発電所

 土曜日の朝、いつもの交差点でミヤと待ち合わせてから海岸方面のバスに乗った。発電所に近づくにつれ住宅や店、看板、道路標識までもが減っていった。周囲に建物が一つも建っていない、何のために存在しているのかわからない発電所の最寄りのバス停で降車し、発電所まで歩いた。発電所のために海を一部埋め立てているため、起伏が少なく周りがよく見渡せたが、同時に風通しも良いため海風が少し寒かった。発電所が遠くからでもよく見える上に、建物が何もない平坦な道を進んでいるせいでいつまでも発電所にたどり着けないような感じがした。発電所とそれ以外を隔てる金網の中には一本ののっぺりした黒い塔が立っており、その塔を囲むように平屋の建物が円形に並んでいる。発電所の心臓でもあるらしいその塔はかなりの高さで、空が曇っているせいもあってか最上部は霞んで見えない。塔というよりは黒く塗った爪楊枝が地球に突き刺さっている、という感じがした。支えも何もないのに倒れてこないのが不思議だった。


「こんな地味な施設に興味を持ってくれておじさんはうれしいよ」

 塔を囲む建物の入り口を入ってすぐ、窓口にいたおじさんに事情を話したらすんなりと入れてくれた。

 機械がほとんどの制御を担っているため、発電所にはこのおじさんと片手で数えられる程度の人しかいないらしい。ここにいる人たちの中に雷発電と重力の制御に関する詳しい理論を知っている人はいるか聞いてみたが、ここに勤める人が知っているのは来客の対応と事務作業の方法だけだと笑い飛ばされてしまった。ぼくとおじさんが話している間、人見知りのミヤは一度も口を開かなかった。

 おじさんはおしゃべりな人で、聞いてもいないことをしゃべり続ける。

「おじさん実は転職しようかとも考えていたんだよ。地味だし、給料は良くないし、そのせいか家内にもしつこく転職を勧められているしね。」

 ぼくはおじさんの話を聞きながら以前母に言われたことを思い出した

「あんたも将来はうちの仕事を継ぐんだからたまにはこっちの手伝いもしてよ。勉強も悪くはないけどさ。」

 おじさんは続けた

「それに、最近転職関連の明るい話題も聞くじゃない?

 そんなふうに思っていたけど、君たちみたいな若い子がこの仕事に興味を持ってくれているって知ったら、もうちょっと頑張ろうと思えるよ。地味だけど、やる意義は十分ある仕事だと思うしね。」

 かなり一方的なおじさんとの会話にひと段落ついた隙を逃さず、ぼくはおじさんに館内を見学してもよいかときいた。おじさんは二つ返事で了解してくれたが、事務作業があるらしく館内の見学には付き添わないそうだ。子供二人では危険なのではと聞いてみたが、子供が入ってはいけないところには職員も入れない、と笑って言われてしまった。きっとそのような施設なのだろう。おじさんは窓口の裏にある事務室へと入っていった。


「結局発電の仕組みについてはわからずじまいだね。」

 館内の散策を初めてしばらくしたところでようやくミヤが口を開いた。

 館内には博物館のような順路が設定されており(地面にペイントがされていた)、それは発電所の入り口から始まり、塔を囲む建物を時計回りに一周するものだった。博物館と違い展示品は存在しなかったが、海側の壁には窓がついており、曇り空と穏やかな海がよく見えた。

「もともとはここを海洋保全の資料館にするつもりだったのかもな」

 ミヤにしては珍しくぼくのつぶやきに反応しなかった。そんなミヤの様子が気になって聞いた。

「楽しくないの?」

 ミヤは少し間をおいてから応えた。

「黒い塔は地中深くまで伸びているってさっき言っていたじゃない?そのことについて考えていたの。」

 黒い塔の地上部は雷発電に、地下部は地殻発電に使われているらしい。ここで地殻に蓄えられたエネルギーを電力に変換しているわけではないため、あくまでもこの場所はただの雷発電所である。ぼくはこの話を聞いたとき、一つの施設で二種類の発電を行うことができるなんて合理的だなとしか思わなかったが、ミヤはもっといろいろなことを考えているようだ。


 順路の半分を超えたあたりで通路の右側、塔のある側にドアが現れた。ドアは安っぽい緑色をしており、真っ白で傷一つない周囲のコンクリ―ト壁の中で目立っている。ミヤはそのまま順路通りに進もうとしていたがぼくは立ち止まり、ノブをひねってみた。開かないものと思っていたが、ドアは安っぽい音を立てながら向こう側に開いた。通路の右側には窓が一枚もついていないせいで今まで気がつかなかったが、塔と建物との間は数十メートルしか離れていないようだ、ドアを開けると塔の黒色が視界いっぱいに広がった。塔のあまりの大きさから無意識に塔を見上げると、その高さのせいか足元がふらつく。視線を戻すと塔の手前に地下へと続く無骨な階段があった。ドアと階段との間には通路も照明もなく、それどころか建物と塔との間には階段以外の何ものも存在していないように思われる。その階段に行こうとするとミヤがぼくの腕を掴んだ。不安そうな目をしてミヤが言う、

「そんなところに行ったら怒られるよ」

「職員が入れるところは子供も入っていいってさっき言っていたし、大丈夫だよ」

 ミヤはそれでも不安そうな顔をしていたが、ぼくは何としてもあそこに行きたかった。叱られても構うものかと思った。あの階段を下った先には発電の仕組みだけではなく、それ以上の何かがある気がしてならないのだ。

