第二部・第4話(第二部最終話)

 おかしなものだと、常々シーラは感じていた。

 自分が最前線を目指すのはなぜだろう。

 家から離れたいから。

 家族から離れたいから。

 それとも戦闘に参加したいのか。

 命の危険に自分の身を置きたいのか。

 死にたいのか。

 あんな家庭で生き続けたのはなぜだろう。

 嫌ならば死ねばいい。

 逃げたいなら死ねばいい。

 怖いのか?

 軍人なのに。

 人を殺すための訓練を受けてきた。

 しかし実戦を知らない。

 人を殺したことがない。

 祖父も父も、自分の近くに置くことで、人を殺すことを経験させまいとしている。

 どうしてだろう。

 私は軍人ではないのか?

 最前線に行きたい。

 家から離れたい。

 家族から離れたい。

 誰にも守られなくていい。




 後方支援部隊の一日は長かった。朝と夕方の点呼以外は、たまの戦線への物資の確認作業だけ。毎日のコーヒーですら最近は飽きてきているほど。楽しみを見つけることは不可能だった。

 なぜか常にコーヒーと食事とアルコールだけは円滑だ。経費の削減が聞いて呆れる。

 こういう部分を正そうと防衛省で奮闘していたはずが、いつの間にかここにいる。

 唯一の救いは、リリと同じ配属先であることだけ。

 強い日差しをテントで防ぎ、横に置いたマグカップのコーヒーはすでに冷め切ったまま、ポジティブな考えを思い巡らすことは不可能に思えた。

 黙ってしゃがみ込んだ足元を眺めていたところに聞こえてくるのは、いつものリリの声。

「相変わらず暗いなあ」

 その声に安心しながらも、シーラは溜息を漏らすだけ。

 リリはシーラの横に腰をおろすと、話を続ける。

「せっかくこんな楽な所に来たんだし……食べる?」

 リリが小さなアルミのパックを差し出すと、シーラはそれを見て再び溜息をついた。そこには大粒な薄緑の葡萄が一房。

 シーラが呆れたように。

「太るよ。大体、元監査部の人間がこんな税金の無駄使いを黙って見過ごしてるなんて情けなくないの?」

「果物でも太るのかな」

「そこじゃないでしょ」

 するとリリが突然小声になって応える。

「……監視されてるからね…………ここに馴染んだフリしたほうが……むしろ動きやすい」

 するとシーラも真剣に返す。

「……そうね……リリみたいにはなれないけど」

「まだ諦めてないんでしょ…………最前線…………」

 少しだけ間を開けてシーラが応える。

「……うん」

「必ず一緒に行くよ……でもさ…………」

 葡萄を一粒口に運び、その皮をパックに戻すと、リリは続ける。

「……こんなこと言ったら、怒るかな」

「なに?」

「一緒に……首都に戻るのも、選択肢の一つかなって……」

 その声の柔らかさは、決して葡萄の甘さだけではない。

 そのままリリが言葉を繋げていく。

「……一緒に…………除隊しない? 一緒に帰ろうよ」

「でも、家が…………」

 シーラは言葉を返しながらも、リリの顔を見ることが出来ずにいた。

「そうだよね。駆け落ちしてどっかの国に亡命とかも考えたんだけど…………甘すぎるよね……」

「やめてよ…………期待させるようなこと…………」

「…………うん…………ごめん…………」

 リリは、指で摘んだ一粒の葡萄を見つめ続けていた。





 索敵は二名。

 二時間おきに全員が起きて状況の確認をして交代。

 残る四人は仮眠を取る。

 そして、シーラとスコラの二人が索敵担当の時間だった。

 モニターには、少しずつ増えるドローンの影。距離もしだいに近づいていた。

 しかしあくまで膠着状態。大きく動く気配はない。予想の範囲内。

 不安がないわけではない。このままでは完全に囲まれるのも時間の問題だった。ドローンの数も更に増えるだろう。どうして突然の襲撃になったのか、そんなことを考えても分かるはずがない。今までも、きっとこれからも分からないのだろう。

 アーカムが本当に人類の想像主だったとしたら、もちろん逃げ場はない。この先、何度こんな戦闘を繰り返すことになるのか……そして、いつまで生き続けることが出来るのか……シーラがそれを不安に思わない時はない。

 アイバに過去の記憶を掘り起こされてから、シーラの中で何度も後悔が溢れそうになっていた。

 ──あの時……リリと一緒に…………

 リリの声が耳元で聞こえるような感覚。

 リリの手の感触が肌に蘇る。

 リリの短いピンク色の髪が顔に触れる心地良さ…………。

 総てが、まるで昨日のことのようだった。

 そして、今、隣にはスコラがいる。

 スコラの気持ちも分かっている。

 ──私はもしかしたら、スコラにリリの温もりを求めていたのかもしれない…………

 ──だとしたら、私は最低だ…………

「やっぱりここにも、なかったね…………」

 寂しげなスコラの声に、不安になったシーラが応える。

「何が?」

「…………うん……国…………やっぱりどこも一緒なのかな…………」

「だったら…………どこかで、私たちが作ればいいよ…………」

「いいね」

「大統領はヒーナがいいと思うんだけど」

「ヒーナかあ。面白い国になりそうだねえ」

 スコラはシーラにしか見せたことのない子供のような笑顔を浮かべる。

 そして、そのスコラが今度は静かに口を開いた。

「ねえシーラ…………個人的に人を殺したことって、ある?」

 ──………………

 唐突なスコラの予想外な質問に、シーラは少し戸惑った。しかし出来るだけ柔らかく応える。それは僅かな罪悪感だろうか…………。

「なあに? いきなり……」

「私はある…………お父さん…………」

「…………」

「酷い父親だった……毎日お母さんと二人で暴力に耐えててさ…………ラカニエで私がおかしくなった時あったでしょ? ごめんね……避難所に行った帰りに会ってさ…………憎いから殺したのに…………なんだか……耐えられなくて…………」

「でも…………」

「違うんだよ」

「違うって──」

「兵士として敵兵を殺したんじゃない…………私は殺人を犯した…………シーラにそうなってほしくない」

 ──分かってるのね…………

「リリの話…………したことあったよね…………終戦前…………あれもやっぱりカイズだった…………」

「そんなに……大事な人だったの?」

 シーラはスコラの言葉にすぐには応えなかったが、誤魔化してはいけないことも分かっていた。

 そして、ゆっくりと応える。

「あの頃は、私もリリも実戦を知らずに最前線を目指してた…………人の命を奪うことがどういうことなのかも分からずに…………そのままリリは殺された…………私は殺す残酷さを知ってるけど、殺される怖さは知らない…………リリは知ってる…………でも、自分の手を血で染めずに天国に行けた…………このままじゃ……私はリリに会うことは出来ない…………」

