第13話 西へ(終)

 蒙古人民共和国の某県を馬車に揺られながら、芳江は西に向かっていた。馬車には数人の蒙古人が同乗している。勿論、言葉は分からない。この辺り一体は草原と森林が交わる場所らしかった。言葉の分からない芳江は1人の世界にいるのであった。

 白い雲を浮かべた青空を眺めながら、芳江は思った。

 貧しかった生家、零戦製造工場、山村家や篠原家、そして、赤軍中尉としての橋田殺害等である。見えない歯車の下にいたドジな芳江ではあるものの、一気に謀略将校となり、作戦を成功させたのであった。 

 何だか、今迄のことが自身でも信じられない。まるで、誰かがシナリオを描いた演出のような気がするのである。

 「しかし」

 青空を眺めながら、改めて、芳江は思った。

 「モスクワでの一人暮らしって、どんなものだろう。男女平等で女性にも参政権の

 ある国って、どんな国かな?」

 「演出」のなかで暮らして来たような芳江には、どんな将来が待っているのか。今後はどんな「演出」があるのか?

 しかし、あるいは、これだけ暗い人生が続いたのであれば、これ以上は人生は悪くなりようがないのかもしれない。

 自分より圧倒的に強かった橋田を殺すことができた芳江である。あるいは、殺人と言う形であっても、自身への抑圧をはねのけ、乗り越えることができたと言えるかもしれない。相変わらず、巨大な歯車の下にいる芳江かもしれないものの、自身を自身で解放しようとこれまで動いて来た、という意味の行動力があるとも言えた。

 「これからのことは分からないけど、もう少し、頑張って生きてみるか」

 以前のように追われている感のない今の旅は、ゆっくりとした馬車の速度もあり、何となく解放感があった。解放感を感じつつも、芳江は改めて、鞄の奥底を開いてみた。自身のドジ故に、アナシタシアから、受け取った書類をなくしていては一大事である。

 ふと、自分のドジぶりが気になったのである。モスクワでの新生活が始まる迄、気を抜くな、という何かの直感的警告かもしれなかった。

 書類は無事であった。

 青空を眺めつつ、西に向かう芳江であった。


(完)

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満州の芳江 阿月礼 @yoritaka

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