確執

 川俣かわまたが出ていって鞍馬あんばと二人きりになった部室で部長は機を伺っていた。

 決戦は近い。あの怪異——悪臭スグルとの直接対決は今夜にも実現するかも知れず、その際に自分の命運を握っているのは自分の左斜め前で黙々と『5人目ノート』の作成を進めている男に他ならない。

 ——部長がお前らを裏切ろうとしていたぞ。

 その命運は鞍馬が他の二人に事実を告げた時点で尽きる。身を挺して自分を庇ってくれた川俣と言えど、積極的に自分達を切り捨てに掛かった人間に博愛の精神を示すほどお人好しではないだろう。

 人間のやることじゃないよ——と、非道な行いに対して怒りを露わにしていたところをみるに、彼の正義感は自分を排除すべき悪と見做すかもしれない。

 あの真歩ですら鞍馬なかまを守る姿勢を見せたいま、この部に不要と切り捨てられるとすれば自分だと部長はそう思っている。

 アプリによる『5人目ノート』の共有を提案した際に、「誰かが間違って消したら」と懸念を示されたときから鞍馬が自分を警戒していることに気付いていた。

 そして、平素こそ真歩の胸を横目で盗み見る癖の抜けないちょっとスケベな男子生徒に過ぎない鞍馬だが、その本質は冷徹なまでに職務に忠実な兵士であることを部長は見抜いている。

 昨夜、絶命した柴犬に頭から喰らい付く化物に散歩の足取りでスマホを向けた彼に部長が抱いた印象がそれだ。

 その躊躇いの無さが自分に向けられないという保証などどこにもない。その際に晒した醜態を思えば、鞍馬は心の中で既に足手纏いにしかならない自分を切り捨てている可能性すら十分に考えられる。

 だから、手を打つなら今しかないのだ。

 並行してスマホにスカンクエイプの記述を打ち込みながら、部長は鞍馬を口止めする方法を模索する。

 アメリカのフロリダ州で多数目撃されている類人猿型の未確認生物UMA。腐った卵とカビの生えたチーズ、ヤギの糞を混ぜたような強烈な悪臭を放ち、類人猿エイプに属するゴリラやオランウータンに似た外見を持つことからスカンクエイプと呼ばれている。

 1997年にフロリダ州のオレンジ畑で働いていた季節労働者が殺害された事件の犯人とされているほか、2002年6月にテネシー州でその姿が目撃された際にはペットの殺害事件が相次ぎ、同年10月に100匹以上の猫が行方不明になるという事件が起きた地域にも姿を現したことで犬や猫を捕食していたとされている。

 スカンクエイプの正体についてはオランウータンの誤認説と、10万年前に絶滅したとされる類人猿、ギガントピテクスの生き残り説が——、

ああこれ、日本には居ないやつだわ……。

 そう思いながらも部長は『有力視されている』と打ち切った。あとはこの怪異が身近で囁かれるようになった理由、今回でいえば例のゴミ屋敷にまつわる記述を加え、旧現民の『5人目ノート』に倣って『スカンクエイプはこの出来事を背景にした噂話である』と締め括る。

 この部分は昨日寝る前に作成しておいたものをそのままペーストして、

「完成っと、鞍馬君の方はどう?」

 操作していたスマホから顔をあげて鞍馬を見る。

「俺ももうちょいで終わりそう」

 下を向いてスマホを操作したまま答える鞍馬に、部長は立ち上がると机を回り込んでその隣、川俣の椅子を借りて座った。

「どれどれ、ちょっと見せてくれる?」

 そのまま椅子を引き摺って体を寄せると鞍馬のスマホを覗き込んだ。


 部長がいきなり横から身を乗り出してスマホを覗き込んでくるものだから、目と鼻の先に現れたその横顔に鞍馬は狼狽した。

 鞍馬の袖から伸びた右上腕を部長の夏服の袖が擽っている。何かの間違いで部長がこちらを向こうものなら重大な接触事故に繋がること必至だ。

「ほんとだ。もうちょっとね」

 やたら良い香りがするシャンプーの匂いと、息遣いを感じる距離で部長。思わず反らそうとした鞍馬の背中は椅子の背もたれに阻まれる。

 この距離感は明らかにおかしいと鞍馬は思う。先週の始めに初対面を果たしてから、週末の4連休と平日二日を挟んだ祝日を含めて毎日のように顔を合わせてはいるが、それにしたって赤の他人だったこの相手との距離を僅か5センチに縮めるには短すぎる。

「なに考えてんだ部長?」

 顔を反対側、左に逸らして鞍馬、

「なにって訳じゃないけど、前から鞍馬君と二人きりで話がしたいと思っていたのよ」

 鞍馬の目の端でスマホに顔を向けたまま返す部長の声音には緊張の色が見て取れた。

「後にしてくれ。ともかく5人目ノートを完成させないと」

 無駄と分かりながら保留を願い出る鞍馬に部長は振り向いて、

「ねえ、どうしたらあの事を他の二人に黙っててくれる?」

 顔を逸らす鞍馬の耳元で囁くように聞いてくる。本人にその自覚があるかは怪しいところだが、色仕掛けを辞さない部長の形振り構わなさに圧されながらも、椅子を横にずらして距離をとった部長を正面から見据えた。

「要するに俺の弱みを握っときたいってことか? だったらいい方法があるぜ」

 単刀直入に核心を突かれ、今度は部長が鞍馬から顔を逸らした。

「簡単だよ。部長の恥ずかしい写真撮って俺のスマホに送ればいい」

 真顔で告げられた下卑た要求に部長がビクリと肩を震わせる。恐れるように向けられた目は、鞍馬の人間性への落胆の色が滲んでいた。

「で、なにかあったら俺に脅されて無理やり撮らされたってことにすればいい。そんな最低な事する奴と部長の言うこと、二人がどっちを信じるかなんて考えるまでもないよな」

 その提案とほんの少し悲しげな笑みを浮かべる鞍馬に部長は戸惑いながら、

「いいの? 私、本気でやるかもしれないわよ?」

 鞍馬は表情を変えず乾いた笑いを漏らして、

「心配すんな。そうなったらなったでお互い楽でいいだろ。そん時は俺もそういう人間として行動させて貰うよ」

 笑っていない底冷えするような目で部長に釘を刺して作業に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

紅葉ヶ丘高校 現代民俗学研究部  沓浦 行路 @92zoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