 シーラの首に、スコラの両腕が絡み付いた。

 ──……リリ…………

 そのまま口を開くスコラ。

「……会わなくていい…………私のそばにいて…………」

 そして、二人はそのまま、言葉を交わすことはなかった。





 深い眠りに入れないままの交代。

 軍人になってから、ナツメはゆっくり眠ったことがないような気がしていた。しかもそれを今まであまり考えたことがない。それなのに、なぜか今夜はやけに色々なことを思い出す。

 眠るのは夜とは限らない生活。もちろん長時間眠ったこともしばらくない。それが当たり前。睡眠は常に仮眠とイコールだった。

 最前線を望んだのは、ティマがそれを望んだからだ。

 唯一心を通わせられる親友。

 孤児院ではいつも一人だった。

 入隊する前の学生の頃も、やはり一人だった。教室で会話をする程度の友達はいた。しかし、他人と関わるのが苦手なまま。

 卒業して入隊をし、学生時代の誰かと連絡をとったことは一度もない。

 そんなナツメを変えてくれたのがティマだった。

 赤の他人に心を開くことを気付かせてくれた。

 どうしてだろう。何度もそう思ってきた。

 ティマも決して他人と接することが得意ではないはず。むしろ、他人を寄せ付けようとしない。

 しかしナツメは、初めて会った時から、なぜかティマに惹かれていた。

 ティマへの憧れだろうか。そう考えたこともあった。

 ティマは自分から他人に関わろうとしなかった。

 しかし、それで生きていけるはずもない。少なくともナツメはそう思っていた。

 そして、その役目はいつもナツメだった。

 ──私がティマの代わりに…………

 ──どうして?

 ──頼まれたわけでもないのに…………

 ──もしかして、お節介…………?

 ──私は、ティマにとって何?

「あいつとは付き合わないほうがいい」

 ナツメがそう言われたのは訓練所でのことだった。

「どうしてよ」

 眉間に皺を寄せて詰め寄るナツメに、同期の訓練生だった若い男が一瞬たじろぐ。

「いや……教官から聞いたんだが……あいつは犯罪者だ。公式に発表されてるわけじゃないけど、犯罪者が訓練所に送られてるのは知ってるだろ」

「うん……それは知ってるけど…………」

「あいつは〝殺人〟らしい」

 ──まさか…………

 もちろん最初は信じられなかった。

「しかも死刑は確定って言われてた奴らしいぜ」

「らしいって、噂話なんか──」

 しかし、それは噂話だけとは思えなかった。

 格闘技の訓練で、それは顕著になる。

 一度の訓練で、ティマは生徒の二人を病院送りにした。

 訓練はもちろん一対一で行われる。一人が殺されかけ、止めに入ったもう一人が殺されかける。その間、約三分。二人の生徒は結局帰って来ることはなかった。本来であればティマはお咎めがあって当然だが、ティマが訓練所を追い出されることはなく、格闘訓練では誰もが逃げ出すことになる。女子生徒は泣き出し、男子生徒は平伏した。

 事件以来、まともに相手をしたのはナツメくらいなものだ。

 ナツメはスポーツには自信があったが、もちろん格闘は訓練でしか経験がない。しかも訓練では形だけ。本来であれば本気で相手に怪我をさせるようなことはしない。

 ティマの右の拳がナツメの面前をすり抜け、そのままナツメはティマの右側に体を落とす。

 そのままナツメが蹴り上げた右足をティマが掴むと、ナツメは体を回転させて左足でティマの背中を……………………

 そして一時間後、二人は訓練所中庭のベンチに座っていた。

 微妙に距離が空いたまま。

 顔にいくつも貼られた絆創膏だけではなく、体のあちこちが痛むためにお互い姿勢もおかしい。

 溜息をついたティマが最初に口を開いた。

「今夜、寝る時キツそうだね」

 ナツメも小さく溜息をついてから応える。

「そうだね。明日はもっとキツそうだけど…………顔はないでしょ顔は」

「寝技もないだろ」

「女同士なんだから顔は遠慮しなさいよ」

「軍人に男も女もないよ」

「それもそうだ」

「珍しい奴だなナツメは」

 そのティマの顔は柔らかかった。

 そして装甲車の中──隣に顔を振ると、モニターに目を配るティマの横顔。

「ねえティマ」

 いつの間にか、ナツメはティマに話しかけていた。

「どうした?」

 モニターを見たまま返すティマ。

「ねえねえ」

「なんだよ」

 やっとティマはナツメに顔を向ける。

 そして、笑顔になったナツメが応える。

「ごめん……なんでもない」

「変な奴だなナツメは」

 しかしティマの表情は柔らかい。

 モニターに目を戻したそのティマの横顔を、しばらくナツメは眺め続けていた。





 ヒーナは活発。

 チグは内向的。

 学校ではそう思われてきた。

 幼馴染として、いつも一緒にいた。それに抵抗はなかった。一緒にいることが当たり前だった。

 喧嘩をしたことは、もちろんある。

 多くは些細なことだ。大抵は次の日には終わる。

 国軍への入編成が決まった時の喧嘩も、すぐに終わると思っていた。

 その公示書が部隊の本部ビルや待機所の掲示板に張り出された夜、当然それは二人だけの話題ではなかったことだろう。

 戦況は確かに悪化していた。そんな状態でもはや一年程の時が流れ、国内情勢は困窮。都市部とはいえ、暗いニュースが日々増えていく。給与も少しずつ減っていく中、それでも一般の市民に比べれば安定した収入を得られていた民間部隊。とはいえ、その大元は地方行政に依存したものだ。だからこその安定でもある。

 それでも、まさか国内に限定されていた民間部隊が国軍に再編成されるなど考えもしない。

 嫌なら除隊するしかなかったが、多くの兵士が家族と暮らし、家族を養っていた。

 ヒーナとチグは、故郷の郊外にあるアパートの部屋を借り、二人で暮らしていた。部隊にも寮はあったが、最高で六人一部屋であることを最初に嫌ったのはチグだった。

 二人だけで生きたかった。ヒーナにしか自分の気持ちは分からない。二人だけで感情を共有したかった。

 もちろんそれはヒーナも同じだ。共に生き、そして、共に両親を失った。二人だけで、闇に生きるようにしてここまで辿り着いた。

 生活のため。

 食べるため。

 生きるため。

 そのために軍人になることを選んだが、国軍か民間部隊か──両親を探すために民間部隊を選択したのはチグ。ヒーナにも異論はなかった。

 そしてそのチグが、国軍への編成を受け入れる。

「どうして⁉︎」

 夜──いつもの二人だけの食卓──いつもの二人だけの部屋で、ヒーナは手にしていたスプーンを落としかけながら声を上げた。スプーンが陶器のスープ皿の角で甲高い音を立てる。

