたかった。


 でも、俺に再起する力はもう残っていなかった。


 やり直したいと、そう思った。


 もし、やり直せるなら、たった一度だけで良いから、やり直せる機会があったとしたなら、きっと、俺は何を犠牲にしてでもそれにすがるだろう。


 そして、新たに生を受けて、次こそは大切な物を失わずに最期まで生き抜くんだ。


 当然、やり直せる通りなんてどこにも無いが故に、こんな無様な体たらくを晒している訳だが。


 ともあれ、ただの生きた屍と化して、根拠のない希望を願って、意味もなく来るはずのない転機を待ち望んでいる。それが、俺という人間の全てだった。


 ――だから、ひどく風変わりなそれを見たとき、俺は胸の奥底で何かが蠢いた。


 それは本だった。


 じっと見つめると、吸い込まれてしまいそうになる程惹きつけられる、茶色の本。


 俺は本が好きだった。

 

 それは唯一、この世界で心を落ち着ける事のできる場所。


 現実逃避をするなら、本の世界に入り込むのが一番だった。


 だから、今日この日も俺は行きつけの図書館へと足を運んで、読書に時間をつぎ込んでいた。

 

 いつ頃からだっただろうか。努力することすらもバカバカしくなってきて、課せられた義務から目をそむけ、挙句の果てに不登校になってまでこんな場所に足を運ぶ様になってしまったのは。

 

 日は地平線の向こうに沈んでいき、夕日が窓から差し込んでいた。


 今日も現実から目をそらして、無駄に時間を浪費しただけ。それは明日も、明後日も、その先の日も、ずっと死ぬまで続いていくんだろうと、そう思っていた。


 でも、俺は見てしまった。いや、


 いつもならあるはずのない、異質なその存在に。


 それは部屋の奥の更に見つかりづらい場所に、ひっそりと、しかしそれでいて言い表しようのない存在感を放つように鎮座していた。


 読みたいと、そう思った瞬間。

 気づけば、俺は、無意識の内にそれを取り出し、手に取っていた。


 ペラペラとページをめくる。


 内容は、ファンタジーだった。それも、王道のど真ん中を行くどこにでもある様なもの。


 英雄に憧れていた主人公が、悪者の魔女を倒し英雄になる物語。


 始まりは主人公の住む街が襲撃される場面。

 すべてが破壊しつくされ、家族を失い、絶望に陥っていた少年が、一人の妖精と出会い、すべての元凶である魔女を倒すために成長する事を決意する。


 真の英雄になるためには、はるか昔に魔女が封印した聖杯を手にしなければならない。


 封印の鍵を握っているのは六人の魔女。主人公は仲間と共に旅の道を進んで行く。

 

 と言った、そんな感じのあらすじ。


 なんというか、拍子抜けだった。いかにも特別そうな見た目をしている割には些か普通すぎて。


 だが、変化があったのは、その時のことだった。


「……え?」


 白紙だった。本来、物語の続きが綴られるべきその頁には、何も書かれていなかった。


 空白。空白。空白。めくってもめくっても一面を埋め尽くす白。


 きっと、俺が現実から体を切り離され始めたのは、この時だった。


 空間を満たしている閑散とした雰囲気。


 まだ明るいというのに異常なまでの人気の無さ。


 まるで、世界からこの場所だけが切り取られているかの様な現状に、俺は違和感を抱くべきだったのかもしれない。


 それでも、止められなかった。


 無意識の内に、そのまま動いた手が、本の表紙を捲り初める。


 何故だろうか。文字の一つも書いていないそれに、時間をかける価値は存在しないはずだったのに。俺は、白紙をめくり続ける行為を、やめられなかった。


 気づけば最後のページ。物語は、半ばで途切れていた。

 

「…………」


 生唾を飲み込む。手が、紙に触れる。


 なんてこと無い、当たり前の動作。しかし、一瞬、時間が引き伸ばされていく様な感覚に苛まれる。


 同時に、一ページ目が顔を見せようとしたその時――俺は目を見張った。


 それは、非現実との対面とも言える程の、現実離れした現象。

 自分自身、何を見ているのか分からなくなる程の奇妙。


 ただ、そこには一つの事実として、事象が存在していた。

 

『――やり直したいか?』


 俺は、問われた。その本に、回答を求められた。


 日焼けた羊皮紙の上、そこではインクで刻まれた文字がうごめいていた。

 グニャグニャと畝る線が、文章を形成していたのだ。


 一瞬にしてフリーズする脳。

 

「……幻覚、か……?」


 目をこすり、再び本を凝視する。

 しかし現実として、変わらずそこには文字が文章を形成していた。

 

『――僕は君を知っている。そして君をそこから救い出す方法も』


 変幻自在に姿を変えていく文字。


『もし、君が希望するなら、人生を”やり直す”機会を与えよう。僕には、それだけの力がある』


 ひどく現実のものとは思えない現象。しかし、俺はいつの間にか、蠱惑的に揺らめくその文に見入っていた。


 それを皮切りに、脳から思考する能力が奪われていく。瞬間の内に、気づけば、俺は、ありえない状況に適応


「……やり、なおす?」


 繰り返す。”ナニカ”と対話する様に。


『そう、やり直しだ。君が望んで居たことだろう?』


 尚も文字は言葉を返す。


「そんな事が、本当に……」


 さりとて疑問は尽きず、宙ぶらりんになり行き場を失う言葉。


『出来るさ。君が僕に意志を任せてくれると言うなら、運命を変える力を与えよう。心配は要らない――ただ、ちょっとした犠牲が必要なだけさ』


 誘惑。分かっていても、逆らえない魅力を秘めている。

 口から、乾いた笑いが漏れた。


「ハ、ハハ……出来るなら、してみたいさ。やり直せるなら、やり直したい。何を犠牲にしてでも……」


 俺の返答に、文字は笑っている様な気がした。


『――話は決まった』


 その瞬間、バチンッ! と閃光が走ったかの様に、本が光を放った。


 同時に、手から腕へ、腕から肩へ、肩から心臓へ、そして脳へ、膨大な量のエネルギーと、情報量が伝わってくる。


「――ッ!!」


 妙な感覚だった。そう、おおよそこの世に存在する言葉などでは到底説明も出来ない様な、気持ち悪ささえ感じてくる程の重苦感。


 幻覚か、はたまたそれ以外の何かなのか、黒と白が交互に移り変わり点滅している脳内の、更にその奥で浮かび上がる数多の情景。


 一気に流れ込んでくる記憶の本流。

 

 とぎれとぎれの記憶が、ツギハギの宙にパッと舞う。

 同時に、身体中が”何か”に引き込まれる。


 現実離れした感覚。


 意識を失い掛けていく中、きっと俺は、最後に手を伸ばしていた。

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