インスタント主義現代

高黄森哉

加速

 世の中がシャカシャカ加速し始めたのは、この物語の主人公、幸助が生まれて以来である。いや、それ以前からだったかもしれない。とにかく、ことは迅速に処理される方がいいと、そういう価値観が今の世に蔓延していた。

 幸助は、その最たる例であるカップラーメンを食べながら、三畳の部屋でこの世の行く末を考えていた。このまま処理速度の加速が進めば何が起こるのだろう。何か途轍もなく恐ろしいことが起こるのではないか。


 独り麺を啜りながら、人々が急いでいる理由を考察した。それはこんな具合だった。人間は寿命を持つ。その寿命を延ばすために世界を変えてきた。しかしそれも百二十歳で頭打ち。人類は別の方法を試す必要性に駆られたのだ。むだな時間を削りその分を有用なものに割り当てる。それは実質的な時間の増加だった。しかし、それだけでは再び頭打ちになった。すると今度は、必要なものを削り始めた。例えば娯楽はインスタント化され、仕事は能率化された。それは若者にとって、つまらない不完全な社会経験として降りかかることとなった。


 しばらくして、幸助は十七歳になった。幸助の所属する十七歳は、インスタント世代と呼ばれていた。それには、圧縮された物事に慣れ親しんでいるため、我慢が出来ない世代だという蔑みを含んでいた。幸助は、そんな蔑称に我慢が出来なかった。我々を作り出したのは上の世代だ。その世代も、即物的な快楽に浸っていたから、自分の世代だけがそう呼ばれるのは、不当だと感じた。


 幸助の頭の中でインスタントな考えが取り留めもなく、炭酸水の泡のように惹起した。上の世代への復讐法は、例えば血の付いたバット、例えば太陽の塔が折れた退廃の絵、例えば核兵器による一掃、例えば文学への侮辱、例えばスーパーカーでの爆走だったりした。そのすべてはインスタントカメラで撮ったような、簡単な解方ときかただったが、それらは世代の決意を如実に表現していた。

 

 みんなの共通意識の中で、ざわざわとした予感が発生した。それは幸助の同志たちの間で、赤紙として共有されていた。同志たちは確信した。きっと世の中は後悔するだろうと。彼らをインスタントに育てたことを、親としての役目を果たさなかったことを、苦労をよしとしなかったことを、それなのに年齢に胡坐をかいて馬鹿にしたことを。

 それから半年も経たないうちに、幸助をはじめとする彼らインスタント世代達は、国会を襲撃した。自衛隊に銃撃されて一面、血の海になってもなお捨て身で進軍する青年隊の模様が、緊急生放放送として全国を走った。それを見た者なら、だれでも若者の主張をありありと理解できた。捨て身での抗議もそうだ。


 考えてみれば簡単なことだ、


 インスタントを食べ、インスタントに扱われ、インスタントに嗤われ、インスタントに捨てられることを強制された者が、行きつく理想は当然、インスタントに咲くため、インスタントで戦い、インスタントを破壊するために、『インスタントに生きる』ことだったのである。


 死にゆく短いインスタントな若者のうたが、軽薄に木霊する。人生桜花、破戒旋律、即物宣言、魯鈍哲学。時代に殺された若者達の人間讃歌。

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インスタント主義現代 高黄森哉 @kamikawa2001

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