 ヒーナから視線を外し、僅かにテーブルに溢れたスープの雫に目をやるチグにヒーナが詰め寄った。

「どうしてよ……お互いの両親を探したいからって……お父さんとお母さんを探すんでしょ⁉︎」

「まだ…………生きてると思う?」

 目を伏せたままのそのチグの言葉に、ヒーナは一瞬言葉を失った。

 休みの度に、二人で両親を探し続けていた。空爆から生じた避難所を巡り、その範囲は周辺の街まで及ぶ。そして見つからないまま、気持ちのどこかに諦めが生まれていたことはヒーナも同じだった。

 だが、それを口にすることが怖かった。認めたくなかった。まだ足を運んでいない避難所はある。空爆の被害は首都の隣の二人の故郷でもあったほどに全国に飛び火している。

「あと、何カ所?」

 まるで呟くようにチグが言葉を繋げる。

「生活だって苦しくなってる…………もう誰かに騙されたって渡せるお金もない…………このままじゃ、戦争は負ける…………占領政策に動くのは……コレギマかな…………」

「…………諦めるの……?」

 ヒーナは体が震え始めたのを感じた。

 いつも一人だけでは何も出来ない。

 二人だからやってこれた。

 そして、友達を作るのが苦手なチグの手を引いてきた。

 ──私がチグを助けてきた…………

 そんなヒーナに対する、裏切り…………

 ヒーナはゆっくりと、何かを推し止まらせながら言葉を絞り出す。

「今、国軍に編成なんかされたら……間違いなく最前線だよ……私たちは捨て駒…………生きてなんか帰れない…………」

「……そうかな…………最近聞こえてきてる噂話知ってるでしょ? 首都に……〝神様〟って呼ばれてる人がいるんだって…………その人が国軍に入ったって…………」

「やめてよ! こんな時にそんなバカみたいなオカルトなんか!」

「銃弾も跳ね返すんだって」

「そんな人間────」

「だから神様なんだよ!」

 顔を上げたチグの目が、ヒーナには他人の物のように見えた。

 その目が大粒の涙を流しながら。

 そしてチグが続ける。

「勝てるかもしれない……神様がいれば────見てみたいの…………勝てたら、お父さんとお母さんも見つかるかもしれない…………神様を見てみたい…………」

 次の日から三日間、二人が言葉を交わすことはなかった。

 四日目の夕方、ヒーナは定時で待機所を出た。

 前を歩いていくチグの背中が視界に入る。

 何かを求めて不安が折り重なっていったとき、人は何かにすがりたくなる…………それはヒーナにも分かっていた。

 ──でも、違う──それじゃダメだよチグ…………

 離れたくなかっただけなのかもしれない。

 唯一の友達。

 ただ一人の親友。

 たった一人の家族。

 ──私がチグを引っ張るんじゃない…………

 ──国軍に振り回されても関係ない…………

 ──一緒に、間違わずに生きていこう…………一緒に…………

「おうオカルトマニア」

 ヒーナのその声に、索敵モニターに集中していたチグが口を尖らせてゆっくりと横に振り向く。

「その呼び方やめて」

「なんか昔のことを色々と思い出してさ」

 ニヤニヤとするそのヒーナの笑顔が、チグは決して嫌いなわけではない。

「一番嫌な呼び方なんですけど」

 チグは再びモニターに顔を戻して続ける。

「だいぶアーカムが近付いてきた……」

「明日だね…………」

「うん……そうだね…………」

 僅かに落としたチグの声色に、ヒーナも声を落として応える。

「怖い?」

「少し」

「でも……私は後悔してないよ…………チグとここまで来たこと…………」

 そして、チグはそのヒーナの優しい表情が好きだった。





 朝の六時────。

 駐車場の入り口から入り込む朝日が次第に強くなってきた。

 いつの間にかそんな季節であることを感じさせる。

 全員が起きたところで、シーラが確認をする。

「現在の距離は?」

 チグがすぐに応える。

「一〇キロです。だいぶ近づきました。動きはほぼ止まっています」

 起きたばかりとは思えないような、緊張感のある声だ。装甲車内の空気が張り詰めている。

 そのままチグが続けた。

「数は一万を超えました──まだ増え続けています」

「あの時みたいね……」

「囲んだ状態で動きがない…………狙いは間違いなくここ……一斉攻撃でしょうか?」

 シーラは冷静に、しかし考えながら。

「動きから考えられることは……そうね……おそらく……」

 駐車場内の空気が揺れ始めた。

 ざわつき始める。

「動き始めたな」

 ヒーナが呟いた。

 駐車場に足音が広がる。

 続くドアを開ける音──エンジンのかかる音──機銃に弾薬を繋げる音──。

「これじゃあ、いつになったら出撃出来るんだ」

 ヒーナの呟きが続く。

 すると、ティマが応えるように口を開いた。

「分かってたのかもしれないな……」

「どういうこと?」

 それはチグだった。

「あのアイバ…………確かに神がかってるのかもしれない…………カイズっておっさんが欲しがったのも分かるよ」

 ティマがそう応えた直後、全員の耳にシーラの小さな声。

「────リリ…………」

 反応が一番早かったのはスコラだ。

「シーラ⁉︎」

 そうスコラが声を張り上げた直後、シーラが立ち上がる。そして装甲車の外へ──。

「シーラ‼︎」

 叫ぶスコラに、シーラが顔を向ける。

 見つめ合ったまま、やがて口を開く。

「……行かせて…………」

 ──……………………

「もう……これで終わりにするから…………」

 直後、何かを言いかけたスコラの肩を押さえたのはティマだった。

 そして、ティマは口を開かない。

 シーラが奥の階段まで歩いていく。