「ぼくはいくよ」

 ミヤはドアの内側、ぼくは外側にいたため、半ば無理やりにドアを閉める。閉める瞬間のミヤの顔がいやに印象に残った。ドアは二度と開くことはなく、ぼくは階段に向かった。


 階段は塔の周囲を螺旋状に下って行く。塔の半径が大きいせいで螺旋階段という感じはあまりしなかった。天井の白い照明がまぶしい。塔のある側の壁には大きさがバラバラな小さい扉のようなものがいくつも付いていた。塔を一周したところで階段は終わり、小さな円形の部屋に出た。この部屋で行き止まりのようだ。部屋の隅には椅子と机が置かれていて、机の上は食べ物や本でごちゃごちゃしていた。他に目立ったものはなかったが、部屋の突き当たりの壁には小さな赤いダイヤルのようなものがついていた。近くで見ようと壁のダイヤルに向かい、部屋の中心まで進んだ時、背後から足音が響いてきた。コツコツと一定のリズムで聞こえてくる足音はだんだんと大きくなり、それに伴い緊張感も高まる。来るのは発電所の所員だろうと考え、言い訳を用意して待ち構える。しばらくして窓口のおじさんが現れた。知った顔だったため、ぼくは少し安心した。

「一緒にいた子が心配していたよ。こんなところまで入っちゃだめじゃないか。」

 おじさんが言った。どこか優しげな調子だった。ぼくは謝ろうとしたが、おじさんが話を続けたため、謝ることが出来なかった。

「おじさんが子供の時も君みたいな好奇心とか無鉄砲さとかあったなぁ。」

 おじさんはしばらくどうでもいいことを話し続けたが、特に怒っている様子はないためタイミングを見はからって気になっていることを聞いた。

「向こうの壁についているものはなんですか?」

「あの赤いダイヤルかい?あれはおじさんの仕事のうちの一つだよ」

 おじさんがダイヤルの方に進んだため、ぼくもそれにつづいた。

「この発電所は基本的に全自動なんだけど、人間がやらなくちゃいけないことがひとつだけあるんだ。この赤いダイヤルがそれだね。一日に一回、重力の都合だかで決まった時間にこのダイヤルを調整するんだ。」

「機械じゃできないことなんですか?」

「そういうわけじゃなくて、設計者だかお偉いさんだかの方針でこの作業は人間の手でやるべきって決まったらしいんだ。詳しいことはよくわからないけどね。」

 おじさんはこれさえなければ仕事がもっと楽になるのになあと言って笑った。

 ダイヤルは1から100までの数値を合わせるだけの簡単なつくりのものだった。こんな簡単そうな作業をわざわざ人間がやる必要があるのかと思ったが、他の全ての作業が機械任せなことに思い至り、よくわからなくなってしまった。

「ちょうど今、その時間なんだけど、せっかくだから見ていくかい?」

 おじさんが左手首の腕時計を見ながら言った。シンプルだけど、高そうな時計だ。見てみたいと伝えるとおじさんはポケットから小さな鍵を取り出した。ダイヤルに近づき、ダイヤルの中心の鍵穴に鍵を差し込んでひねる。軽く音がした。それから携帯端末を取り出し、画面を確認してから少しだけダイヤルをひねり、ぼくのほうに振り返った。

「昨日は52で今日は53.5。大体いつも45から55の間なんだ」

 ダイヤルの話らしい。

「少ししか動かさないんですね。」

「そうなんだよ。決まった時間に決まったほんの少しだけダイヤルをひねるなんて機械にぴったりな仕事だろうにね。」

 おじさんは不満そうな、面倒そうな顔をしていた。ぼくはおじさんに親近感を覚えた。

「ぼくの家の仕事もそんな感じなんです。ほとんどの仕事が機械任せのくせに大切な仕事は人の手でやるべきだって親が言うんです。最近はその仕事もめんどくさがってぼくに任せっきりだし…」

 それからおじさんと色々なことを話した。学校のこと、ぼくの家のこと、おじさんの学生時代こと、おじさんの奥さんのこと。話してみると意外と馬が合い、隣のダイヤルのことや上で待っているミヤのことも忘れて話し込んでしまった。


「ミヤちゃんを置いてまでして、なぜ君はこんなところに来たんだい?」

 おじさんに聞かれてぼくは螺旋階段を降りた時の気持ちを思い出した。ここには何かがあるはずだという気持ちを。実際はどうだっただろう。ぼくは気付いた。あの時の気持ちも虚しく、ここには機械を操った気持ちになっている人間とその人間に振り回される人間、この二つしか存在していなかった。魔法のような科学技術やひた隠しにされている世界の秘密などという、ぼくの生活あるいは人生を一変させ得るものは存在せず、ぼくのすぐ近くにあって日頃からぼくをうんざりさせている二つしかなかったのだ。

 おじさんは質問に対するぼくの答えがないということに対してなぜか納得していた。


 おじさんからの質問で熱が冷めてしまい、それ以降ぼくは上の空でおじさんの話を聞いていた。そんなとき、このダイヤルを規定よりも多くひねったらどうなるのだろう、ぼくはこんなことを思いついてしまった。きっとこのおじさんも、ミヤも、ほかの誰も気づくことはなく、施設全体を制御する機械だけが律儀にぼくの入力に適した反応をするのだろう。他の人間に気づかれないことをしたところで何の意味があるだろう。ぼくはおじさんの目を盗んでダイヤルを思い切りひねった。

 フッと体が軽くなった。



 20XX年10月、地方の雷発電所にて大規模な地殻変動が発生した。原因は所員の過失による発電所内の重力操作機構の暴走と言われている。被害は半径約20㎞にも及び、死傷者は現時点で数万人と言われている。この事故を受け、日本各地で雷発電の停止を求める声が上がっている。続報が待たれる。

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