第11話 戦闘

11-1 夜明け

 9月も末日に近づいた某日、いつものように、外郭要塞から数キロ先の国境付近にて、蒙古人民共和国を監視している哨兵の姿があった。彼はドラム缶を積み上げた見張り台の上で、銃を担ぎ、満蒙国境をにらんでいた、というより、眺めていた。

 哨兵にとっては、いつものパターン化した行動であり、1933年の満州国建国以降、特に、ミッドウエー海戦での日本の勝利以降は、それこそ、なだらかな平原を「警備」の名目で眺めているだけの行動が、半ば、パターン化していた。

 彼の背後である東の方角から太陽が昇り、空は明るくなり、平原を照らし始めた。

 哨兵は思った。

 「今日もいつも通りだ。何もないな」

 しかし、次の瞬間、彼は、満蒙国境に、何か光るものを見た。次の瞬間、ドラム缶ごと吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた。

 地面に叩き付けられた彼は、薄れ行く意識の中で、砲声、そして、

 「タワーリシチ・スターリン、ウラ―!(同志スターリン、万歳!)」

 の声を聞いた。

 「いつも通り」

 の日常は、あっけなく破られた。

 前線の哨戒所の哨兵等は、あっけにとられていたものの、それがソ連軍側の侵攻であることは分かった。しかし、

 「何もない」

 日常が続いていたことから、右往左往しつつ、とにかくも通信兵が外郭要塞にソ連側からの侵攻を打電した。

 そうこうしている間にも、ソ連軍は、T34型戦車を戦闘に、大挙して押しかけて来たる様子が哨戒所からも確認できた。T34から発射される砲弾は次々と哨戒所に着弾し、櫓やトーチカ等を吹き飛ばした。迫りくる戦車群は、塹壕を乗り越え、陣地を踏み潰し、満州国軍兵士らに迫って来た。T34正面装甲の装備からは機銃が発射され、又、火炎放射がなされた。満州国軍兵士等は、次々と掃討されていった。

 いつも通りの「平和」に慣れきっていたこともあり、哨戒所の陣地は大混乱に陥った。

 その哨戒所から送られて来た至急電は、とにかくも直ちに、外郭陣地に届いた。 

 外郭陣地内の通信所で前線の哨戒所から届いた電報に、要塞付通信兵は顔色を変え、直ちに、上官の内山中尉に報告した。内山は、直ちに司令室に向かった。

 「内山、入ります」

 「どうした」

 まだ眠そうに橋田は返答した。

 「橋田中校、前線の哨戒所よりの入電であります。本日未明〇〇時、満蒙国境を越

 えてのソ連軍の侵攻とのことであります」

 橋田は色めき立った。

 「何?各員を戦闘配置につかせろ」

 内山が、慌てて入室してきたことで、同じく司令室で眠っていた芳江もボンヤリと目を覚ました。しかし、橋田の

 「戦闘配置!」

 の大声で、はっきりと意識を持った。橋田は傍らの芳江に、

 「倉本、お前もこの司令室内で兵の一員だ!与えられた拳銃で戦う準備をしろ!」

 と怒鳴った。

 「はい、中校殿!」

 芳江は元気よく返事した。

 芳江としては、10代の頃、軍事教練を行なって以来、戦闘的なことを行なった経験はない。しかし、いよいよ、本当の戦争である。勿論、この

 「戦争」

 は、要塞を護る守備兵としての戦いではない。10代の頃の軍事教練が今、その時の大日本帝国という国家の意図とは逆の形で、実現しようとしていた。

 芳江は、アナスタシアに黒龍丸内で出会った時、自分がかつて、女学校時代に軍事教練を受けたとは言わなかった。日本から脱出したい、ということと、その原因となった山村家や篠原家での経験で心中が一杯だった。そのことを聞いてもらいたい一心であった。赤軍中尉に任官した時も、あまりにも突然のことだったことから、かつての女学校での軍事教練のことについては、殆ど忘れてしまってた。