 その姿を見ながら、スコラは崩れ落ちた。

 すると、ティマ。

「自分でケリをつけなきゃいけないこともある」

「何が分かるのよ‼︎」

 スコラの声が響く。

「冷たい顔で人を殺せるアンタに何が分かるの‼︎」

 ナツメの呟く声。

「……スコラ……それは……」

 その声を手で制したティマがゆっくりと。

「何人殺したか覚えてないよ……軍人になる前…………そうやって生きてきた…………スコラは間違ってない」

「……ごめん……ごめんティマ…………ごめん……………………」

 スコラの小さな声が続いた。





 威嚇の意味も込めていた。

 カイズを前に、わざと拳銃をブローバックさせて弾丸を銃口に込める。

 そしてシーラはその銃口を目の前のカイズに向けた。

 カイズは相変わらず動じることのない鋭い目でシーラを見据える。

「昨日撃てなかったのに、今日は撃てるのか?」

 カイズの横にはいつものサイドテーブル。

 その上に拳銃があることにはシーラも気が付いていた。

 カイズは死ぬ気だった。

 大量のドローンの報告を受け、自分が生き残れないことを悟っていた。過去への後悔も、悔しさもある。自分がなぜここにいるのかも分からないまま、自分の最後だけを感じる。

 ──ただの諦めか…………

 そして、シーラが応える。

「昨日撃たなかったから、今日撃ちにきたの────それと、まだ質問があるから」

 カイズが軽く溜息をついて応える。

「しつこい女だ。これ以上、何を聞きたい?」

 ──何を聞きたいんだろう…………

 ──聞いてどうするんだろう…………

 ──引き金を引けば、終わるのに…………

「あなたは軍人? それとも殺人者?」

 ──茶番だ…………

 瞬間的にシーラはそう思った。

 すぐにはカイズは応えない。

 目線をシーラから床に落とし、少し考えていた。

「さあ…………どうだったかな…………」

 カイズも模索を繰り返す。

 やがて、ゆっくりと応える。

「……軍人だったよ…………だが、クーデターをやるには…………人殺しになるしかなかった…………お前はどうなんだ……」

 カイズが顔を上げる。

 ──…………そうよね…………

 無意識か。

 指に力が入る。

 シーラの目の前で拳銃がブローバックする。

 同時に弾き出される薬莢。

 僅かな煙。

 煙と共に薬莢が床に落ちるよりも前に次のブローバック。

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 そして、

 拳銃から撃ち出された鉛の塊は、カイズの背後に消える。

 背後、下の観客席へ。

 シーラとカイズの間に、白い煙が漂う。

 カイズの額から落ちた汗が、左目の横を滑り落ちていくのを、シーラは見逃さなかった。 

 拳銃を下ろし、シーラはゆっくりと口を開く。

「……私は、軍人…………人殺しじゃない」

 そして背中を向けた。

 その背中にカイズの言葉。

「……生き残れと言うのは……残酷な感情かもな…………死を覚悟した兵士に…………」

 ドアのノブを回す自分の感情が分からない。

 シーラは何かを見失っていた。

 しかし、何かが、はっきりと────。

 部屋を出ると、目の前にはすぐに階段。

 足を一歩その階段に降ろした時、その先にある下のドアが開いた。

 アイバが一人、入ってきたドアを後ろ手に閉める。

 上を見上げ、シーラの姿を見ても驚いた様子はない。

 しばらく、お互いに動かなかった。

 階段だけの通路内は薄暗い。構造上、僅かな隙間から光は入り込むが、それは小さなスポットライト程度。必要な所を照らすには足りない。

 しかし、それでも、お互いの表情は見えた。

 自分がどんな表情か、自分の感情さえ留まらないシーラに分かるはずもない。

 アイバはいつもと変わらないように見えた。

 いつもの──冷たい顔…………どこかで……………………。

 アイバが階段を上り始める。

 シーラと目を合わせたまま、狭い空間に靴音を響かせた。

 シーラも足を進める。

 そして、二人の足音が交差した。

 お互い、僅かに横目で視線を外すと、アイバは上のドアから中へ──シーラは下のドアのノブに手をかける。

 ノブを回した直後、乾いた銃声がシーラの耳に。

 何度も……。

 何度も…………。

 しかしそのままノブを回し、ドアを開いていた。

 分からなかった。

 自分という人間が。

 何をしたいのか。

 何をするべきなのか。

 何をしているのか────。

 正しいと思えたことなど、もしかしたら、一度もなかったのかもしれない。





 駐車場の中心で、おそらくほとんどの兵士と思われたが、一台のラップトップを取り囲んでいた。

 シーラはその横を通り過ぎる。途中その姿を目で追ったのはランスだけ。そのランスの不安そうな目を見ながらも、シーラは装甲車へと歩みを止めない。

 装甲車に入るなり、全員の視線が注がれた。

 スコラの少し腫れた瞼に気が付いたが、軽く笑顔で応えてから口を開いた。

「この中に、望んで軍人になった人はいる?」

 突然の質問に誰もが応えられずにいると、シーラは構わず続けた。

「いないわよね。それぞれ理由は違うと思うけど、少なくとも最前線にいた兵士の中に、好き好んで戦場で死の恐怖を味わいたい人なんかいないはず」

 すると不思議と、なぜかシーラの話を聞いていた全員の表情が穏やかになっていた。

「でも…………選んだでしょ? 自分で軍人になることを選択したはず…………私も自分で最前線を希望した。だから、あなたたちと一緒にここにいる。今日を最後の作戦にするつもりもなければ、誰かを死なせるつもりもない。最後まで一緒に────」

