第12話 独立政権樹立
12-1 要塞陥落
兵達と共に、アナスタシアは要塞内に入った。かつての支配者だった日系軍官への反乱による「内戦」というべき戦いの結果として、そこら中に死体が転がり、血しぶきが飛び散り、けが人が呻き、コンクリート壁には弾痕が残っていた。生き残った「敵兵」-あるいは、反乱によって、ある種の「独立国軍」になったというべきか-は呆然としている者も多かった。反乱という自身の行為によっての結果とはいえ、それまで当然のものとして続いて来た支配-被支配の関係があっさり消滅したことが信じられないのかもしれない。
アナスタシアは思った。
「童顔の兵も多い。まだ、入隊したての新兵も多いのかもしれない」
そう思いつつも、「内戦」の激しさの残る要塞内を司令室に向かった。
「芳江とキムは、生き残っているだろうか。生き残っていてほしいのだが」
戦争では将兵は「将棋の駒」である。しかし、各将兵は同時に、感情のある人間である。それを利用して、アナスタシア等は、反乱を焚きつけたのである。その結果を今、見ているのである。
アナスタシアは同行の兵と共に、司令室に着いた。中に何があるかは分からない。不用意に扉を開けるのは危険だった。
同行の兵の1人が言った。
「爆破しましょう。罠が仕掛けられているかもしれません」
アナスタシアは、それを制止した。
「いいから、待ちなさい」
アナスタシアは、日本語で話しかけた。
「芳江、いるの?いたら、開けてちょうだい」
中から鍵を外す音がして、扉が開き、芳江が顔を出した。同時に兵達が芳江を突き飛ばし、司令室内に突入した。
司令室内には、これといった物はなかった。あったのは首を無くした日本軍人と心臓を撃ち抜かれた日本軍人の2体の死体、そして、芳江と負傷したキムの存在があるだけであった。
要塞は陥落したのであった。
アナスタシアは、キムが負傷していることを認めると、衛生兵のもとにキムを送ることを傍らの兵に命じた。2人の兵がキムを要塞外に設置された野戦病院へと担いで行った。
アナスタシアは、半ば呆然としている芳江に話しかけた。以前の死体遺棄で、殺人を目撃していたことはあったものの、戦争とはいえ、自ら殺人を遂行したのは初めてのことだったからであろう。
「おつかれだったわね、同志中尉」
芳江はそのまま、床に崩れ落ちそうになった。慌てて、アナスタシアは芳江を抱きかかえた。芳江もソ連兵に担がれて、野戦病院に連れて行かれた。
12-2 戦後処理
かつては、日章旗と満州国旗が掲揚されていた旗竿には、ソ連国旗である赤旗が掲げられていた。満州里市にも赤軍が進入し、独立政権樹立が宣言された。ソ連邦を東から脅かしていた満州国の一部が崩れたのである。
要塞内での戦後処理とのことで、アナスタシアは、要塞内の元通信兵に日本語で語りかけた。
「後方の本部と言うべきハイラル要塞への支援要請」
について、問うた。
元通信兵は答えた。
「要請しましたが、援軍の到着前に、要塞が陥落してしまいました」
満州国と、その背後にある大日本帝国は自らの支配の地位を確立しようと、満蒙国境に迫るこの地区に外郭要塞を築いた。しかし、今や、要塞は今や逆の性格を持ち、対満州国攻撃の拠点としての性格を持つようになっていた。
アナスタシアは、謀略将校として思いを巡らせた。
「『五族協和』を主張した満州国であったものの、日本を中心とした支配体制はか
えって、内部から満州国を切り崩すというソ連邦の極東戦略に有効な手段を提供し
たわね」
さらに、アナスタシアは思った。既に、
「満州国に反旗をひるがえす満州国内の少数民族支援ということで、モスクワ放送
はラジオで、そのことを宣言しているでしょう。極東軍管区軍も対満州国攻撃の準
備に入るでしょう」
そう思いつつ、
「しかし」
と、改めて思った。
「今回の独立政権樹立で、ソ日関係は、かなり悪化するはず。ソ日中立条約への違
約を日本側から言われるのは必須ね」
アナスタシアは侵攻前に思っていたことを改めて内心で反芻した。
日本との関係が悪化したら、そのまま両国間の戦争に突入するかもしれない。しかし、そうであっても、取り除かれねばならない「東方からの脅威」であろう。現実には、今回以上の悲惨なことになるかもしれない。アナスタシア自身も、父や兄を死なせたかつてのナチとの戦争のような状況に前線関係者として、置かれるかもしれない。
だが、既に、「自転車操業」が言われる日本には、対ソ戦を耐え得る余裕はないのかもしれない。太平洋方面では、近いうちに米軍の反攻が始まるだろう。
「大日本帝国」という「大」を国名にかぶせた極東の小国は、侵略を重ねることで、文字通りの「大帝国」となった。しかし、巨大化のつけが、今になってまわってきているのであろう。
アナスタシアは心中にて続けた。
「米国では新型爆弾が完成しているとも聞く。一発で都市一つを廃墟にできるとの
こと。ソ連は米国に比べて地理的には日本には近いものの、兵器の威力ということ