 しかし、いよいよ、実戦になった今、芳江は心中にて言った。

 「橋田さん、今日であなたもおしまいよ。後、数時間、絶対権力者としての地位を

 お楽しみください」

 心中にて、そのように言いつつ、芳江は傍らのコンクリート壁に目をやった。数本の軍刀が立てかけてあった。また、なぜか、コンクリート塊があった。軍刀があるのは要塞内の武器として当然のことであろう。しかし、コンクリート塊は何であろうか。要塞建設時に出た残材であろうか。

 これらも、場合によっては武器になりそうであった。しかし、やはり、橋田に比較せれば、非力な存在である芳江にとっては、拳銃による一撃勝負しかないようであった。芳江は、初の実戦に実戦に動転しつつも、橋田への拳銃射殺の機会を待った。


11-2 反撃

 橋田の反撃命令は、要塞内の兵達に対してと同時に、要塞付の戦車隊にも届いた。

 吉村輝雄は、この命令を受け、他の乗員と共に配属されているチハに乗り込んだ。童顔の彼は、今日、初めて実戦に参加するのである。

 車長の命令で、チハのエンジンが起動し、T34が迫って来る西の方角に向けて動き出した。

 輝雄が乗るチハの約100メートル程、右前方を進む友軍のチハに、正面から迫って来るT34が放った主砲弾が直撃した。そのチハは大音響を響かせ、爆発、炎上した。そのチハからは更に爆発音が響き、砲塔が空中に吹き飛んだ。車内の弾薬、燃料に引火、誘爆したのであろう。脱出者は誰もいない。4人の乗員が全滅である。

 輝雄はかつて、内地でノモンハン事件を戦った帰還兵から、

 「ソ連軍の戦車は火炎瓶等で攻撃されると、簡単に発火する例が多かった」

 という体験談を聞いていた。この話を聞いて、満州国軍入隊の際、戦車兵を志願したのであった。

 「ソ連の戦車がそんなに弱いならば、戦車の装甲という鎧をまとっていたほうが、

 安全だろう」

 という彼なりの自己生存のためだった。学校での教師や町内会のポスター等の

 「無敵皇軍」

 という言葉も、それを後押しする役割を果たした。

 しかし、それは、1955年の9月末の今日、現場にて、間違いであることに気付かされた。しかし、最早、間違いに気づいたところで、何処にも逃げ場はない。

 輝雄のチハの傍に至近弾が落ちたのか、車内にまで振動が響いた。こんな状況の中でも、車長は輝雄にも見える正面のT34を狙っているらしい。装填手に58ミリ主砲への装填を命じた。

 「それ行け!」

 車長は引き金を引いた。主砲弾は勢い良く砲身を飛び出し、狙い通り、正面のT34に命中した。

 しかし、そのT34は、撃破されなかった。それどころか、自身を撃ったことに怒ったかのように、主砲を輝雄等のチハに向けた。その瞬間にも、友軍の戦車等が轟音をたてて、爆発、炎上した。輝雄等の左前を進んでいたチハが炎上し、車内から、火だるまの兵が転がり落ちて来た。その兵はそのまま地上で仰向けに倒れたまま、動かなかった。

 輝雄は、自分の顔が青くなり、恐怖でひきつるのが自分でも分かった。

 次の瞬間、輝雄等のチハに主砲を向けていたT34が発砲した。砲弾は吉村等のチハを直撃した。爆発はしなかったものの、擱座した。運転手の輝雄は慌てて、車外に飛び出した。次の瞬間、輝雄のチハは、他の乗員が脱出する間もなく、砲塔が空中に吹き飛び、轟音と共に爆発、炎上した。

 輝雄は慌てて、外郭要塞のある東の方角に逃げようとしたものの、背に銃弾を浴び、そのまま、傍の窪地に落ち込んだ。輝雄の意識が薄れていく中、T34を中心としたソ連赤軍は次々と輝雄が逃げようとした東の方角へ進軍して行った。