 シーラはチグに顔を向ける。

「動きは?」

「ありません。膠着してます」

 即答するチグ。

 しかしその直後、駐車場の奥からの大声。

「大佐が‼︎」

 兵士たちがざわつき始めた。

「大佐が殺された‼︎」

 驚愕の声を上げる兵士たちを黙らせたのはアイバの声。

「私だ。私が殺した」

 階段に靴音を響かせ、悠々と駐車場内に降りてきたアイバが続けた。

「これからの作戦に於いて戦力にならない兵士は邪魔なだけだ。だから殺した」

 兵士たちが何も返せないまま、アイバはその中心、ラップトップへと歩み寄る。モニターを覗き込みながら口を開いた。

「動きはないのか?」

 モニター前の兵士が震える声で返す。

「は、はい……何も…………」

「ふざけるな‼︎」

 一人の兵士が声を荒げる。

「何がアイバ様だ! 反逆行為だぞ‼︎」

 アイバはその兵士を黙って見続けた。

 周囲から声が上がる。

「そうだ‼︎ 大佐がいなければ──」

「同じことだ! 結局はアイバ様が──」

「俺たちは軍人なんだぞ!」

「あんな力があったって──」

「アイバ様がいなければ──!」

 しだいに大きく増える声を聞きながら、ナツメが呟く。

「……まずいね…………」

 ヒーナも思わず口を開いていた。

「これだから宗教は…………」

 シーラがそれを制する。

「周りが見えていないのよ……〝狂信〟とはよく言ったものね」

 直後、一発の銃声で空気が一変した。

「バカ──!」

 ヒーナの声の直後に続く銃声──。

 シーラが叫んでいた。

「ドア閉めて! 全員配置に! 出してヒーナ‼︎」

 エンジンがかかる。

 全員が機銃座に。

 ティマは屋根の上でスコラがシートに体を固定するまで自動小銃を構える。

 装甲車が動き出した。

 兵士の一人が銃口を向ける。

 車体で弾ける甲高い音。

 スコラの重機関銃の音が数発──驚いたシーラにスコラの声。

「──威嚇」

 装甲車が駐車場を飛び出した。

 同時にヒーナが叫ぶ。

「ダメだシーラ! あいつら自滅する!」

 シーラに悩んでいる時間はなかった。

「分かった──全力で戦域を離脱する! チグ────!」

 シーラの言葉にチグが叫ぶ。

「無理です‼︎ アーカムが動きました‼︎ 一気に来ます‼︎」

「各員迎撃用意‼︎ チグは隠れられる場所を──!」

 競技場の周りにはいくつもの大きなビルが立ち並ぶ。盾になる物は多くあったが、それが無意味であることを全員が知っていた。正面から立ち向かえないことも────。

「囲まれてるのにどうやって逃げるの──!」

 ヒーナの叫び声を聞きながら、チグはモニターに集中した。

 刻一刻と変化するモニターの地形データ。

 スコラとティマは走り続ける装甲車の上で周囲に目を配り続けていた。

 周りに見えるのは荒廃したビル群。

 周囲は静かなまま。レーダーがなければ無数のドローンが近づいていることなど気付きもしないだろう。

 スコラがマイクのスイッチを切って横のティマに言葉を投げる。

「ティマ──どう思う?」

「今更不安になるなんて──」

「違うよ──さっきの人たちのこと」

「軍隊として統制が取れていない──組織としてまとまっていないんだ。宗教が聞いて呆れる」

「勝てないのかな……アイバでも…………」

「〝神様〟との戦いに勝ち負けなんかないよ…………あるのは、生き残れるかどうかだけ」

「うん。そうだね」

 スコラはマイクのスイッチを入れ、続ける。

「生き残ろう」

 その声は、全員に届いていた。

 そして、次の瞬間、装甲車内が緑に照らされる────。

 左の機銃座に座ったままのシーラが、車内に目をやりながら言葉を漏らす。

「……チグ…………⁉︎」

「分かってます! でも…………違う! アーカムはこっちに向かってます‼︎」

 モニターを見つめたままのチグが、そう叫びながら体を震わせていた。震え始めた声で続ける。

「競技場じゃない! 私たちを中心に動いて──もうすぐ競技場にぶつかります‼︎」

 ──どうする?

 全員が思っていた。

 内部崩壊を起こした部隊。

 助けられる保証はない。

 しかしアイバは…………?

 シーラは緑の光を見ながら考えていた。

 ──アイバなら…………

 そのシーラの冷静な声──。

「ヒーナ──競技場に戻る」

「それしかないな!」

 装甲車が大きく車体を反転──そして再びヒーナがアクセルを踏み込む。

 そのヒーナが叫ぶ。

「舌噛むなよ!」

「先に言ってよ!」

 ナツメも叫んでいた。

 そしてティマが足元の屋根の隙間から下を見て呟く。

 緑の光…………。

「──やっぱりか…………」






 未だ銃声は止んでいなかった。

 装甲車や軍用車両を盾に、二分した兵士たちが撃ち合う。

 その中心には、緑の光に包まれたアイバ──。

 光に銃弾を跳ね返されても、それでも数名の兵士はアイバに向けて撃ち続ける。

 すでにかなりの兵士が銃弾に倒れていた。

 アーカムが近づいていることには、もちろん誰も気が付いていない。

 そして、重く激しい重機関銃の音に、一瞬だけ戦闘が止まる。

 駐車場の入り口、装甲車の上には重機関銃のスコラと、その横でライフルを構えるティマ。

 装甲車の横から上半身を出したシーラが叫んだ。

「ドローンが来てる! 内輪揉めをしてる場合じゃないぞ!」

「どうして戻った」

 緑の光に包まれたままのアイバ。

 シーラが応える。

「一緒に来なさい──私利私欲でもなんでもいい……生き残りなさい!」

 直後、重機関銃の台座が大きく回る──後方──外へ──。

 そして銃口が光った──。

 その前方で弾き飛ばされるドローン──。

 その先に続けて現れた大量のドローンを視界に捉えると、シーラが叫ぶ。

「スコラ! ヒーナ!」

 指示はそれだけで充分だった。

 ヒーナがアクセルを踏み込んで駐車場へ車体を前進──同時にスコラが入り口天井を重機関銃で砕く──すぐに出入り口がコンクリートの瓦礫で埋まる。

 再び重機関銃が回る。

 自分たちの方へ向けられた銃口に兵士たちは一瞬怯んだが、直後に重機関銃が砕いたのはその先の壁──目の前に現れたのは、いつもの待機場。

 元々広い通路状の空間──装甲車でも通って行けることは六人全員が気付いていた。

 装甲車が再び動き出す。

 速度を上げ始める中、シーラが身を乗り出して手を伸ばした。

「アイバ!」

 緑の球体に包まれたアイバ。

 その中でアイバは反射的に手を伸ばす。

 光の中に入り込んだシーラの手を掴むと、体が浮いた。

 瞬時にアイバを包む光が消える、

 そのまま車内へ。

 装甲車は通路を突き進む。

「チグ!」

 そのヒーナの声にチグも叫んで返す。

「任せて!」

 車内の床に倒れ込んでいたアイバの目の前に、床に転がったままの〝アーカムの端末〟。

 そしてそれは緑に光っていた。

 アイバのものと同じ、緑の光。

 それを見つめるアイバ。

 説明は聞いていたが、実際に目にするのは初めてだった。

 シーラが口を開く。

「私たちがあなたを見捨てられない気持ちも理解して」

 チグの言葉が飛ぶ。

「外は囲まれた! 逃げ道はないよ‼︎」

 競技場の地下を円形の建物に沿って走る装甲車。

 やがて、通路は一階の競技場スペースへ。

 その入り口で装甲車は停まる。

「スロープか…………」

 ヒーナが呟くように言って続ける。

「チグ──抜け道はないの?」

「無理だよ……横の壁を壊せば外には出られるけどアーカムが……」

「だよね」

 目の前には広い競技場──周りを囲むすり鉢状の客席──上にはドーム状の屋根があるが、半分以上は崩壊して青い空が見えた。そこに蠢くいくつものアーカム。下には崩落した屋根が瓦礫となって並ぶ。