になると、どうだろうか。今後の対日戦はどのように動くだろうか」
アナスタシアは更に続けて、
「故に、対日戦をソ連側に有利に展開するにはどのようにすべきか。米国とは反フ
ァシストということで連携しているものの、両国間の国益が衝突すると、将来的に
は関係に亀裂が入り・・・・・」
心中で独り言を言っていたアナスタシアのシミュレーションは
「場合によっては、ソ連邦のどこかに新型爆弾の投下等の最悪の事態
が・・・・・」
という、かなりの恐怖という方向に進んだ。
しかし、アナスタシアの心中の世界と言うべきシミュレーションは
「同志カトウコフ中佐、同志師団長がお呼びです」
という台詞で破られた。
アナスタシアは了解した旨を返答すると、さらに心中で言った。
「よしましょう。これらは軍の上層部と政府外交部の仕事ね」
アナスタシアはポポフの下に向かった。
途中、戦後処理として、周囲では、元要塞兵から没収された兵器、小銃、機銃等が積み上げられ、また、ある場所にはヘルメット、ある場所には弾薬等が積み上げられていた。
これらの弾薬類は今後、どうなるのだろうか?現在、武装解除されている捕虜兵は、そのまま、赤軍に編入される予定なので、即席赤軍兵の装備になるのだろうか、あるいは、満州里に進駐してくるであろう中国共産党軍の装備になるのかもしれない。中国国民党政権は腐敗し、社会から見放されている現況の下、勢力を拡大している中国共産党軍の装備になるならば、農民反乱軍がかなりの程度、強力な軍になり、極東での共産党政権樹立にかなりの貢献をなすであろう。
要塞占領後、設営された臨時の指令所前に着いたアナスタシアは言った。
「お呼びでしょうか、同志師団長」
「うむ、中に入ってくれ」
アナスタシアは中に入った。
ポポフは、アナスタシアにテーブルを挟んで椅子に座るように促した。
「ヨシエだが、調子はどうだ?」
「先程、野戦病院に運ばれて行きました」
「できれば、今後も中尉として同行できそうか?できれば、即席の赤軍兵との間の
連絡係等になってもらいたいのだが」
ポポフは師団長として、引き続き、芳江を活用したいと考えているようである。
アナスタシアは言った。
「難しいでしょう。今回の作戦も彼女の過去とハシダの恥ずかしい女性差別を利用
して作ったものです。芳江は私達の演出に上手く答えてくれましたが、即席の中尉
にはこれ以上は、現時点では無理でしょう」
アナスタシアは、自然と少し、語気を強めたようであった。KGB将校としてではなく、1人の女性として、芳江の安全を保障したかった。芳江をこれ以上、苦しめないために、芳江は西に後送するのが現時点で最善策と思われた。
「同志師団長、とりあえず、芳江は西に後送しましょう。後々、赤軍かKGBの学
校で日本語教育を担当する将校等にするのが良いのではないでしょうか」
アナスタシアは、芳江を助けるために、後々のソ連邦への貢献を口実にした。
ポポフも同意し、芳江は西に後送されることが決まった。アナスタシアは、司令所を出て、臨時の野戦病院に向かった。
12-3 除隊
アナスタシアは、野戦病院のテントに入った。
芳江はベッドに寝かされていたものの、アナスタシアの姿を認めると、上半身を起こした。
アナスタシアは芳江に言った。
「改めて、お疲れだったわね。同志中尉」
芳江は何と答えて良いか分からす、とりあえず、
「ええ、まあ」
といつかも言った曖昧な返答をなした。
アナスタシアは言った。
「貴女、もう日本に帰れないし、帰る気ないのよね」
如何にもその通りである。その気持ちは芳江の表情にも出たようである。それを察したかのように、アナスタシアが言った。
「このまま、軍と共に中尉として、行動する?それともモスクワ郊外で、公営住宅
で暮らす?あなたの住宅は用意されているのよ」
またも、何かの陰謀かもしれない。しかし、今の芳江にとっては、モスクワ郊外で暮らす以外に選択肢は無いようであった。
「モスクワで暮らしましょう」
「そうならば、これが貴女の住宅での住所、それから、これが赤軍中尉であること
を証明する書類。なくさないように大切に持ってらっしゃい。モスクワで関係者に
見せるように」
芳江は勿論、ロシア語は読めないものの、ロシア語書類に日本語訳がついていた。
芳江はアナシタシアから受け取った書類を日本から同行して来た鞄にしまうと、更にベッドの上で眠った。
その後、数日して、野戦病院を出た芳江は蒙古族の引く馬車で数人の地元民と共に、蒙古人民共和国経由で、モスクワを目指すべく西に向かった。
かつて、満蒙国境にて満州国と大日本帝国の存在を主張すべく建設された外郭要塞には、改めてコンクリートや鋼材が持ち込まれ、蒙古側をにらむ存在から真逆に、満州国側を睨む存在へと、性格を真逆に強化すべく、強化工事が施されている最中であった。
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