 前線の戦車隊は、苦戦していた。このことは、外郭要塞の司令室にも届いていた。

 司令室の橋田は

 「戦車隊はじめ、前戦隊、苦戦」

 の報を聞き、怒りの表情を顕わにした。

 「役に立たない若造どもめ、俺が何のために鍛えてやったと思っているんだ!」

 そう、怒声を上げているところに、通信兵が飛び込んで来た。

 「ソ連軍、当外郭要塞に迫りつつあります」

 橋田は司令室内の各日系軍官将校に命じた。

 「各日系軍官はじめ、各将校は配置場所での兵の指揮をとれ!常々、指示した通り

 だ!」

 要塞内でも一番安全、と思われる司令室内にも砲声や振動が伝わって来た。ソ連軍が迫って来ているのが本当であることが実感できる。

 日系軍官がそれぞれの持ち場に戻ったので、司令室内は橋田と芳江、2人の司令室付将校の4人のみになった。

 橋田は傍らの将校に問うた。

 「ハイラル要塞からの支援はまだか?」

 将校は少し緊張しつつ答えた。

 「もう少し、後、1時間程かと」

 ハイラル要塞からの支援が到達しては、ソ連側にとっての勝利は危うくなる。

橋田の右背後にいた芳江は、意を決して軍用拳銃を抜き、橋田の後頭部に向けると言った。

 「橋田中校、名誉の戦死、おめでとうございます。スケベなあなたも今日でおしま

 い。黄泉の国へご出立ください」

 いきなり、侮辱された橋田はカッとなって、芳江の方を振り返った。そこには自分の顔面に銃口を向けられた拳銃があった。

 次の瞬間、銃口が火を噴き、顔面を砕かれた橋田は「戦死」した。


11-3 内戦

 司令部付の2人将校は、突然のことに驚いていたが、1人はさらに芳江が放った銃弾で胸を打たれ死亡し、もう1人はあわてて司令室外に飛び出した。

 塹壕内で、その姿も目撃したキムは、皆に呼びかけた。

 「おい、みんな、おれたちをいじめつけていた橋田は死んだ、俺たちは自由だ!」

 周囲が一斉にどよめいて、動揺し出した。

 キムは、橋田が死んだことを目撃してはいない。しかし、このように言うことは、味方であるはずのソ連軍と撃ち合うのを事前に止め、要塞を少ない犠牲で陥落させる好機である。

 日系軍官の1人が怒鳴った。

 「貴様、何を言うか!」

 キムはあっさり、その軍官を自身の所持していた軍用拳銃で射殺した。要塞内の権力を現場にて、兵達に象徴していたともいえる彼はあっさり、死んだ。

 これを合図にするかのように、要塞内のあちこちで反乱が起こった。塹壕内等の銃弾が飛び交い、これまで「味方」と思われていた者同士で殺し合うようになった。それまで支配者的地位にいた日系軍官等は、射殺されたり、コンクリート塊で殴りつぶされる等、血の海となった。

 大混乱の中、左肩に流れ弾であろう銃弾を受けたキムではあったものの、そのまま、司令室内に飛び込んだ。そこには返り血を浴びた姿で興奮冷めやらぬ芳江の姿があった。床には、首を無くした橋田の死体と、胸を撃ち抜かれた日系軍官の死体があった。

 キムは痛む左肩から血が流れるのを右手で抑えつつも、息せき切りつつ、言った。

 「白旗を揚げます、同志中尉!」

 「はやくなさい!」

 芳江は初めて、赤軍中尉として、同志准尉に命令した。

 キムは、司令室内のベッドシーツを竿に括り付け、大急ぎで白旗の準備をした。芳江は妨害されぬよう、司令室の扉を施錠した。

 キムは司令室から地上に出るハッチを開け、にわか作りの白旗を振ろうとした。しかし、左肩の傷から血が滴り、苦しくて、白旗を振れない。

 「貸しなさい!」

 芳江はキムから白旗を奪うと、まだ、地上では銃弾が飛び交う中、ハッチの中から思いっきり旗竿を振った。

 要塞から白旗が揚がったことは、ソ連軍側でも確認出来た。

 双眼鏡から白旗を確認できたポポフは傍らのアナスタシアに話しかけた。

 「要塞から白旗が揚がった」

 「はい。芳江が上手くやってくれたのかもしれません。同志師団長。停戦を受け入

 れ、要塞そのものを入手し、敵の支援を無意味にすべきでしょう」

 「うむ」

 そうは言いつつも、「白旗」は偽装降伏等、敵の謀略の可能性もある。ポポフは部下の兵達に、T34戦車を先頭に、警戒しつつ、要塞に近づくように命じた。

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