 完全に逃げ道が塞がれていた。

 当然、全員の空気が張り詰める中、アイバだけがその場に似つかわしくない声で口を開いた。

「初めてだった…………初めて銃で人を殺した…………簡単には殺せないものだな…………弾倉が空になった…………」

 緑の光で何度も自分の身を守り、何人もの人間を殺し……それでも見た目はまだ幼い子供。

 シーラは改めてその現実を感じていた。

 緑に光る端末で身を守れるかは誰にも分からない。

 アイバの力でアーカムのドローンを撃退出来る保証もない。

 どこにも明確なものなどない。

 崩落したドームの屋根から、強い日差しが斜めに入り込む。

 そして、アーカムは攻撃をしてくる様子はない。

「どうして攻撃してこないの?」

 スコラの声だった。

 慌てたら攻め込まれる。

 全員がそう感じていた。

 しだいにアーカムが日差しを遮っていく。

「私だ」

 アイバの声だった。

「あいつらは、私と話がしたいんだろう」

 アイバはそれだけ言うと、ゆっくりと装甲車を降りた。

 シーラが慌てて声をかける。

「待ってアイバ──」

 アイバが振り返る。いつの間にか、その体は淡い緑の光で満たされている。

 そのアイバが口を開いた。

「大丈夫だ。お前たちには感謝している」

 アイバが競技場の中心へ向かって歩いていく。

 そして、遠くからの銃声。

 反対側からの兵士たちの銃声だった。

 当然のように弾を跳ね返すアイバは悠々と歩き続けるだけ。

 そして、兵士たちの間で戦闘が激化していった。

「あいつら──」

 ヒーナの押し出すような声が、その凄惨な光景を表しているようだ。

「シーラ! あいつらを──」

 ヒーナが叫んだ直後、背後からの轟音────。

 競技場横の壁が崩れ、それに釣られるように屋根部分も崩壊を始める。

 そこにいるのはアーカム──。

 スコラの重機関銃の爆音と同時に装甲車が走り出す。

 崩壊した天井を避けるように、瓦礫を避けて壁沿いに走行するが、周囲の壁の至る所が突破された。兵士たちの抵抗も虚しく、アーカムの前には自動小銃は無力。

 弾幕という無駄な抵抗が続く。

 至る所で上がる悲鳴と怒号。

 そして競技場の中を逃げ惑う装甲車の近く、低い音と共に何かが落ちた──やがてその何かが近くの瓦礫を粉砕するのを見たティマが叫ぶ。

「レーザーか⁉︎ 上からだ‼︎」

 追い詰められた上に、六人にとっては新しい攻撃。

 当然対応も取れない。

 次の瞬間だった────。

 装甲車の後ろに大きな衝撃────。

 後部を大きく潰された衝撃で、屋根の上のスコラとティマが振り落とされる。

 その屋根に、中で挟まれそうになるチグの手を引いたのはナツメだった。

 素早く運転席から降りたヒーナが後部に駆け寄り、そこに全員の姿を見てため息をついた直後、シーラの声が響く。

「武器を持って‼︎」

 慌てたように潰れた装甲車から自動小銃を掻き出すチグ。

 ティマだけは未だにライフルを離してはいない。

「身を守れる場所を探して‼︎」

 アーカムと人間が入り乱れていた。

 銃声と共に近くで銃弾が飛び交う。

 当然、身を隠せる場所など限られている。

 もはや六人以外は敵だった。

 判断している余裕はない。

 それは生き残っていた兵士たちにとっても同じだったに違いない。

 素早く、強力な攻撃を繰り返すアーカムのドローンに、正気を保てるはずはなかった。

 六人の視線の先、競技場の中心に、アイバが立っている。

 積み重なった瓦礫の上──緑の球体に包まれたまま。

 その光に、まるで吸い込まれるように消えていくアーカム。

 上からの陽の光に、その光景は神々しさを感じさせるほど。

 その光景に、一瞬シーラは心を奪われた。

 

 ──アイバ……あなたは…………

 

 体の中心に、何かが響いた。

 そして、自分の意思とは別の感覚で、何かが落ちていく。

 目の前の瓦礫に倒れ込む。

 いつの間にか、静寂に包まれていた。


 ──静か…………

 ──でも、動けない…………


 微かに、自分の名前を呼ぶ声がする。


 ──スコラ…………

 ──……リリなの…………?


「シーラ‼︎」

 スコラの叫び声に紛れるようにシーラに駆け寄ったのはランスだった。

 直後に目の前に迫ったアーカムに自動小銃の引き金を引き続ける。

 シーラは動かない。

 スコラが歩み寄る。

 急ぎたいのに、なぜか足が重い。

 もはや周りは見えていない。

 手にしていた自動小銃も手から離れ、目の前を銃弾がかすめても、スコラにはシーラしか見えていなかった。

 ──まずい…………

 そう思ったティマでも、簡単には近付けない。

 誰もが同じ気持ちだった。

 スコラはシーラを仰向けにする。

 血塗れの胸には数カ所から血が溢れていた。


 ──まだ……鼓動がある…………


 スコラはいつの間にか、シーラの首筋に自分の顔を擦り付けていた。

 鼓動を感じた。

 体温を感じた。

 そして、それが少しずつ弱くなっていく。

 スコラが自分の背中にシーラの腕の感触を感じた直後、耳元で、シーラの声がした。


「…………また…………助けられた……………………」


 頭上に巨大なアーカムのドローン──。

 スコラの背中に小さな光の線────。

 ティマが走っていた。

 ライフルを投げ捨てる。

 周りは見えていなかった。

 自分の体が緑の淡い光に包まれていることにも気付かずに…………。

 左腕でスコラを抱えた。

 そのまま走り続ける。

 ──シーラ…………

 スコラの中で、シーラが遠のいていく。

 ──……シーラ…………

 ティマは力の限り走った。

 自分に銃口を向ける兵士を拳銃で撃ち抜くと、大きな柱の影に────。


 ──…………シーラ……………………


 直後、巨大な光の柱が落ちる。

 今までで一番大きなレーザー攻撃──。

 まるで鼓膜が破かれるような爆風が辺りを包んだ。

 音が止んでも、スコラはティマの腕に抱えられたまま、一点だけを見つめている。

 しかし、そこには何もない。

 さっきまであった瓦礫の山も、自動小銃を持っていたランスも…………シーラも…………。


「……シーラ……シーラ…………」

 小さく言葉を絞り出すスコラの声が、ティマの耳に絡みついた。

 しかし、異常な空気の振動を感じて、ティマは振り返った。

 今まで見たこともないサイズのドローンがそこにいた。

 ドームの屋根を壊しながら、ゆっくりと降りてくる。

 しかし、それは途端に緑の光に包まれ、粉々に砕け散った。

 辺りに降り注がれる残骸が晴れたとき、そこに立っていたのはアイバ。

 そして、その場の全員が感じる影──。

 空を、ドローンが埋め尽くしていた。

「アイバ‼︎」

 チグの叫び声。

 そして、チグがアイバに投げた物は、あの端末──。

 受け取るアイバ──直後、アイバを包む光の球体が大きくなっていく。

 あっという間にその光は競技場を包み込み、更に大きく────。

 辺りを凄まじいほどの轟音が包み込んでいた。

 無数のドローンが砕け散る音────。

 その音はしばらく続く。

 終わらないかのようにも思えた。

 永遠に続くかのように思われたその音は、ゆっくりと消えていく。

 やがて訪れる静寂。

 状況を正しく理解できている者などいない。

 自分自身の生死ですら確証を持てている者などいないだろう。

 あまりにも、静かだった。

 どこからも銃声は聞こえない。

 ティマの耳に、スコラの声が再び聞こえ始める。

「…………シーラ…………」

 無意識の内に、ティマは全身でスコラを抱きしめていた。

 何も言葉など返せない。

 信じたくはなかった。

 スコラを助けるだけで、それ以上自分にはどうすることも出来なかった。

 何度も、頭の中で自分に言い聞かせる。

 しかし、心の中では、初めての感情が湧き上がっていた。

 そして、やっと離れた所から声が聞こえる。

 泣き声。

 チグの泣き声。

 その声は言葉にならない。

 心の叫び声。

 その体を抱え、自分を抑えるヒーナ。

 その側で膝を落とし、項垂れるだけのナツメ。

 やっと、ティマは立ち上がる。

 スコラを抱きしめながら。

 泣かせてやりたかった。

 スコラは涙を流すことも出来ていない。

 絶対に起きてはいけないことが起きた。

 それだけはティマにも理解出来た。


 ──泣きたい気持ちとは…………こういうことか…………


 ティマが手を離すと、そのままスコラはフラフラと歩き始める。

 柱の影から体を出すと、正面にはアイバの姿。

 しかし、その体はすでに緑の光に包まれてはいない。ただ、手にしたアーカムの端末だけが光っている。

 その端末に視線を落としていたアイバは、ティマの足音に顔を上げた。

 アイバの目を見ながら、ティマの足が動く。

 スコラが床に膝をついた。両手をつき、床に視線を落としたまま。

 そこはシーラがいた場所。

 シーラが最後にいた場所。

 しかしその姿は、もうどこにもない。

 きっとその耳には、チグの泣き声も届いていないだろう。

 この空気をどう表現すればいいのか誰にも分からないまま、最初に口を開いたのはアイバだった。

「お前は、同じか?」

 その目は、ずっとティマに向けられたまま。

「理由は聞くな。私にも分からない」

 するとアイバは、ティマに向けて手の中のアーカムの端末を放り投げる。

 片手で受け取るティマ。その手に視線を落とすと、それはまだ淡く光ったまま。

 小さく声がする。

 自分を呼ぶ声。

「……ティマ…………」

 ナツメの声だった。

 横で四つん這いになったままのスコラを横目で見ながらティマの側へ。

「……教えて…………」

 その目は真剣なまま、ナツメの声が続く。

「……あなたは、何者なの…………?」





 だいぶ陽が傾いていた。

 空の一部がオレンジ色に染まり始め、それは少しずつ陽の光を暖かくしていく。

 もう、どこにもアーカムのドローンはいなかった。

 そして、六人以外の兵士たちも生きてはいない。

 夜の訪れを感じて、地下の駐車場への入り口を見つけた。もちろん正規の入口ではない。瓦礫を避けた先に開いた空間──それがあの駐車場だった。雨が降りそうな空ではなかったが、残された装甲車や戦車の中には食料が残っている。

 誰も満足に口を開いてはいなかった。

 一番声を上げていたのはヒーナだったが、無駄に口は開かない。

 しかし、動くしかなかった。

 生き残ることを誓った。

 生きていることを感じながら、瓦礫の一つ一つを持ち上げた。

 何かが何度も込み上げてくる。

 ──生きなきゃ…………

 チグのために…………

 みんなのために…………

 駐車場の瓦礫を避け、中心で火を起こした。

 自然と全員がそれを取り囲む。

 スコラが重機関銃で埋めたはずの外からの出入り口は、戦闘の最中に崩れてしまったらしい。隙間から月明かりが差し込んでいる。

「説明してよティマ…………あなたは…………」

 ナツメの何度目かのその質問に、ティマは同じことを繰り返していた。

「分からないよ……私にも…………」

 不安だった。

 自分でも分からない。知らなかった。

 しかし、ナツメは緑の光を見たという……ティマの体が緑に淡く光るのを…………。

「それは間違いないの?」

 ナツメに言葉を投げかけたのはヒーナだった。

 ナツメがヒーナに振り返って応える。

「間違いない。何度も見慣れたあの緑だった」

 ナツメが嘘をつく理由はない。しかも、見間違えるはずもない。ナツメの目の良さと動体視力の鋭さはみんなが知っている。だから片腕でも後部の重口径ライフルを任せていた。

「でも……私も分からないな…………」

 そう言ったヒーナがさらに続ける。

「どうしてティマが…………」

 ティマを見ると、手にしたアーカムの端末に視線を落としたまま。

 すでにそこに光はない。

 ティマも不安に囚われていた。自分の手が自分のものではないような、おかしな感覚が込み上げてきた。あの時、アーカムのドローンから引き剥がした、その一部。それが何なのか、未だに分からないまま、これまで何度か助けられてきた。

 ラカニエの本部基地に同じ物があったことを思い出す。

 ──何であそこに…………

 ──量子コンピュータ…………

「チグ──」

 ティマは手の中の端末を見続けたまま、続けた。

「ラカニエの基地に、どうしてこれと同じ物があったの?」

 チグは応えない。

 ティマが続ける。

「あなたは量子コンピュータを探してた…………どうしてその存在を知っていたの?」

 ティマの正面──チグの横のヒーナが小さく声をあげる。

「──え? なに…………?」

 ティマの声が繋がっていく。

「最初からあそこにあるのを知っていたはず………………本部ビルでは真剣に探してなんかいなかった…………機密情報だ……末端の兵士が知ってることとは思えない…………そして、あなたは基地に行くことをシーラに進言した…………」

 その声に、ティマの横──スコラが小さく体を揺らした。

 ティマが顔を上げる。

 目の前に上がる炎を挟んで、自分に向いている腫れた瞼のチグの目。

 その横のヒーナが再び口を開いた。

「──どうしたのよティマ…………チグが何をしたのよ。そんないい方────」

 しかし、その言葉を遮ったのは、チグだった。

「堕天使と呼ばれた国軍最高の兵士か……………………さすがだね」

 チグの口元が微かに上がる。

 それを見ていたヒーナが呟く。

「……チグ?」

「ヒーナ、どうして私が国軍への編成に反対しなかったか分かる?」

「何よ……今更…………」

「行方不明者の情報を持ってるって奴らに騙されて散々お金を無駄にしたけど、無駄じゃないこともあったんだ…………」

 そしてチグは、大きく唾を飲み込むと、続けた。

「国軍は、アーカムの存在を知っていた」

 全員の意識が、一瞬でチグに集約される。

「アーカムと接触して────アーカムの研究をしていた」

 すると、ナツメの呟きが微かに聞こえる。

「なによ……それ…………」

「だから軍部はアイバを欲しがった──カイズは軍部の指示で動いてた…………シーラのお父さんの指令でね」

「さっきアイバに〝これ〟を渡した理由は…………何か確証が────」

「そんなものないよ」

 僅かに声を荒げるチグ。そして続ける。

「ただ……もしかしたらと思った……当たりだったね…………」

「……総て知っていたの?」

 冷静に返したのはティマ。

「まさか…………ティマが手にした端末を見るまでは、私だって実際に目にしたことはなかった…………でも国軍に行ってからも情報を集め続けた…………体まで売った…………」

 そしてチグが視線を落とす。

 しばらくの間の後、ヒーナが口を開いた。

「本当に……神様に会いたかったんだね…………」

 炎の灯りに照らされたチグの肩が震え始める。

「…………お父さんと…………お母さんに……会いたかった…………神様なら…………」

 ヒーナが、その体を包み込んでいた。

 ティマが口を開く。

「話してくれて、ありがとうチグ……お陰で色々と繋がってきた────ヒーナ」

 するとヒーナは、泣き顔を見られるのが恥ずかしいのか、俯いたままで僅かに頭を上げた。

 ティマが続ける。

「最高の相棒だ────絶対に死なせるなよ」

 ヒーナは黙って頷く。

 二人の両親への想いの強さは、二人にしか分からない。

 他人の物差しで測れるものではない。誰のものでもそうなのだろう。

 だが、ティマの中に、確実にそれまでとは違う何かが生まれていた。





 幼い頃から、感情というものをもったことがない。

 孤児院でも、初めて人を殺した時も…………それから何度も人を殺したが、罪悪感なんて存在すら感じたことがない。

 軍人になってからも、なぜ人が自分を恐れるのか不思議でならなかった。

 敵と言われる相手がいるから殺す。

 それが命令だった。

 軍人になる前は食べるため。

 軍人になってからは命令のため。

 しかし、戦後に六人だけの独立部隊になってからは何かが変わった。

 少しずつだが、何かが変わっていった。

 それが何かは分からない。

 しかし、この湧き上がるものはなんだ。

 仲間なんて、どうでも良かった。

 ただ国に許可されて敵を殺す。

 そのためには、時には命令さえもどうでも良かった。

 仲間が殺されても関係ない。

 しかし、今は何かが違う。

 今までに感じたことのない柔らかさで、気持ちの内側を突き刺してくる。

 これが、感情というものなのか…………。

 それはまだ、今のティマには分からなかった。





 一番被害を受けていない装甲車。

 その整備をナツメとヒーナ。

 チグはその中でラップトップを開いて索敵と情報収集に努める。

 以前に使っていた装甲車と同様に、装甲車自体に索敵レーダーの装備されていない古いタイプだ。

 ティマと、意外にもアイバの強力で補充物資を装甲車に積み込む。

 弾薬と食料、充分な軽油もある。

 そして、チグから少し離れて、装甲車の後ろに座り込むのはスコラ。

 その姿を、作業を終えたティマが外から見つめていた。装甲車後部に片足をかけると、その視線がスコラに向けられていることに気付いたチグが呟く。

「……ティマ……お願い…………」

 微かに震えるその声に、ティマは笑顔で振り返った。

 大事な人を失う恐怖、寂しさ…………チグにはスコラの気持ちが嫌というほど感じられていた。理屈ではない。スコラに何かを言える人間など誰もいないと思っていた。

 以前はシーラがいた。シーラの言葉だから、強いものでもスコラは立ち直れた。

 でも、今はダメだ。

 ティマはチグの肩に手をかけ、優しく口を開く。

「大丈夫…………最近、少しずつ分かってきたんだ…………」

 ティマは再びスコラに顔を向け、座り込むその前で膝を曲げて腰を落とした。

「スコラ‼︎」

 その大声は、当然外のナツメとヒーナにも聞こえる。

 二人が慌てて中を覗き込んだ時、ティマはスコラの両肩を掴んで強引に立たせていた。

「ティマ──!」

 チグが小さく叫んだ直後、そのティマがスコラを両手で強く抱きしめていた。

 スコラの左肩に顔を埋めるようにして小さく言葉を繋ぐ。

「スコラがいなきゃダメなんだ──みんなを死なせるな──生き残るんだ…………」

 驚いたようなスコラの表情が、しだいに歪んでいった。

 大粒の涙を流しながら、声を漏らし続ける。

 誰にも見せたことのない、シーラにしか見せたことのない、子供のような顔で。


 ──……よかった…………やっと泣いてくれた…………


「帰るよ!」

 ヒーナがそう言って運転席に乗り込む。

「故郷に!」

 まだ陽の高い時間に、五人とアイバの新しい六人の装甲車は、ラカニエを目指した。

 まだ自分たちが知らない、アーカムの情報を求めて…………。

 装甲車の後ろ、風を受けたアイバの紫の長い髪が靡いていた。

 無表情のまま…………。




〜 第二部・完 〜

〜 第三部・第1話へつづく 〜

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沈黙のアーカム(第一部&第二部) 中岡いち @ichi-nakaoka

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